2007年4月30日(月)
   「標準タイムの2倍」 

 網膜剥離のために険しい山に登るのは無理だが、ハイキング程度のコースである白谷雲水峡なら大丈夫だろうと思って、昨日、白谷雲水峡に行って来た。
 ゴールデンウイークに入っていたため、白谷雲水峡も沢山の人が来ていた。
 
 一周3時間ほどのコースを、眼球内の硝子体に衝撃を与えないように(硝子体に衝撃を与えると網膜が引っ張られて剥がれてしまう。)、気を付けながらゆっくりゆっくり、そろりそろりと歩いた。
 いつもなら、前の人をどんどん抜き去って登っていくのに、今回は、後ろから来る人に道を譲りながらの山歩き。
 このように後から来る人に道を譲るのが癖になって、陸上の大会に出たとき、うっかり同じように「どうぞお先に」と譲ってしまうかも知れない(笑)

 結局、標準所用時間の2倍近くの時間をかけてゴール。
 何という遅さだろう。でも、歩けただけでも幸せなこと。
 ただ、ゆっくりとはいえ、実に3ヶ月半振りの運動らしい運動だったので、疲れ果てて夜はバッタンキュー。人の体が鈍るのはアッという間であることを改めて実感し、そして、そのことにガックリ(涙)
 
 


















2007年4月27日(金)
   「七色の架け橋」 

 アグレッシブな日記にしたいのに、いつの間にか闘病日記になっている。とほほ。
 いつになったら希望の光が差してくるのやら。
 そんなとき、ふと見上げた空に、七色に輝く奇麗な虹が。
 明日への架け橋かな。
 
 

















2007年4月24日(火)
   「トレーニングは食事管理」 

 網膜剥離による安静治療は取り敢えず6月末までの予定である。
 それまでは、一切のトレーニングが出来ない。
 しかし、7月になればトレーニングを再開できるかと言えば、それは未だ分からない。
 その時期にならないと医師にも分からないらしい。
 更に言えば、その時期になっても分からない場合があるとのこと。
 いずれにせよ、先行き不透明、どうなるかハッキリ分からない。
 本当に再び走れる日が来るのだろうかと、そのような不安まで抱いてしまう。
 そんなことを思う毎日。
 
 このような日々が続くと、気持ちが折れそうになる。
 しかし、もう一度、走るときの、あの風を切る感じを味わいたい、
 絶対、また走ることができるようになるハズ、
 そう思って、今は体脂肪を増やさないことがトレーニングだと自分に言い聞かせている。

 今日の体脂肪率15.9%
 運動をせずに安静を続けている割には、「食事管理トレーニング」の成果が出ている。













2007年4月22日(日)
   「闘いは続く」 

 昨日は網膜剥離の診察のため病院へ。7回目の治療。
 
 結果は、前回と変わりなし。
 網膜剥離の進行は無く、新たな剥離も無し。
 良し、やったー!と喜びたいところだが、当分の間は安静にしなければならない状況は変わらない。
 
 しかも、これ以上はレーザー手術による措置は限界とのこと。
 つまり、今、レーザーで焼き付けて剥離の進行を止めている患部が再び剥離を始めても、あるいは、新たな場所に剥離が生じても、レーザー手術ではもう止めることはできない。
 このため、少しでも異変を感じたら、直ちに病院に行くようにとの指示が今回もあった。
 その時は、例の恐ろしい手術をすることになる。おわぁ〜。

 今回の先生も網膜剥離や網膜裂孔の多さに驚き、そして、「う〜ん、これは頑張りましたね〜」と。
 ハ「はい、これまで診ていただいた先生達が一生懸命に治療をしてくれました。感謝しています。」
 医「いやいや、あなたですよ。」
 ハ「は?」
 医「これだけのレーザーに耐えるのは大変なハズですよ。よく頑張りました。」
 ハ「はい、大変でした・・・」

 先生のひと言に、涙がポロリとこぼれそうになったハッピードッグであった(笑)

 しかし、網膜剥離との闘いはまだ続く。
 









 








