2008年4月18日(金)
「朝もやの薩摩富士」
朝もやで麓が霞んでいる薩摩富士。
本来の名前は開聞岳(かいもんだけ)だ。
それをバックに屋久島行きのジェットフォイル船が海の上を飛んでいる。良い景色だぁ〜。
マッサージ通いを続ける妻
妻は昨日もマッサージを受けに行った。
ほぼ毎日マッサージを受けに行っている。また前みたいに走りたい、その熱い思いがそうさせているのかも。
夜はリハビリを兼ねて犬達と散歩。
歩行速度が少し早くなってきた。そろそろ軽いジョグが出来るかも。
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2008年4月16日(水)
「おかしいぞ、年金特別便!」
今、世の中を騒がせている年金特別便。
その年金特別便が、昨日、私宛に来た。
ほほ〜、これがニュースでやっている年金特別便か〜としげしげ見入ったが、でも何故、私に来るのだろう?
今の仕事は昭和55年に入ってから、ず〜と今まで勤務している。そりゃ〜、これまで17回も転勤があったけど、それは単なる配置換えだ。転職をした訳ではない。だからこの28年間、納めた年金が行方不明になることはあり得ない。
強いて心当たりがあると云えば、今の職場に入る前に別の会社にいたことがある。私に年金特別便が来るとすれば、それだろうと思っていた。しかし、そこで働いていたのは1年にも満たないから、そのとき納めた年金は既に諦めて、捨てたものと思っていた。
でも私に年金特別便が来るとしたら、それしかない。
そんな29年も前のことを、よく調べて連絡してきたものだと感心しながら封を切って中の書類を見てみた。
封筒の中には「あなたの加入記録」が入っていて、それを見て自分のこれまでの加入記録を確認することになる。
ところがその加入記録を見てビックリ仰天!!!!!!
何と、最初の会社だけではなく、今の仕事の加入記録が大変なことになっていた。
今の職場は昭和55年からず〜と勤務しているのに、その昭和55年から平成7年までの15年間の年金加入記録が消失しているではないか。
年金加入記録は平成8年からとなっているだけ。
15年間、天引きされて払った年金はどこに消えたのだ?
いったいこれはどういうこと?
誰のものか確認がとれない5000万人分の年金の中に、その15年間分も消えたのだろうか。あるいは、他の人みたいに社会保険事務所の職員に猫ババされたのだろうか。
直ぐにでも社会保険事務所に行って確認をしたいが、平日は仕事もあるし、それに社会保険事務所に並んでいるあの行列を見たら行く気が失せてしまう。
年金特別便専用ダイヤルだって簡単にはつながらないと言うし。
それにしても、一応お堅い職場と言われている私の職場でさえ、このようなことになっているのだから、ほかの人達はいったいどうなっているのだろうかと人のことまでも心配になる。
あまりにもズサンでお粗末な話に開いた口がふさがらない。
妻は昨日もリハビリ
一昨日から陸上競技への復活の道を進み始めた妻は、昨日もスポーツマッサージを受けに行った。
そして、帰ってきてからは、リハビリを兼ねた犬達との散歩。
私が近所の理髪店で散髪をしていたら、店の人が「奥さんが犬を連れて来ていますよ」と教えてくれた。外を見ると散歩中の妻が店の中を見てニコニコ(笑)
段々調子が良くなってきているようだ。
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2008年4月15日(火)
「妻の密かな行動」
重症の肉離れのために痛みがなかなか消えず静養を続けていた妻が、昨日から密かに復活プログラムに取り組み始めた。
その第1弾は、スポーツ選手の怪我の回復を図るのが得意と自称しているマッサージ師によるマッサージ。実際に陸上選手の怪我の回復マッサージをを行っているその診療所で、時間をかけて丁寧にマッサージをしてもらった。
マッサージは引き続き定期的にする計画だ。
その第2弾はウォーキングの開始。我が家にはドーベルマンとスタンダード・プードルの大きな犬が2匹いるので、この2匹の散歩を兼ねて昨日から歩行訓練を始めた。
初日の昨日は25分ほどの歩行。
落ち込んでいた妻も希望の明かりが見えてきて、ちょっと元気になったかな。
