SCCトレーニング・ダイアリー
2003年8月分
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2003年8月28日(木)
 「世界陸上選手権」


 今、私は、パリで開催中の世界陸上選手権を毎日テレビで見ている。
 SCCに入る前には考えられないことだ。
 どの競技も面白いのだが、やはり興味深く見ているのは短距離種目だ。中年プチスプリンターとしては、何かヒントになることはないだろうかと真剣に見ている。
が、しかし、まだ走りのキホンのキの字も分かっていない中年プチスプリンターには、哀しいかな、何も分からないのである(笑)
 分かるのは、みんな早いということぐらいだ。当たり前か。
  
 だが、そのような私にも一つだけ強烈に印象に残ることがあった。
 男子200メートルに40歳の選手が出場し、大健闘したことだ。このことは、中年プチスプリンターに大いなる励みと勇気を与えてくれた。
 
 よし、私も頑張るぞ。

 それにしても、司会者や解説者の話はなんであんなに下らないのだ。プロの司会者がマッハ○○とか筋肉聖母とかアホみたいなニックネームを付けて大声で叫んでいるし、解説者が、前評判の高かった選手が遅いと「いや〜、力んでしまいましたね。」なんて平気で言っている。金を貰って解説しているんだから、形容詞による表現ではなくて、科学的分析に基づく論理的解説をして欲しいゾ。私は。

 それからもう一つ。男子200メートルに出ていた二次予選敗退のあの日本人選手は何なんだ?
 レース後のインタビューの受け答えを見ていて、このスキンヘッドの男、大丈夫かと思ったほどだ。小学生の方がよっぽどしっかりした考え方を持っているんじゃないだろうか。呆れた受け答えに,先ほどの司会者さえ、少ししらけているように見えた。
 どの世界でも、自分の信念、哲学というものをしっかりと持った人が成長していく。陸上競技とて同じだろう。末続の受け答えにはそのような雰囲気を感じさせるが、くだんの男は日本の陸上界を引っ張っていくためにも、そのあたりをもっと学んで欲しい。




2003年8月26日(火)
 「次女の九州陸上競技選手権大会」


 8月24日,長崎県立総合運動公園陸上競技場で開催された九州陸上競技選手権の女子走り高跳びに次女が出場してきた。
 今回の大会は,次女は高一であるが,学校側の手違いでジュニアクラスではなく,成人の一般女子の部にエントリーされてしまった。
 高校一年生が成人と一緒に競技というのは大変なハンディがある。大人と高一とは力が全く違う。結果は予想通りであった。
 次女は,今回,大人と一緒に競技したことをどのように学習したかであろうか。経験だけに終わってはもったいない経験だ。ほかの同学年生は経験できなかったことを1人だけ経験したのだから,それをプラスに活かすのが,本当の経験と言える。

 これからの人生のために,教えたいことはいっぱいあるのに,父親と娘という関係は,どうもぎくしゃくして,あるいは気恥ずかしくて,思っていることをなかなか言えない。世のお父さん達も同じなんだろうか。




2003年8月23日(土)
 「スタートダッシュがしっくりしない」


 どうもスターティングブロックからのスタートがしっくりこない。
 ドカーンという感触がまったく無いのだ。ふわ〜という感じのスタートになってしまう。
 今日のSCCの練習は,アップとドリルの後がフリーの練習となったので,カミクリコーチにスタートをチェックしてもらった。

 チェックをお願いすると言っても,そもそも私の走りにいいところはなく,欠点だらけのフォームだから,お願いすること自体,無茶な話ではある。しかし,さすがはカミクリコーチだ。1回のスタートを見て,直ぐにスタートの練習をアドバイスしてくれた。
 スタートでの瞬発力,加速力は,スタンディングスタートを繰り返し行うことで,自ずと身に付いてくるというアドバイスだった。スターティングブロックからのスタートも,2歩目からはスタンディングスタートの姿勢とほぼ同じなのだ。スタートがしっくり来ないのはスターティングブロックからのスタートのやり方が悪いとばかり思っていたが,なるほど,それ以前の問題があったと言うわけだ。

 このようなアドバイスを受けると,練習にも何をどのようにすべきかという目的意識がはっきりしてくる。また,これをやればいいんだという信念ができるから,練習自体も自信をもって取り組むことができた。

 今日も暑かったけど,充実感が残る練習になった。




2003年8月17日(日)
 「我が家のSCC入会の経緯」

 
我が家は家族3人がSCCの会員になっている。
 SCCが設立して1年ちょっと過ぎた2001年10月に、先ず次女が入った。次に、その練習を見に行っていた家内が2002年3月に入った。 そして、そうならばということで2002年12月に私も入ったという次第である。