2007年4月19日(木)
   「発見!!おやじ10号殿のひ・み・つ」 
 
 秘密はいつかバレるもの。
 いつまでも隠しとおせるものではない。
 そして、その秘密がバレたとき、その影響は計り知れない大きな問題になる。私自身、これまで何度、妻に叱責されたことか。
 
 だから、秘密は作らない方が良い。
 物事はあくまでオープンに、それが今の情報公開時代の要請でもある。
 それに「秘密がバレはしないだろうか・・・」と不安な日々を送ることは、精神衛生上もよろしくない。

 多少、前置きが長くなってしまったが、我がSCCの会員に「おやじ10号」殿がいる。
 知る人ぞ知るおやじ10号なのだが、風の便りによると、この頃はSCCの練習に参加することが少なく、「おやじ10号さん?それ、だれ?」と言われても仕方がない幽霊会員状態らしい。
 知らない人のために若干紹介すると、SCCの3大宴会部長の一人である。
 じゃぁ。後の二人は誰かって?
 そりゃ〜、あ〜た、あの人とあの人ですよ(笑)
 
 え?それじゃ紹介にならないって?
 じゃぁ、もう少し。
 おやじ10号殿は昼間でも十分過ぎるほど存在感があってエネルギッシュなのだが、困ったことに、日が落ちて夜の街にネオンが灯る頃になると、その存在感は輪を掛けて大きくなる、実にパワフルな人なのだ。
 そのため、「あかつきの超特急」とも「ミッドナイト10号」殿とも呼ばれ、ある意味、畏敬の念を持って敬われている人でもある。
 
 しかし、時に、酔い潰れて列車に乗って終点まで寝込み、結局、最初からタクシーで帰った方が何倍も安上がりだったとか、そんな話題を惜しげもなく提供してくれるから、やっぱりギャグの帝王かも知れない。
 
 あれ、なかなか前置きが終わらないぞ。
 
 ということで、そのおやじ10号殿が、何と我々SCCの仲間に秘密にしていた隠し事があったのだ。
 その秘密を、我らのSCC特別サイバー捜査隊はあらゆる先端技術を駆使して解明し、遂に暴き出したのである。
 ドメインが10bai.comのリストラスプリンターを見るのを無上の喜びにし、人の10倍元気なおやじ10号殿が10ヶ月もの間隠し続けていた秘密とは・・・
 10という数字が奇しくも一致する時にバレたのも、運命と言えば運命かもしれない。

 本日、ここに、SCC特別サイバー捜査隊はおやじ10号殿の秘密を暴露し、プライバシーを白日の下にさらしてしまうことを決定した。
 さぁ、とくとご覧あれ〜。
 
      クリック → おやじ10号殿の秘密


 












2007年4月17日(火)
   「妻はスポーツ心臓です」 
 
 先日、妻が病院で健康診断を受けました。
 病気だとか、体の調子が悪いといったことではなく、パートに雇用されるための検査です。
 検査を受けた病院は、妻がいつも行っている行きつけの病院です。
 ちょっと体調が悪くなると、妻はその病院で点滴を受けて元気を回復し、再びSCCの練習に出かけています(笑)
 だから先生も妻が陸上競技をしていることを良く知っています。

 その検査の中で、心拍数は47でした。
 とても少ないことに、居合わせた看護士さんが驚いたそうですが、先生は「これはスポーツ心臓ね」と言ってカルテに「スポーツ心臓」と書き込んだそうです。
 普通の人の心拍数は60〜70回ほど。
 肉体だけでなく、心臓までもがすっかり陸上バージョンになっていたんですね。

 それにしても驚きです。
 心拍数47なんて、私がハードなトレーニングをしていた20代前半の頃と同じではないですか。
 今の私は50ぐらいですから、私よりもスポーツに特化した心臓になっています。
 

 妻の進化をよそに、私は肉離れ→網膜剥離のために3ヶ月間、まったくトレーニングをしていません。
 いや、していないどころから、網膜剥離になってからのこの二ヶ月は、目に衝撃を与えてはいけない、力を入れることをしてはいけないと医師に指示されて泣く泣く安静にしています。だから普通の人よりも今は運動量が格段に少ないです。
 先生に「軽い散歩なら良い」と言われましたので、昨日は30分ほど散歩に行きました。
 が、わずか30分ほどの、途中で立ち止まって景色を見ながらのゆっくりした散歩なのに、後半は息切れがしてしまったではありませんか。
 入院患者と同じような生活をしているからでしょうね。
 あまりにも体力が低下していることに、正直ショックを受けています。

