2007年4月11日(水)
「パキラ」
職場の私の部屋にあるパキラの木が新芽を開いています。
出てきたばかりの新鮮な緑に心が洗われます。
初々しいって、良いですね。
見ているだけで希望を感じます。
パキラと言えばこの人→パキラの木
この写真は、昼休み時間に、網膜剥離でない方の目でピント合わせをしました(笑)
これ、50mmの単焦点レンズです。抜けの良さ、解像度、発色、背景のボケ具合がズームレンズとは格段の違いです。
小さな子どもをお持ちのお父さん、お母さん、子どもの写真は単焦点レンズで撮ってあげましょう。モデルのような写真になりますよ。
え、うちの子は元々世の中で一番可愛いって?これは失礼しましたぁ〜。
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2007年4月9日(月)
「WindowsをVistaにUG」
単身先のPCのOSをWindows XPからVista Home Premiumにアップグレードしました。
マイクロソフトが目論んでいたほど売れてないようですが、なるほどです。
さして劇的なメリットは今のところ見あたりません。
Vistaは、セキュリティー機能が強化されたことが一つの目玉になっていますが、ウイルスソフトをインストールしているユーザーには、それほど大した改善ではないし、家庭で使うには、管理権限の強化はかえって煩わしく思えます。
まぁ、安定していたXPよりも更に安定しているそうですから、デジカメのRAW画像を現像するのには良いですね。RAWを現像するときは、RAWデータそのものが10MBほどあって大きい上に、同時にいくつもの重〜いソフトを使うので、PCの「安定」は魅力です。
ただ、デュアルコア(3.4GHz)+メモリー4GB(1GB・デュアルチャンネル対応×4枚差し、認識3.5GB)と、ほぼ最強のスペックに近い私のPCでさえ、ちょっと重く思えるのですから、Vstaを快適に動かすには、ある程度のマシン性能が必須のようです。
ちなみにXPでは、物理メモリーの消費は、だいたい500〜600MBだったのに、Vistaは900MB前後です。RAWデータを複数現像すれば、その数字はバーンと跳ね上がります。すごくメモリーを食いますね。Vistaをインストールする場合の推奨メモリーが1Gであることが良く分かりました。
CPUも度々100%域に達します。
ま、ワープロソフトやエクセルなどのソフトを使う程度だったら、CPUもメモリもさしてハイスペックである必要はないかもしれません。
Vistaを置くCドライブは、XPでは55GBを割り当てていましたが、Vistasは最低40GBのHDDが必要と書いてありましたので、パーティーションを切り直して80GBにしてVistaを入れました。データは、システムが壊れた時のためにCドライブ以外に保存し、Cドライブはアプリケーションだけを入れるようにしているので、Cドライブに80GBも割り当てるのは少しもったいないのですが、PCのパフォーマンスが下がらないようにするためには、HDDの空き容量の確保も一つの方法ですので、ま、いいか。
UGする前に、ハード、ソフトの各メーカーがVista用に出しているアップデートモジュールやドライバー、パッチをダウンロードして、VistaへのUG対策をしました。
しかし、Vista対応をしていないソフトも沢山あり、これらのソフトが動くかどうか心配していましたが、互換性機能を使ったりしたら、大部分は動いてくれました。気をつけないといけないのは、マイクロソフトの注意書きに出てくるように、動作保証のないソフトはVista自体の動作に不具合を生じる恐れがありますので、このあたりは自己判断と自己責任で行う部分ですね。
NTTはVista用のADSL,光のインターネット接続ツールのアップデートを未だ出していませんので、XPをVistaにUGするとインターネットにつながらなくなります。
このため、インターネット接続設定を、手動でPPPoE接続設定することになります。少々インターネットに知識にある人なら難しい設定ではありません。おじさんの私が1発で出来るのですから誰でも出来るでしょう。
さて、これからボチボチと使っていくことにします。本当の評価はこれから、ということになります。
95→98→Me→XP→Vistaと使ってきて、ビル・ゲイツ氏に貢献しております。彼の資産からすれば、砂漠の一粒の砂にもならないかもしれませんが(笑)
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2007年4月8日(日)
「6回目の診察」
昨日、網膜剥離の検査に病院に行って来ました。
6回目の通院になります。
これまでの5回は毎回レーザー手術。今回もそうかなと心配して行きましたが、前回以降、進行している箇所や新たに発生した箇所はなく、初めてレーザー手術はありませんでした。ホッとしたのが正直な感想。
しかし、まだまだ安静治療が続きます。
何も出来ないかと思うと湯鬱になりますが、完治すればまた走ることが出来る!、と、それを励みに、耐えることにします。
昨日はSCCの練習日。
いつも、どのような練習メニューで、誰が来たか、それを妻に聞くのが楽しみです。
今日も、これから仕事。
う〜ん、曜日の感覚が益々なくなってきたな〜。
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2007年4月6日(金)
「姉」
上の写真は私の万年筆です。このほかにも少しあります。
これまで何本もの万年筆を壊したり、フィリングが合わずに捨てたりして、その度に新しいものを買う、そんなことを繰り返しながらやってきました。
21年前に世に登場して間がないワープロを使い始め、その後は14年前からパソコン(98シリーズです。ランファイルにランプラン、懐かしいぃぃ。)になり、文書を作る仕事のほとんどはキーボードでやってきましたが、やはり手書きでなければならないときもあります。
そのような時に使うのが万年筆。ソフトな書き心地が良いです。
以前は、色々なメーカーのものを使っていましがた、今はパーカーにしています。
写真の1番上の万年筆、
これは私の大学の卒業記念に、当時お付き合いをしていた女性から貰ったもの。
27年も前にもらったのに、今でも使えます。
きっと良い万年筆をくれたのですね。
この万年筆を取り出すたびに、その女性とお付き合いをしていた頃を思い出します。
その女性の気持ちを忘れないためにも、大切にしている万年筆です。
その女性は誰かって?
