2007年6月27日(水)
「時が止まる島、口永良部島」
9日間の日程で屋久島に遊びに来ているダチ公は、今日から口永良部島に行く。
「人口150人あまりの口永良部島は、そこに行っただけで時間が止まる。それは人生に必要な時間だ。」
そんなことを言ったら「お〜、明日行ってくる。」、そう言って出掛けることになった。
気の向くまま、足の向くまま、時間を忘れて放浪する、そんな気ままな旅こそ、自分を見つめ直す旅になる(かも知れない/笑)
いよいよ梅雨もクライマックスに入ったのだろうか、ここのところ激しい雨が続いている。
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2007年6月24日(日)
「美しい月下美人」
昨夜は屋久島の知人から「月下美人が咲きそうなので見に来ないか。」と誘われた。
9日間の予定で屋久島に遊びに来たダチ公も連れて知人宅へ。
バーベキューを食べながら待つこと3時間半。焼酎「三岳」で最高潮になった時、遂に月下美人がつぼみを開き始めた。
純白で芳しい香りの美しい花、月下美人。
しかし、夜にしか咲かず、しかも、一晩でその花は命を終える。だから神秘的でもある。
美しいものの例えに用いられる月下美人、その名のとおり可憐な花である。
拡大写真→スナップ写真館(No17)
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2007年6月23日(土)
「俺んちは旅館かい!?」
私が屋久島で勤務しているということで、学生時代のダチ公が今日、屋久島に遊びにやって来る。
(「ダチ公」とは品の無い表現ではあるが、敬愛の念を込めて敢えてそのように表現した。)
ダチ公は某大手企業に勤めていて、全国を転勤して回っていて今は名古屋にいる。その名古屋から屋久島に来るのだ。
2〜3日の休みをとってくるのかと思ったら、9日間屋久島にいるそうだ。
で、どこに泊まるのかと思ったら、
「お前んとこだよ、お前んとこ。旅館代わりに使わせてもらうからよろしく!」
である(笑)
9日間の居候だ。
学生時代のダチ公というのは、30年近く経ってお互いにいい歳になっても、いつまでも同じ関係である。幸せなことだ。
※「ダチ公」という言葉は死語かと思っていたら、今でも辞書に載っている。ちょっとした驚き。
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2007年6月21日(木)
「トレーニング開始!」
と言っても、網膜剥離の再発防止のために頭に衝撃を与えないよう、超スローペースのジョグを5分することに。
超スローペースとはいえ、実に4ヶ月振りのトレーニングだ。
走る喜びに涙が出そうになるのをこらえ、途中で調子に乗って、ペースを上げたり、短距離フォームで走ることがないように自分に言い聞かせながら走り出した。
しかし、そんな注意は不要だった。
ペースを上げようにも、短距離フォームで走ろうにも、5分も経たないうちに息切れがしてジョグを続けることが出来なくなった(笑)
やはり4ヶ月のブランクというのは相当なものだ。それはそうだ、体重がこの4ヶ月で3キロも減ったのだから。
その後は散歩に切り替え。
網膜剥離再発の不安は常につきまとうが、徐々に体を慣らしながら、7月からはドリルも加えていくことにしよう。
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2007年6月20日(水)
「網膜剥離になって4ヶ月」
2月18日に網膜剥離であることが判明してから4ヶ月。
この間、レーザー手術を5回、レーザーを合計3千発ほど両目に打たれた。
しかし、レーザー手術で網膜剥離の進行を食い止めなければ、その後には、目にメスを入れる大変な手術が待っている。
したがって、レーザー手術で何とか網膜剥離の進行を抑えることが出来るなら、それに越したことはない。
だから「安静にしなさい。」という医師の指示を忠実に守ってきた。
その指示は「取りあえず6月まで」だった。
取りあえず・・・・である。
何故なら、網膜剥離の原因である眼球内の硝子体の収縮が停止したかどうかは、医師にも分からないからだ。
収縮が停止しているなら、トレーニングを再開しても網膜剥離が進行することは、ほとんど無い。
しかし、まだ停止していなければ、トレーニングのショックによって網膜剥離が再進行する。しかも、レーザー手術での治療は限界にきているので、その時は恐怖のバックリング手術になる。
それにバックリング手術も万能では無い。最悪の場合は失明する。
現代医学の技術をもってしても、安定したかどうかは分からないと言うし、手術は苦痛を伴う手術になると言う。
「再発が心配だったら、今後、激しい運動はしないことです。」とまで医師に言われた。
それは陸上を止めなさいということか。
暗い日記だな〜。
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2007年6月18日(月)
「なごみ妻」
平和な屋久島で人質事件が起きるとは・・・
2時間半後には犯人を捕まえて人質を無事に保護したとは云え、包丁を突きつけられ、殺人者の人質になった人の恐怖を思えば、事件が解決したことを喜ぶ気にはなれない。
逆に気が重くなる。
でも、そんなとき、和ませてくれるのはやはり妻だ。
梅雨は湿気が多く、なかなか洗濯物が乾かないので困る。
妻は、干した洗濯物が生乾きの時、洗濯機の乾燥機能で乾燥させている。
乾燥機能を使えばカラッと乾くので気持ちがよい。
昨日も生乾きの洗濯物を洗濯機にポイ。後はスイッチを押すだけ。
が、押すスイッチを間違えた。
水が出てきて洗濯が始まってしまった。
だはは。
今朝の屋久島は雨。
雷も鳴っている。
ゴロゴロ、ドーーーーン
あ〜、怖っ
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2007年6月15日(金)
「犬なんて平気さ」
