2007年3月30日(金)
   「可憐なベニコブシ」

 写真は、鹿児島市の自宅の庭に咲いたベニコブシ。 
 シデコブシの変種と言われています。
 シデコブシは白い花、対してベニコブシはうっすらとピンク色の花びらをつけます。とっても可憐です。
 我が家のお気に入りの花です。 

        
                 クリック→拡大画像
       撮影 3月17日 


 一昨日の水曜日はSCCの練習日。
 でも、その前にあった50mダッシュ王選手権の疲れからか、練習に来た人は少なかったそうです。
 特にマスターズ軍団は忍び寄る年には勝てなかったのでしょうか、誰も来なかったとか。
 あ、いやいや、そんな中、一人だけ練習に現れたそうです、たった一人だけ。
 それは誰かって?
 もちろん私の妻です(笑)
 
 今日の鹿児島は25度に温度が上がることが予想されています。
 暑そう。

 少し前、帰省したばかりなのに、福岡に住んでいる、今度大学2年生になる次女がホームシックになったようです。
 このため、今朝、長女が次女のところに行くことになりました。
 「おね〜ぇちゃ〜ん、ちゃびしいよ〜」と言ってきたそうで(爆)
 けんかをしたり、慰め合ったりと、楽しい姉妹です。















2007年3月28日(水)
   「如竹通りが呼んでいる」

 今朝の屋久島は、昨日の雨が嘘のような快晴。青空が目にまぶしいです。



 単身先の自宅から歩いて2〜3分のところにある如竹通り。
 ここは私の屋久島でのトレーニング場。
 安房川沿いにあるこの通りの歩道は人通りが少なく、夜は街灯が点くので、陸上の練習をするにはもってこいの場所です。
 でも、腰方形筋の肉離れが治りかけた2月18日に、今度は網膜剥離であることが判明。それ以降、一切の運動が厳禁の状態・・・ 長いこと如竹通りから遠ざかっています。
 きっと、如竹通りも「そう言えば、一人で「だぁー」と言いながら練習をしていた、あの変な中年男を最近とんと見ないな〜」と思っているかも知れません。

 いつか戻るから待ってておくれ、如竹通りさん。 
  

         


 









2007年3月26日(月)
   「50mダッシュ王選手権」

 昨日は、2年連続で出られなかった50mダッシュ王選手権の日。

 その様子をテレビのニュースで見ました。天気も良く絶好のコンディションだったようです。
 今回、Yしえい君も陸上デビューしたんですね。Yしえい君を「先導」していた、おおた理事長の表情が真剣でした(笑)
 ヌルママさんの弾丸のようなスタートは相変わらず。テレビを見ていた人はきっとビックリしたでしょう。 
 ユウキもさすがでした。 

 自分の記録に驚いたのが妻です。
 驚くのも無理はありません。これまで出たダッシュ王選手権の中で最高のタイム、自己新だったのですから。
 SCCに入って陸上を始めてから丸5年。歳を書くと怒られますので具体的には書けませんが、後1〜2年で50になるというのに(笑)益々記録が伸びていきます。若い人なら分かるけど、中年ですよ、中年のおばさん!
 脱帽です。
  








  

2007年3月25日(日)
   「5回目のレーザー手術」

 昨日、網膜剥離の5回目のレーザー手術をしました。
 私が治療を受けている屋久島のT病院には常駐の眼科医がいないために、週に1回、全国各地の眼科医が交代で診療に来ます。
 今回は中部地方の某大学付属病院の眼科の先生。

 その先生曰わく
 「お〜、これはすごい、こんなに沢山の網膜裂孔は久しぶりに見ましたね〜。」

 汗、涙、落胆・・・
 ・・・ガックリしつつ先生に「気付くのが遅れたのでしょうか?」と質問。

 「いや、そんなことはないです。数が多いのと、網膜剥離が進行しているのとは違いますから。」

 「治りますか?」

 「治るかどうか分かりません。今言えるのは、レーザー手術でかろうじて網膜剥離の進行を食い止めているということです。」 
 
 「レーザーで焼き付けても再び進行することがあるんですか?」

 「ええ、ありますよ」

 「裂孔はもっと増えるのですか?」 

 「それも分かりません。眼球内の硝子体の収縮が今どの段階にあるかで違ってきます。硝子体は年をとることによって収縮しますが、そのときに網膜を引っ張って裂孔が出来ます。収縮のピークを過ぎているなら、これ以上は出来ないでしょうが、ピークが過ぎていなければ、まだ出来る可能性があります。油断しないで下さい。」