・・・
いいから教えなさいって?
もう、直ぐにそんなことを聞くんだから。
そんなの、妻に決まっているでしょう、妻に。ほかの女性から貰っていたら、こんなこと、書けません(汗)
2番目と3番目は自分で買った万年筆。
4番目は、以前、NHKのクローズアップ現代に出演したときに、NHKから記念にいただいたもの。たまたまパーカーでした。
5番目の万年筆。
写真ではよく分かりませんがメッキは剥げ、もうボロボロ。ペン先も折れて使えません。
でも、この万年筆は捨てることが出来ません。
それは、この万年筆は、私が中学校に入学した時に、たった一人の姉がお祝いにくれたものだからです。
高校、大学、就職、結婚、転勤、引っ越しと色々ありましたが、この37年間、この万年筆は、いつも私の近くにあります。
姉との年の差は七つ。
歳が離れているのは異母姉弟だからです。
姉の実母は、姉がまだ小さいときに病気で亡くなりました。
その後、父が再婚し、私が生まれました。
姉は私をとても可愛がってくれました。いくら記憶をたどっても、姉に怒られたりケンカをした記憶がありません。
あるのは、いつもニコニコしている姉の顔です。
駄々をこねる私をオンブしてくれたり、遊びの相手をしてくれたりと、そんな優しかった姉の思い出だけしかありません。
泣いている私の手を握って幼稚園に連れて行ってくれたこともありました。
幼稚園が終わる頃には、学校帰りの姉が迎えに来てくれていました。
異母姉弟と言っても、今までそのようなことを気にした事はないし、これからもそうでしょう。
姉は姉、優しい姉でしかありません。
その姉からもらった万年筆だからいつも近くにおいています。宝物、なのです。
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2007年4月5日(木)
「明日は入学式」
明日、多くの学校で入学式が行われます。そして、新学年のスタートでもあります。
大学では今日、入学式をするところもあるようです。
入学式やら新学年やら、そんなことにはとうの昔に縁が無くなっている私でも、この時期はワクワクします。同時に身が引き締まる思いもします。
1年の大きな節目であって、新たなスタートの時だからでしょうね。
木々もそれを知っているかのように、一斉に芽を吹き出してきました。
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2007年4月4日(水)
「屋久島に来て1年経過」
昨年の3月23日に屋久島に来てから早いもので1年が経過。
昨年は10月の全九州マスターズ大会で100mと400mで自己新記録を出せたことから、よし、来年の全国大会は頑張るぞと、全日本マスターズを今年の目標にしていたのに、今の目の状態では無理なようです。
これからの1年、残念ながら強いモチベーションがなくなりました。
ただでさえ一人の練習はきついのに、安静を続けなければならないことが、気持ちの低下を招いています。
医師には、最低3ヶ月は安静、その先はその時の症状で判断するしかないと言われています。
陸上に復帰できるのだろうかと、そんな不安が出てきます。
先が見えないというのは、このようにも不安なものなのでしょうか。分からない先のことを心配する愚かなことはしたくないのですが、やはり心配で不安になります。
とか何とか思っても仕方がありません。
時の流れに身を任せることにします(笑)
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2007年4月2日(月)
「思わぬ人とバッタリ」
昨日、単身先に住み着いている野良猫の避妊手術をするために、動物病院に行きました。
手術が終わるまでしばらく時間があったので、近くの散策へ。
すると、私の名前を呼ぶ人が。
誰だろうとおもったら、まぁ、ダイスケではありませんか。
春休みで帰って来ていたのですね。
ダイスケと会えばもちろんSCCの話になります。
50mダッシュ王選手権が盛り上がったこと。
最近は新しいスタッフが加わり、更にフレッシュ&元気になっていること。
楽しそうに話してくれました。
こういう話をきくと嬉しいですね。
話している途中で突然雨が降り出しましたが、私は網膜剥離のために走って避難することができません。
代わりにダイスケがダッシュで家に戻って傘を持ってきてくれました。さすがに速い。
ダイスケも今年は3年生。来年は就職を考えなければなりません。
うちの採用試験を受けるようスカウト活動をして(笑)、そして、おおたさんによろしくとの伝言をして分かれました。
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2007年4月1日(日)
「屋久島は既に扇風機」
あらら、今日は4月1日。この前正月が来たと思っていたら、もう新年度です。
ということは今年も既に4分の1が経過。時間が過ぎ去るのが早すぎる!と感じるのは年のせいらしいですね。
一昨日、3月の気温としては、観測史上最高の28.8度を記録した屋久島。
昨日も暑かったです。27度まで上がりました。夜になっても気温が下がらず、9時の時点で室内温度が25.5度。
扇風機の出番となりました。
網膜剥離の進行防止のために、医師から安静にすることを指示されていますが・・・
だんだん苦痛になってきました。
今日も仕事。
この3週間、まともな休みがありません。
たぶん、この先一ヶ月も同じような状態かな。
ただ、今日は、午後から手術のために病院に行きます。
あ、私の手術ではありません。
単身先の家に住み着いている野良猫の避妊手術のためです。
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