 しかし、まだ、この先二ヶ月半は安静が必要。
 先は長いです。
 走りたいという欲望との闘いが続きます。



















2007年4月15日(日)
   「遺体の収容作業に協力できますか?」 
 
 今日は屋久島でのエコツアーガイド歴35年の荒田洋一さんをご紹介します。

 その前に、いくら何でも他人の個人名を出したら個人情報保護上、イカンではないか、ハッピードッグもボケが進行してきたのか、と思われるかも知れませんが、まぁ、確かにボケは進行していますけど、荒田洋一さんは自らHPで名前を公開していますので大丈夫です。

 荒田さんは樹木医の資格も持っており、縄文杉の治療もしています。
 ここ最近、縄文杉は、心ない登山者に表皮をはぎ取られたり、あるいは、雪の重みで大きな枝が折れたりと苦難が続いていますが、荒田さん達が何とか治療を施して守ってます。
 縄文杉を守っている荒田さん自身は、縄文杉への登山のガイドは積極的ではないでようです。
 屋久島は縄文杉だけでは無い、もっと魅力的なところがほかにもある、そのような自負からでしょうか。

 現在、屋久島には自称も含め「ガイド」業に従事している人は、200人近くいます。
 この数は、小さな屋久島にしてはとても多い数字ではないかと思いますが、その中でも、荒田さんが一番長いガイド歴です。
 多くのガイドが、屋久島が世界自然遺産に登録された以降にガイド業を始めたことに比べれば、いかに荒田さんがベテランであることが分かります。
 もちろん長いだけでなく、屋久島の自然のことも文化のことも、とても良く知っています。それらを相手のレベル、ニーズに合わせてガイドをするのをモットーにしている人です。
 知識の押し売りなんかは決してしないし、独りよがりのガイドもしません。あくまでも相手のことを中心に考えガイドをする、だから、日本エコツーリズム協会が選んだ「このガイドさんに会いたい100人」のガイドに選ばれたのでしょう。
 本当にプロのガイドなの?と思うような一部のガイドに比べ、荒田さんはプロ意識の高い、信頼できるガイドです。

 今年2月、宮之浦岳山頂付近で、登山者が凍死する残念な遭難事故がありましたが、このとき荒田さんは、凍死された人を発見して通報してくれただけでなく、私たちの同僚がヘリで遺体を収容するまで現場にとどまって遺体を見守り、しかも遺体にシートを被せるなどの丁寧な措置をしてくれています。
 お客さんを連れてガイド中であったにも関わらず予定を変更してのことです。頭の下がる思いがしました。
 蛇足ながら、荒田さんが案内していた登山客の一人が、たまたまお坊さんの資格を持っている人だったため、亡くなられた方に現場でお経を唱えられたたそうです。
 凍死とうい不幸な結果にはなったものの、荒田さんやその登山客の方の心遣いに、亡くなられた方も少しは成仏できたのではないかと思いました。 
 このような貢献に対して何のお礼もできないのが辛いところですが、たった1枚の紙切れを荒田さんにお渡しし、感謝の気持ちを伝えました(荒田さんの4月12日の日記)
 

       
                   宮之浦岳  拡大写真→クリック(アルバムのNo16)


 ところで、荒田さんを「このガイドさんに会いたい100人」に推薦した人の名前を見て、SCCの人達なら「どこかで聞いたような名前だな〜」と気付かれたかも知れませんね。
 この推薦人の日下田さんは屋久島のカメラマンとして全国的に有名な人で、著書が何冊もある人ですが、その人と同じ姓のコーチがSCCにもいますよね、はい、例の怪物リョウです。このお二人、親子です。芸術派・エコ派の父と怪物的肉体・攻撃的競技精神の息子、う〜ん、よく分からないな〜(笑)

 