 ・・・再び落胆
 「陸上をやっているんですが、後どのくらいで練習を始められますか?」

 「これ以上悪化しないという前提で言えば、後3ヶ月は安静にして下さい。」

 「3ヶ月もですか!?」

 「これ以上悪化しなければの話ですよ。場合によってはもっと先になりますよ。」

 「・・・(ショック)」

 「このままレーザー手術で進行を止められれば良いけど、止められない時はバックリング手術などの眼球への直接の手術になります。それも念頭に置いていた方がいいでしょうね。」

 「・・・・(ダブルショック)」 
  
 この後、念入りに左右の目を検査していた先生が「いや〜、網膜裂孔が多過ぎて、どこにあったか忘れてしまいますよ〜」と言いながら、カルテに色々と書き込んでいました。
 そして、新たにレーザー手術をしなければならない箇所があることが判明し、結局、5回目のレーザー手術を受けることになりました。
 手術の途中で、あまりの痛さに「あうっ!」と声が出ると同時に、後ろにのけぞってしまいました。
 レーザーのパワーを上げ過ぎていたそうです。のけぞらない程度によろしくお願いします。ほんとにもう〜。
  

 今年は、全日本を目標にしていたのに、とても出場どころの話ではなくなってきました。残念。











2007年3月24日(土)
   「10日振りの更新の訳」

 久々に緊迫した事件が発生したため、日記の更新がままならず、10日振りの更新になりました。
 
 先週末、仕事で鹿児島市の自宅に帰省していたら、土曜日の夜中の2時過ぎに職場からの緊急の電話で起こされました。
 いつものこととは云え、やはり夜中の電話は悪い予感がします。
 その予感のとおり、電話の内容は職場全員の非常招集を必要とするものでした。直ちに職場に行きたかったのですが、何しろ屋久島は海の向こう。夜中だと交通手段がありません。
 そのまま朝まで電話で職場と連絡を取り、朝一番の7時40分発のトッピーで屋久島へ。

 そして、気が付いたら1週間が過ぎていました。休みも平日も毎晩深夜まで仕事をすると曜日の感覚がなくなります。
 えっ、もう1週間が過ぎたの?という感じです。
 
 守秘義務と個人情報の問題がありますので、事件の内容を書けないのが残念ですが、極めて特異な事件です。
 いつか紹介できる時がきたら・・・、いや、これは世間に公開できる話ではありません。

 そんなことで今日も仕事です。
 夕方になったら、網膜剥離の治療に行きます。
 1回目の手術をしてから5週間。さて、どうなっているでしょうか。この1週間、網膜剥離のことに構っていられなくなっていたので、ちょっと心配です。
  
  
 いよいよ、明日は50mダッシュ王選手権!
 2年連続で出場できませんが、皆さんの激走を屋久島から応援します。 
















2007年3月14日(水)
   「振り子爆弾」

 網膜剥離を体験した人たちのブログを読めば読むほど、網膜剥離を甘く見てはいけないことが分かってきました。
 3回も入院した人、二ヶ月も入院した人、パックリングはもちろんのことあらゆる手術をした人・・・
 目の手術は、麻酔を完全にかけると眠ってしまって、手術中に目が動くので手術が難しくなる、だから局部麻酔はするけどあまり効かない、よって激痛を伴う・・・
 読んでいて、だんだん怖くなってきました。 
 
 もちろん順調に治癒した人もいます。しかし、全ての人がうまく行くとは限らないのが網膜剥離。
 だから怖い病気なのですね。

 網膜剥離には予防方法がありません。発生してから手術で治療するしかない病気です。薬も効かないのです。
 これまで4回のレーザー手術を受けましたが、4人の医者が口をそろえて「これで治るとは限りません。レーザーで剥離の周囲を焼いてくっ付け、剥離の進行を止めてあるだけですから。」と言いました。それを聞くたびにガックリです。
 「覚悟はしていてください」とも言われましたし、「う〜ん、これはアカンかもな〜」とつぶやいた医者もいます。
 そんなの聞こえないように呟いてよ、と言いたくなりました。