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2008年4月13日(日)
「SCCでの練習再開」
転勤とそれに伴う引っ越しやら呑み会やら何やらで、1ヶ月間全く陸上の練習をしていなかったが、昨日、転勤の後初めてSCCの練習に行ってきた。
この2年間、屋久島に行っていたから、SCCの練習に参加出来たのは帰省した時だけで、それも年に数回のみ。
一人での練習は内容にも継続性にも辛いものがあるが、これからは毎週SCCで練習が出来る。
みんなと一緒に練習が出来るのはやっぱり良い。何と言っても気持ちがググッ〜と盛り上がっていく。
昨日の練習メニューはスピード重視の内容で、量はそれほど多くなかった。
久しぶりの練習なので、コーチから抑え気味に練習をするようにアドバイスを受けたこともあったし、量としては丁度良かった。
今年になってほとんど練習をしていなから当然と云えば当然だが、フォームはバラバラ、キレは無し、スタミナもスピードも無し。
ま、これから徐々に取り戻していかなきゃ。
3月12日の肉離れから1ヶ月が経過した妻は、最近になって歩行が普通に出来るようになってきた。
しかし、まだ痛みが残っているので静養がまだ必要だ。これほど痛みが残るなんて筋断裂に近い肉離れだったのだろう。
肉離れが起きてから数日して出血がひどかったことからすれば、深い部分の肉離れだった。
今のところ普通に歩けるようになってきたという明るい兆しが救いだ。
昨日の鴨池陸上競技場。SCCのほかにも大学や高校の陸上部が来ていて賑やかだった。
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2008年4月11日(金)
「JR中央線大混乱」
昨日の昼のニュースを見てビックリ!
JR中央線の国分寺駅の変電所で火災が発生し、それが原因で中央線が不通になってしまったのだ。
運行再開の午後3時まで7時間にわたり電車が止まってしまって、50万人の人が影響を受けたとのこと。
影響を受けた多くの人達には申し訳ないが、この事故が昨日で良かった。
その前日だったら、私が東京から鹿児島に帰って来られなかったかも知れない。
妻の実家に泊まっていたので、近くの国立駅で中央線に乗る予定だったからだ。実際には、特別快速が停車する国分寺駅まで義父が車で送ってくれたけど、いずれにせよ昨日だったら中央線に乗ることは出来なかった。
飛行機は往復とも散々な目に遭ったが、陸路は間一髪でうまく帰れた、というところか。
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2008年4月10日(木)
「大荒れの空の旅@タッチアンドゴー初体験」
8日から1泊2日で東京を飛行機で往復したが、散々な目に遭った。
これまで飛行機には70回以上乗っている。だから色々な気象条件を経験しているので、ある程度のトラブルは大丈夫なつもりでいた。
しかし、今回の空の旅には参った。
まず最初の災難は8日の東京行き。
定刻前に「羽田空港の天候が悪いので、場合によっては大阪伊丹空港か福岡空港に着陸することもあります。それをご承知の上、ご搭乗下さい。」とのアナウンス。
そんなことを言われても乗るしかないので、もちろん搭乗。
ところが飛行機に乗っても飛行機が動かない。結局、飛行機の中で待たされて定刻よりも1時間遅れで離陸。
さらに、羽田上空に着いても強風のために着陸出来ず、揺れる状態で上空を40分旋回。飛行機で酔うことはないのに、このときばかりは気分がだんだん悪くなってきた。
そんなとき、機長が「このまま着陸できないときは大阪伊丹空港に向かいます」とアナウンス。げげ、そんなアホな、と思っていたら機体を揺らしながらも何とか着陸した。あ〜、良かった。
着いた東京は大雨と強風。
その日のニュースで知ったが、この日の羽田は欠航が相次いだらしく、また、新幹線も運転を見合わせた便があったそうだ。
↓8日、東京に向かう機内から見た桜島。鹿児島はこんなに良い天気なのに東京は大荒れの天気が待っていた。
↓翌9日の東京。前日の嵐がおさまり時折日が差す天気になった。写真の中の茶色のビルは昔昔、その昔、当時お付き合いをしていた女性が勤めていた会社。このビルの近くで待ち合わせをしたこともあったっけ。