2007年4月13日(金)
   「寡黙なお猿」 
 
 
  


 この写真ですか?
 ゴリラかって?
 いやいや違います。
 ヤクザル?
 いや、それも違います。



 これ、今の私です。
 走れない私です。
 への字に固く結んだ口が全てを物語っています。
 走りたい、だぁ〜〜〜と気合いを入れて走りたい、でも網膜剥離が怖い、
 であれば我慢するしかない、
 今は黙って耐えるのだ、そんなことを繰り返し繰り返し一人で考えている寡黙な申年生まれの私です。

  
 こんな私を見てみたい人は、屋久島の宮之浦から白谷雲水峡に1キロほど行って下さい。
 そこにある橋の欄干に座っていますので、直ぐ分かると思います。
 もちろん、今は何も話したくないので、話し掛けられても返事はしません。黙して語らずなのです。悪しからず。
 

 












2007年4月11日(水)
   「パキラ」 
 
 職場の私の部屋にあるパキラの木が新芽を開いています。
 出てきたばかりの新鮮な緑に心が洗われます。
 初々しいって、良いですね。
 見ているだけで希望を感じます。

 パキラと言えばこの人→パキラの木


                
 

 この写真は、昼休み時間に、網膜剥離でない方の目でピント合わせをしました(笑)
 これ、50mmの単焦点レンズです。抜けの良さ、解像度、発色、背景のボケ具合がズームレンズとは格段の違いです。
 小さな子どもをお持ちのお父さん、お母さん、子どもの写真は単焦点レンズで撮ってあげましょう。モデルのような写真になりますよ。
 え、うちの子は元々世の中で一番可愛いって?これは失礼しましたぁ〜。
















2007年4月9日(月)
   「WindowsをVistaにUG」 

 単身先のPCのOSをWindows XPからVista Home Premiumにアップグレードしました。
 マイクロソフトが目論んでいたほど売れてないようですが、なるほどです。
 さして劇的なメリットは今のところ見あたりません。
 Vistaは、セキュリティー機能が強化されたことが一つの目玉になっていますが、ウイルスソフトをインストールしているユーザーには、それほど大した改善ではないし、家庭で使うには、管理権限の強化はかえって煩わしく思えます。
 まぁ、安定していたXPよりも更に安定しているそうですから、デジカメのRAW画像を現像するのには良いですね。RAWを現像するときは、RAWデータそのものが10MBほどあって大きい上に、同時にいくつもの重〜いソフトを使うので、PCの「安定」は魅力です。
 
 ただ、デュアルコア(3.4GHz)+メモリー4GB(1GB・デュアルチャンネル対応×4枚差し、認識3.5GB)と、ほぼ最強のスペックに近い私のPCでさえ、ちょっと重く思えるのですから、Vstaを快適に動かすには、ある程度のマシン性能が必須のようです。
 ちなみにXPでは、物理メモリーの消費は、だいたい500〜600MBだったのに、Vistaは900MB前後です。RAWデータを複数現像すれば、その数字はバーンと跳ね上がります。すごくメモリーを食いますね。Vistaをインストールする場合の推奨メモリーが1Gであることが良く分かりました。  
 CPUも度々100%域に達します。 
 ま、ワープロソフトやエクセルなどのソフトを使う程度だったら、CPUもメモリもさしてハイスペックである必要はないかもしれません。

 Vistaを置くCドライブは、XPでは55GBを割り当てていましたが、Vistasは最低40GBのHDDが必要と書いてありましたので、パーティーションを切り直して80GBにしてVistaを入れました。データは、システムが壊れた時のためにCドライブ以外に保存し、Cドライブはアプリケーションだけを入れるようにしているので、Cドライブに80GBも割り当てるのは少しもったいないのですが、PCのパフォーマンスが下がらないようにするためには、HDDの空き容量の確保も一つの方法ですので、ま、いいか。
  