先週、鹿児島市の家に帰省したとき、犬達と散歩をしていたら、
鳩が1羽、ガードレールの支柱にとまっていた。
犬連れなのに近づいても逃げない。しかも顔ツキの悪い(心は純真だけどね)ドーベルマンがいるのに。
「あたしゃ、いざとなりゃ、いつでも飛んで逃げられるから、犬なんて平気さ。」
そんな目でこっちを見ていた。
雨が少なかった今年の屋久島だが、やっと梅雨らしくなってきた。
昨夜は、あまりにもジメジメと蒸し暑かったので、クーラーを入れた。今年初。
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2007年6月14日(木)
「妻は元気」
年を取ってからの肉離れは、肉離れの典型的な症状である、その瞬間に「ブチッ」と来る症状を認知出来ない場合がある。
その夜なってから痛みが出る、そのような場合がある。そんな肉離れを2〜3回経験している。
年をとってからの肉離れは、そのようなことがあるから注意が必要ということだ。
今回の妻の肉離れも、そのような肉離れだった。
だから妻には不用意な判断は禁物、時間を掛けて徐々に慣らしていくようにと言っていた。
ただ、幸いに妻の肉離れの程度は軽かった。
肉離れのレベルの三段階の中で、最も軽い軽症レベルだったようだ。
だから、今週末あたりからジョグをしたらいいのではないのかと、妻と話をしていたのに、待ちきれなかったのか、妻は昨日からSCCの練習に参加した。
ま、状態が良いということだと思うが、おおたさん達のアドバイスを聞きながら段階を経て上げていって欲しい。
肉離れの再発という、私のような失敗をしないために。
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2007年6月13日(水)
「悲しい別れ」
我が家の金魚が死んだ。
この金魚は、受験勉強で灰色の人生を送っていた当時の次女を癒してくれていた金魚だ。
次女が何とか大学受験を乗り切れたのも、この金魚のお陰だと思っていた。
その金魚が死んだのだから、次女の落胆は想像に難くない。
その死を知らせるメールを妻が次女に送ったら、「何で授業中に教えるの〜」と返信が来た。
前回、別の金魚が死んだ時も、やはり同じように妻がメールで知らせた。
大学入試の合格発表のボードを見に行っていた次女は、丁度、ボードの前にいる時にメールを受け取り、思わず声を出してその場に泣き崩れ、周りにいた人達に「可哀想に。不合格だったのね」と思われ、友達に慰められた(笑)
さて、今回は、どのようなことになったのだろうか。
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2007年6月12日(火)
「ジャンプ」
私の職場では朝礼の後にラジオ体操に似た体操をする。
その体操の中に連続してはねるジャンプがあるが、網膜剥離が発症して以来この3ヶ月半、医師から目に衝撃を与えてはイケナイと忠告されていたため、ジャンプ禁止を続けてきた。
今日、それ以来初めてジャンプをしてみた。出来るだけ軽く、衝撃を受けないように。
恐る恐るやってみたジャンプだったが、異常は無し。
一応ホッとした。
少しずつ少しずつ、復帰に向けて進んでいる。だから焦らずに頑張ろう。
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2007年6月11日(月)
「妻の肉離れ」
週末は2ヶ月半振りに帰省してきた。
10日が経過した妻の肉離れは、今のところ順調に回復していた。
ところが調子に乗って「鴨池に練習に行く。」と言い出したので、自重するように言って聞かせた。
走りたくてたまらないとは、やっぱり陸上中毒患者である(笑)
今朝の屋久島は爽やかな風が吹いている。
いったい梅雨はどこに行った?
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2007年6月7日(木)
「久しぶりの帰省」
今日は午後から鹿児島市に出張。
二ヶ月半振りの帰省だ。なかなか帰れなかったので素直に嬉しい。
とは言っても、SCCの皆さんと鴨池で一緒に練習が出来ないのは残念。
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2007年6月6日(水)
「記録的な体脂肪率」
最近飲み会が多い。
昨夜も飲み会。
だから体脂肪率が上がらないように、1日3食の中で細かい注意をしている。
それが網膜剥離が完治してからのスムーズな練習再開に結びつく。
その成果だろうか、昨日の体脂肪率は過去最低の数値。
13.3%だ。
少し低すぎる気がしないでもないが、無用の脂肪が付いているよりは遙かに良い。
ちなみに体重は71.5キロ。
妻の肉離れは順調に治癒している。
実は、痛みが無くなってからが本当の治療なのだが、、そこのところを妻は分かっているかな。
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2007年6月5日(火)
「復活に向けた準備始動」
前回の病院での検査で、医師に色々質問した結果、「強い衝撃はダメだが、力を入れるのは少しぐらいなら良いでしょう」というようなことを言われた。
したがって、走ったり、ジャンプ系のトレーニングをすることは出来ないが、衝撃が少ない登山なら復活に向けた良いトレーニングになるだろうと思って、最近意識的に登山をしている。
もちろん登山は持久系の運動だから速筋を鍛えることは出来ない。
しかし、情けないほど衰えた筋力を少しずつ回復し、その次にあるスピード系、パワー系のトレーニング再開に向けた準備にはなる。
それに急峻な坂道を登ると「はぁはぁ、ぜぇぜぇ」とかなり喘ぐので、少しは心肺機能の再生にもつながるハズ。
そんなことで、登山トレーニングで復活に向けた準備を開始したこの頃である。
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