 次女は、小学校5年、6年、中学校1年のとき、鹿児島市の大会の走り高飛びでたまたま1位になったものの、学年が上がるにしたがってレベルが高くなり、中学2年のとき指導者を求めてSCCに入った。大会で上位を目指すための自らの意志による選択であり、アスリートとしての技術を磨きたいという一念からの判断であった。親としてはその主体的で自主的な判断が嬉しいところである。そして、SCCを選択した次女の判断は間違っていなかった。競技力もさることながら、多くのスタッフや会員の方に人間性の面でも素晴らしい指導を受けている。きっと、将来、SCCでの経験が次女の原点となっていくものと思う。人間形成の重要な時期に、このような環境があるということは幸せなことである。


 2番目に入った家内は、次女の送り迎えのために競技場に出入りしていたところ、SCCの皆さんと仲良くなり、UさんやSさんたちに「誰にでもできるわよ。入りなさいよ。早そうだし。」などと甘言でおだてられて、いつの間にかその気になって入ってしまったのである。単純な家内である。そこには、何ら主体性も自主性も見当たらないのである(笑)
 しかも、家内は生まれてこの方スポーツはまったくしたことが無く、大丈夫かなと思っていたら、案の定、最初の練習は相当応えたらしく、数日間は家の中では松葉杖を使って歩いていた。でも、その家内も少しずつ練習に慣れ、いつからか、練習日が待ち遠しくなった。そこには自主性が見られるようになったのである。家内もSCCに入ることを決断して正解だった。もう少しおだてると大会デビューも近いかも知れない。

 楽しそうな家内を見ていて、SCCというのはどのようなものなんだろうかと思うようになり、私も練習を見に行くうちに、陸上競技への興味が湧いてきた。そのころ、健康管理のためにも何かやりたいと考えていたこともあり、SCCに入ってみようかなと思うようになった。しかし、若いころは激しいスポーツをやっていたものの、今更、体力的にきついのではないかという心配もあった。しかし、あの家内が8カ月続いているのだから46歳の自分にもできると思い、SCCに入ることにした。私を最終的に決断させたのは、最初、主体性も自主性もなくおだてられて入った家内だった。ありがとう。

 初日の練習では、自分の体力の限界がまだよく分からず若いころの体力のつもりでやってしまい、「この練習はここまでで止めておこう」という自己調整がまったくできず、フラフラになるまでやってしまった。その日は練習の最後に自己紹介をしたのだが、今にも吐きそうで、名前を言うのがやっとであった。おおたさんが「それだけ?」という物足らない顔で私を見たが、立っているだけでもやっとの状態であった。数日間は手を使わないと筋肉痛のためトイレで立つことさえできなかった。
 その後何回か練習をするうちに、自分の体力の限界も分かってきて、それに応じた練習も出来るようになってきた。しかし、歳だからと言って妥協するつもりはない。中年プチスプリンターとしては、自分の年齢とも勝負しつつ、体力の限界を少しでも上げて、いい記録を作りたいと思っている。

 それにしても、走るだけの競技が何故このように楽しいのだろうか。46歳にして出会った喜びである。

 
 


2003年8月16日(土)
 「常識」

 
今朝はことのほか涼しく、暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもんだと、妙に感心しながら、こんなんだったら今日のCSSの練習はいいかも、と思っていたらとんでもない間違いだった。
 昼過ぎから急に気温が上がり、いつものように30度以上になった。しかも無風で湿度がある。
 夏場は熱中症予防のため、2リットルのスポーツドリンクを持っていっている。今日も練習前に、まず、スポーツドリンクを飲んだ。そして、練習の合間にもこまめに補給をした。
 SCCでは、理事長、コーチが事故防止のために、繰り返し水分補給を指示している。
 今でこそスポーツ中の水分補給は常識だが、以前は、まったくその逆で、スポーツをしているときは絶対に水を飲むな、という教えであった。信じられない話であるが、日本の常識であった。