 UGする前に、ハード、ソフトの各メーカーがVista用に出しているアップデートモジュールやドライバー、パッチをダウンロードして、VistaへのUG対策をしました。
 しかし、Vista対応をしていないソフトも沢山あり、これらのソフトが動くかどうか心配していましたが、互換性機能を使ったりしたら、大部分は動いてくれました。気をつけないといけないのは、マイクロソフトの注意書きに出てくるように、動作保証のないソフトはVista自体の動作に不具合を生じる恐れがありますので、このあたりは自己判断と自己責任で行う部分ですね。
  
 NTTはVista用のADSL,光のインターネット接続ツールのアップデートを未だ出していませんので、XPをVistaにUGするとインターネットにつながらなくなります。
 このため、インターネット接続設定を、手動でPPPoE接続設定することになります。少々インターネットに知識にある人なら難しい設定ではありません。おじさんの私が1発で出来るのですから誰でも出来るでしょう。

 さて、これからボチボチと使っていくことにします。本当の評価はこれから、ということになります。
 95→98→Me→XP→Vistaと使ってきて、ビル・ゲイツ氏に貢献しております。彼の資産からすれば、砂漠の一粒の砂にもならないかもしれませんが(笑)


















2007年4月8日(日)
   「6回目の診察」 

 昨日、網膜剥離の検査に病院に行って来ました。
 6回目の通院になります。
 これまでの5回は毎回レーザー手術。今回もそうかなと心配して行きましたが、前回以降、進行している箇所や新たに発生した箇所はなく、初めてレーザー手術はありませんでした。ホッとしたのが正直な感想。
 しかし、まだまだ安静治療が続きます。
 何も出来ないかと思うと湯鬱になりますが、完治すればまた走ることが出来る!、と、それを励みに、耐えることにします。
 
 昨日はSCCの練習日。
 いつも、どのような練習メニューで、誰が来たか、それを妻に聞くのが楽しみです。
 

 今日も、これから仕事。
 う〜ん、曜日の感覚が益々なくなってきたな〜。












2007年4月6日(金)
   「姉」 


       

 上の写真は私の万年筆です。このほかにも少しあります。
 これまで何本もの万年筆を壊したり、フィリングが合わずに捨てたりして、その度に新しいものを買う、そんなことを繰り返しながらやってきました。 
 21年前に世に登場して間がないワープロを使い始め、その後は14年前からパソコン(98シリーズです。ランファイルにランプラン、懐かしいぃぃ。)になり、文書を作る仕事のほとんどはキーボードでやってきましたが、やはり手書きでなければならないときもあります。
 そのような時に使うのが万年筆。ソフトな書き心地が良いです。
 以前は、色々なメーカーのものを使っていましがた、今はパーカーにしています。

 写真の1番上の万年筆、
 これは私の大学の卒業記念に、当時お付き合いをしていた女性から貰ったもの。
 27年も前にもらったのに、今でも使えます。
 きっと良い万年筆をくれたのですね。
 この万年筆を取り出すたびに、その女性とお付き合いをしていた頃を思い出します。
 その女性の気持ちを忘れないためにも、大切にしている万年筆です。


 その女性は誰かって?


 ・・・


 いいから教えなさいって?





 もう、直ぐにそんなことを聞くんだから。








 そんなの、妻に決まっているでしょう、妻に。ほかの女性から貰っていたら、こんなこと、書けません(汗)

  
 2番目と3番目は自分で買った万年筆。


 4番目は、以前、NHKのクローズアップ現代に出演したときに、NHKから記念にいただいたもの。たまたまパーカーでした。


 5番目の万年筆。
 写真ではよく分かりませんがメッキは剥げ、もうボロボロ。ペン先も折れて使えません。
 でも、この万年筆は捨てることが出来ません。
 それは、この万年筆は、私が中学校に入学した時に、たった一人の姉がお祝いにくれたものだからです。
 高校、大学、就職、結婚、転勤、引っ越しと色々ありましたが、この37年間、この万年筆は、いつも私の近くにあります。
 
