2008年3月30日(日)
「50mダッシュ王選手権」
今日はSCCの第7回50mダッシュ王選手権の日。
楽しみにしていた選手権だけど、今年は出場しなかった。
転勤や色々なことで練習をする時間がとれず、このまま出場すれば怪我をする可能性が高いし、それに妻が肉離れを起こしてしまって、自分だけが出るのも可哀想な気がする。
今日はあいにくの雨だけど、きっと選手権に出た人達は雨を吹き飛ばして頑張っているハズだ。
来年は万全の体調で出られるようにしたいな。
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2008年3月28日(金)
「肉離れは重症」
3月12日の陸上の練習で起きた妻の左脚ふくらはぎの肉離れは重症だった。
普通なら1週間から10日で当初の痛みが消えていくはずなのに、2週間経っても消えず歩くことさえままならない状態が続いた。
これはおかしいということで、スポーツによる怪我の治療が得意(らしい)という病院へ。
結果は重度の肉離れ。重症だった。
↓2週間経っても肉離れの痛みが全く消えない妻。患部の出血が痛々しい。
階段の上り下りは手すりを頼りに少しずつ歩く。
いつもと違う妻の辛そうな姿に、リリーまでもが「お母さん、頑張って!」と励ます。
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2008年3月18日(火)
「引っ越しはお任せ」
転勤が決まってから直ぐに引っ越しの準備に取り掛かった。
結婚をしてからでさえ引っ越し歴は12回だから、引っ越しにかけては結構慣れている。だから、転勤が決まったら、大体の手順を決めて速やかにアクションを起こす。
今回もいつものと同じように引っ越しの準備を始めたが、ところが、なかなか進まない。
う〜ん、これは一体どうしたことか。
引っ越しはお任せ・・・のはずがこりゃ困った。
まだサッシ戸のレールや換気扇の掃除、窓ふき、小物の詰め込み、台所・トイレ・風呂の徹底クリーニングなどなどすることが沢山残っているが、これらを実質あと六日で何とかしなければならない。でも、仕事もあるし、送別会もある。
こんな状態では、とても陸上のトレーニングは出来ないな〜。
ところで、引っ越しの手伝いに来るはずの妻は、肉離れを起こした脚の回復が思わしくなくて歩くのもままならず、しかも、風邪まで引いて点滴をして寝込んでいる。本人は「ダブルの悲劇だわ」と言って更に落ち込んでいて、ちょっと可哀想(笑)
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2008年3月16日(日)
「屋久島を離れる時が来た」
一昨日の14日、転勤の内示があった。
2年前に屋久島に来て、2年間の屋久島での生活だった。
色々なことがあったこの2年間、同僚達と共に喜び、涙し、地元の人達と酒を酌み交わした。
嬉しかったこと、悲しかったこと、心のアルバムに刻みたいこと、逆に忘れたいこと、様々なことが思い出される。
正直なところ、2年間住んだ屋久島の地に愛着があり、後ろ髪を引かれる思いもする。
しかし、辞令一つでどこにでも行く、いつでも行く、それが私達の宿命。
次の勤務先は鹿児島市の自宅から通勤できる。
SCCの練習にも再び行けるし、犬達とも一緒に暮らせる。
3月24日に屋久島を離れる。
実質、今日からの1週間で、仕事関係の処理やあいさつ回り、そして、荷造りや各種手続きなどの引っ越し作業を終えなければならない。その間には送別会もある。転勤には慣れているとはいえ、ハードな日が続く。
立つ鳥跡を濁すことのないように、あるいは九仞の功を一簣に虧くことのないように、いつものように3月23日午後11時59分59秒の最後の1秒までしっかりとやらなければ。
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2008年3月14日(金)
「2週間振りの陸上トレーニング」
気が付けば随分とサボっていた(笑)
こりゃいかんぞ、ということで昨夜は14日振りに陸上の練習へ。
アップ・ドリルは「大石亀女通り」。何だか大変な名前だ〜(爆)
その後、いつもの「如竹通り」に移動し、60m×3,110m×2。
60mは、30mまで状態を起こさないことを意識。
110mは、これまで踏み出した足の膝を伸ばさないようにしていたのを、伸ばすように変更した走りをテスト。
でも、うまくいかなかった。どうしても膝のリリースポイントが早くなる。
これから練習あるのみだな。
更にその後、県道の坂道に移動。
いよいよ坂道トレーニングだ。目指せ、パウエルの爆発スタート!(笑)
と言いたいが、久しぶりの練習だったため、直ぐに疲れたので90m×3で終了。
ま、久しぶりに練習が出来た、そのことをもって100点としよう。
↑最後の坂道トレーニングをした県道脇の歩道。ここの歩道はラバー張りになっているので、トレーニングをするのにおあつらえ向きの場所だ。もちろん街灯もある。
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