 常識と思っていたことが常識ではなかったということであるが、そのようなことはいくらでもある。
 常識というカラの中に閉じこもれば、それで終わりである。何ら発展も進歩もない。常識が本当に常識なのか、それを問い続けることが人を進歩させ、新たな世界を切り開くことができる。
 しかし、決して常識を打ち破ることは容易なことではない。また、誰にでもできることではない。
 企業、地域、学校におけるスポーツ、日本のスポーツの常識のカラから抜け出し、新たな世界にチャレンジしているおおたさんの理念を具現化したのがSCCだ。
 これからも社会の仕組みの常識の枠にとらわれず、真に地域や学校、企業にいる人達が求めるスポーツのカタチを追求していって欲しい。
 ん〜、やや僭越な内容になってしまったが、ま、そこは中年オヤジということでご容赦を。
 


2003年8月13日(水)
 「初盆」

 
今日はSCCの練習日。
 仕事が休みだったので練習に行こうかと思っていたが、今回は練習は休んで、G氏が亡くなって初めてのお盆、初盆ということで、そちらに行くことにした。
G氏とは職場の同期生で、若いころは同じセクションで一緒に仕事をしたこともあった。いつも明るくおおらかで、回りの人には体に似合わない細やかな気配りをし、意志は強いのに優しかった。仕事の議論はしたことがあったが、決まれば脇目もふらず全力で任務をやり遂げ、そのパワーはすごかった。
 きっと、G氏は、SCCで頑張っている次女の姿を、ビールを豪快に飲みながら空の上で喜んでいるに違いない。
  


2003年8月10日(日)
 「ドリル」

 
昨日は土曜日。よって、SCCの会員練習は午後3時からであった。
 ちなみに、SCCにはclubA、B、C、Dの四つの区分けがある。
 Aは短距離、フィールド系競技、Bは主に小学生、Cは長距離、Dは身障者の人達。詳しくはリンクにあるSCCのHPをご覧いただきたい。
 で、私はAで練習している。Cで練習をして指宿で開催され菜の花マラソンにも出たいと思ったが、長距離の苦しい練習は年齢的にきついと思って、短距離のCにした。でも、Cの練習は意外と楽しそうである。長距離の練習と言ったら黙々とひたすら走り続けるだけかと思っていたら、ワイワイがやがやおしゃべりをしながら実に楽しそうに走っている。Tコーチの科学的練習メニューもいいのかも知れない。昔ながらの根性の練習ではないことに、感心している。
 Aの練習では、短距離のドリルを毎回する。
 早く走るためには、腰はどのように使うのか、膝はどのように動かすのか、足の踏み替えはどのようにするのか、爪先やかかとの動きや着地はどのようにするのかなどなど、個々の部分を研究しながら練習する。このドリルをやってみて、短距離の奥深さに触れたような気がし、毎回毎回、あーでもない、こーでもなと考えながら練習をしている。
 しかし、なにせ、46歳になって陸上競技を始めたのだから、なかなか、思うようにはいかない。自分では結構いい具合に走れるようになったと思っていたら、8月3日の鹿児島市民大会のビデオを見て、後ろにひっくり返ってしまった。自分の頭の中のイメージと実際に走っている姿を見たら、そのギャップや愕然たるものがあった。
 ん〜〜〜、陸上を初めて8ヶ月、その奥深さをしみじみと噛みしめざるを得なかった。
 これによって、自分の課題が一つ分かった。そして、その課題を克服したいのであれば、ドリルに更に真剣に取り組む意外に道はない。
 研究と工夫を重ねて進化したい、中年プチスプリンターの、ああ青春、である。



2003年8月3日(日)
 「陸上競技大会デビュー!」

 
昨日は鹿児島市民体育大会。場所は鴨池陸上競技場。
 SCCからも多数の人が出たが、私も出た、100メートルに。
 昨年12月7日にSCCに入会してから初めての大会出場になった。初陣である。初陣と言えば若々しい人の初々しいデビューをイメージするが、そうではない。よろよろの中年プチスプリンターの初体験である。
 それに、大会と言っても、資格必要なしの誰でも出られる大会なので、運動会みたいなもんである。実際、マスターズクラスはほとんどSCCの会員であり、SCCの運動会のようでもあった。
 それでも、私にとっては人生の1ページに残る記念すべき大会であった。
 練習だけでも十分楽しいが、記録を計ることによって、また、次の大会への挑戦という新たな楽しみを見つけた。
 12.79秒の記録は、10日前に少し肉離れをしていたことや、ちょっとだけ向かい風だったことを考えれば、まぁまぁ満足できる記録であった。
 おおたさんやコーチ、先輩の皆さんに感謝である。
 家内は怪我のために出られなかったが、次は自分も出るんだと早くも息巻いている。
 いやぁ〜、それにしても暑かった。で、夜は記念すべき大会デビューをビールで祝った。