 姉との年の差は七つ。
 歳が離れているのは異母姉弟だからです。
 姉の実母は、姉がまだ小さいときに病気で亡くなりました。
 その後、父が再婚し、私が生まれました。
 姉は私をとても可愛がってくれました。いくら記憶をたどっても、姉に怒られたりケンカをした記憶がありません。
 あるのは、いつもニコニコしている姉の顔です。
 駄々をこねる私をオンブしてくれたり、遊びの相手をしてくれたりと、そんな優しかった姉の思い出だけしかありません。
 泣いている私の手を握って幼稚園に連れて行ってくれたこともありました。
 幼稚園が終わる頃には、学校帰りの姉が迎えに来てくれていました。
 異母姉弟と言っても、今までそのようなことを気にした事はないし、これからもそうでしょう。
 姉は姉、優しい姉でしかありません。
 その姉からもらった万年筆だからいつも近くにおいています。宝物、なのです。


 









         


2007年4月5日(木)

   「明日は入学式」

 明日、多くの学校で入学式が行われます。そして、新学年のスタートでもあります。
 大学では今日、入学式をするところもあるようです。 
 入学式やら新学年やら、そんなことにはとうの昔に縁が無くなっている私でも、この時期はワクワクします。同時に身が引き締まる思いもします。
 1年の大きな節目であって、新たなスタートの時だからでしょうね。
  
 木々もそれを知っているかのように、一斉に芽を吹き出してきました。

 













2007年4月4日(水)

   「屋久島に来て1年経過」

 昨年の3月23日に屋久島に来てから早いもので1年が経過。

 昨年は10月の全九州マスターズ大会で100mと400mで自己新記録を出せたことから、よし、来年の全国大会は頑張るぞと、全日本マスターズを今年の目標にしていたのに、今の目の状態では無理なようです。
 これからの1年、残念ながら強いモチベーションがなくなりました。
 ただでさえ一人の練習はきついのに、安静を続けなければならないことが、気持ちの低下を招いています。
 医師には、最低3ヶ月は安静、その先はその時の症状で判断するしかないと言われています。
 陸上に復帰できるのだろうかと、そんな不安が出てきます。
 先が見えないというのは、このようにも不安なものなのでしょうか。分からない先のことを心配する愚かなことはしたくないのですが、やはり心配で不安になります。
 
 とか何とか思っても仕方がありません。
 時の流れに身を任せることにします(笑)














2007年4月2日(月)

  「思わぬ人とバッタリ」
 
 昨日、単身先に住み着いている野良猫の避妊手術をするために、動物病院に行きました。
 手術が終わるまでしばらく時間があったので、近くの散策へ。
 すると、私の名前を呼ぶ人が。
 誰だろうとおもったら、まぁ、ダイスケではありませんか。
 春休みで帰って来ていたのですね。
 
 ダイスケと会えばもちろんSCCの話になります。
 50mダッシュ王選手権が盛り上がったこと。
 最近は新しいスタッフが加わり、更にフレッシュ&元気になっていること。
 楽しそうに話してくれました。
 こういう話をきくと嬉しいですね。
 
 話している途中で突然雨が降り出しましたが、私は網膜剥離のために走って避難することができません。
 代わりにダイスケがダッシュで家に戻って傘を持ってきてくれました。さすがに速い。


 ダイスケも今年は3年生。来年は就職を考えなければなりません。
 うちの採用試験を受けるようスカウト活動をして(笑)、そして、おおたさんによろしくとの伝言をして分かれました。
 
 












2007年4月1日(日)
 
  「屋久島は既に扇風機」
 
 あらら、今日は4月1日。この前正月が来たと思っていたら、もう新年度です。
 ということは今年も既に4分の1が経過。時間が過ぎ去るのが早すぎる!と感じるのは年のせいらしいですね。
  
 一昨日、3月の気温としては、観測史上最高の28.8度を記録した屋久島。
 昨日も暑かったです。27度まで上がりました。夜になっても気温が下がらず、9時の時点で室内温度が25.5度。
 扇風機の出番となりました。  

     


 網膜剥離の進行防止のために、医師から安静にすることを指示されていますが・・・
 だんだん苦痛になってきました。 

 今日も仕事。
 この3週間、まともな休みがありません。
 たぶん、この先一ヶ月も同じような状態かな。
 
 ただ、今日は、午後から手術のために病院に行きます。
 あ、私の手術ではありません。
 単身先の家に住み着いている野良猫の避妊手術のためです。













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(2007年4月分)
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