その女性が懐かしがるだろうと思って、電車の乗り換えの時間を利用してパチリ。
妻になったその女性にこの写真を見せたら「懐かしいわ〜」と言っていた(^^)
さて、次の災難は9日の鹿児島への復路。
東京は比較的穏やかな天気だったので、これだと鹿児島も大丈夫だろうと思って飛行機に搭乗。
ところが鹿児島空港に着陸体勢に入った時から様子が一変。機体が上下左右に激しく揺れ始めた。
怖っ、と思った瞬間、着陸寸前にエンジン音が急激に大きくなり、強いGのために体が座席に押しつけられ、機体が急上昇を始めた。
これって異常な状態だ。機内が「何が起きたのか?」とざわめいた。
すると機長から「着陸基準を上回る風が吹きましたので、一旦上昇して着陸の機会を待ちます。」との説明。いわゆるタッチアンドゴーだった。
でも、その後も激しい揺れは続き、エアーポケットに入ったような状態にもなり、前日と同様、再び気分が悪くなってきた。しかもキャビン・アテンダントの「気分の悪い方は、早めに座席にあります防水袋をご準備ください。」というアナウンスが、よからぬ状態を想像させ益々気分を悪くさせた。
この時も機長から「当機はただ今旋回を続けておりますが、着陸出来ない場合は福岡空港に向かいます。」と、目的地に着陸出来ないことがあり得るとの放送があった。そんな〜〜。
事故の不安と何とか着陸して欲しいとの期待が交錯する中、30分余り旋回した後、飛行機は機体をガッガッと揺らしながらも無事に着陸。まったくも〜、手に汗を握りながら遺言まで考えちゃったじゃないか(笑)
↓着いた鹿児島は大雨。乗っているバスの窓ガラスを雨が滝のように流れ落ちていた。
いつから嵐を追っ掛ける男になったのだろう(涙)
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2008年4月7日(月)
「東京」
明日から所要で東京に行くことになった。
2年振りかな。
10年間住んだ東京だから懐かしさがある。楽しみだ。
でも、それは陸上の練習再開がまた先に伸びるということ・・・(^^;
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2008年4月4日(金)
「カトレアの花言葉」
優雅な花のカトレア。
花言葉は「優雅な女性」「魔力」「成熟した魅力」「魅了」「純愛」。
純愛は別として、ほかの花言葉は、この花によく合っている。
花言葉のとおりに優雅な女性を感じ、魅了される花だ。
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2008年4月3日(木)
「肉離れから3週間経過」
妻が肉離れを起こして3週間が経過。
思いもよらぬ重度の肉離れのために、歩くこともままならぬほどの痛みが2週間以上続いたが、ここ2〜3日、痛みが少しずつながら和らいできたのは明るい兆しだ。
ただ本人は3週間も陸上の練習ができていないことと、これから先、いつになったら練習を再開できるのか全く見通しが立たないために、「私の陸上人生は終わったわ。」と言って落ち込んでいる(笑)
そんな妻に、アンクルリスト(3.0kg)を渡し、肉離れのふくらはぎを使わない、椅子に座ったままでやるトレーニングを少しずつでいいからするようにアドバイス。
さて、どうするだろうか。
という私も長いこと練習をしていない。
早く再開したいが、妻がこのような状態では練習をする気持ちになれない。
やっぱり一人では半人前、二人でやっと一人前ということか(笑)
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2008年4月1日(火)
「練習再開への道は遠い」
肉離れの妻のことではない。自分のことである。
屋久島での単独・孤独・気の毒の3ドク陸上環境から解放され、いよいよSCCで練習ができると思っていたが、既に1週間経つものの未だにSCCの練習に行けない。
しかも先月は中旬に1回だけ練習をしたのみ。全く練習ができていない。
さて、いつになったら練習が再開できるのだろうか。
今日から新年度。早いな〜。
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