 対人爆弾の一つに、振り子爆弾というのがあります。
 時限爆弾はタイマーがセットしてあって、合わせた時間になれば爆発しますが、振り子爆弾は鞄などに見せかけて、何だろうと思って人が触った瞬間に爆発する爆弾です。 
 下手に動かすと爆発する、何だか網膜剥離も振り子爆弾と同じです。
 時限爆弾なら回線を切断して爆発するのを止めることもできるけど、振り子爆弾はそれをすることが出来ない。恐る恐る様子を見るしかないのです。
 今の私がその状態です。
 陸上への復帰はいつになるやら、です。 

 
 暗い話ですね。
 気分転換に屋久島の安房川の写真を貼ります。
 ちょうど、太陽が屋久島の山並みに沈んでいくところですが、夕焼けはまったくありません。
 空気が乾燥しているということですね。
 作家の林芙美子が「一月に35日雨が降る」と言った屋久島とはいえ、やはり冬は雨が少なく、空気が乾燥しています。
 お陰で洗濯物がよく乾いて助かります。あれ、生活の臭いが(笑) 


      
                     拡大画像→屋久島の写真館
 安房大橋からまんてん橋(赤い橋)方向を撮った写真です。太陽が沈む方向に縄文杉があります。今、縄文杉は雪が積もっています。今年の冬は雪の縄文杉を撮りたかったのに、網膜剥離め! 
 (写真はPhotomatix ProでHDR処理をしています。)     














2007年3月11日(日)
   「4回目のレーザー手術」

 今朝、網膜剥離で治療中の目に少し異常を感じました。霞が掛かったように霞んだのです。
 次の検査は2週間後の予定でしたが、ちょっとでも異常を感じたら直ちに検査を受けるように医師から指示を受けていましたので、直ぐに病院に電話をして検査を依頼。
 目の霞は、当初の網膜剥離による出血であることが分かりました。2ヶ月ほどは出血が消えないので、時々霞むことがあるとのこと。
 それは解決したのですが、手術の経過があまり良くないとのことで、追加のレーザー手術をすることになりました。
 これで4回目。4週連続で手術です(涙)
 いったいどうなるのだろうと不安が頭をかすめましたが、医師に任せるしかありません。 
 でも、医師から「レーザーで治るかどうか分かりません。覚悟はしていてください。」なんて言われガックリ。
   
 陸上への復帰は当分先になりそうです。それが一番悲しいです。 

 今回で4回目の手術になりましたが、毎回医師が変わっています。つまり4人の医師から手術を受けたことになります(笑)
 











2007年3月7日(水)
   「135キロ離れた屋久島に届いたSCCの元気」

 網膜剥離のために安静が続いていますが、正直言って、静かにしているのは苦痛です。
 ダァァァァァーーーーと直ぐにでも走り出したい気持ちです。
 しかし、パックリング手術になったら大変ですので、走り出したい気持ちをぐう〜と押さえています。
 こんな状態だからストレスが溜まるし、気持ちも落ち込んで暗い気持ちになってしまいます。

 でも、さきほど、妻からの電話で今日のSCCでの出来事を聞いて楽しくなりました。
 やはりSCCの皆さんのことを聞くと元気が出ます。
 また安静を続ける気力が出てきました。頑張ります。


 今日の南日本新聞に、M70の300m障害、400mのアジア記録、日本記録保持者のHごさんが紹介されていました。
 Hごさんは屋久島に住んでいる人です。現在72歳。毎日トレーニングを一人で続け、次は世界記録を狙っています。一人でも工夫とやる気があれば何とでもなることを立証している人です。
 ダメなことを環境のせいにするな、そんな声が聞こえてきそうです。見習わなければ。
 

 網膜剥離のために運動が全く出来ないので、このごろ、普段はあまり見ないテレビを見る時間が少し増えています。
 今夜、たまたま見ていた番組で泣きました。
 番組が紹介していたのは、空手に青春をかけている男性が、ある女性に一目惚れして、交際を経て結婚を申し込む、でも、女性の父親に「空手で日本一にもなっていない男に娘はやれない」と大反対された男性は、女性と結婚するために日本一を目指して特訓に励む。
 しかし、大会では健闘むなしく二ヶ月入院する大怪我をしてベスト8止まり。
 二ヶ月後、退院した男性は、女性の父親に「もう一年チャンスを下さい」と申し入れる。それに対して父親は「日本一頑張った男に娘をやる」と・・・
 単身で良かったです。オイオイ泣く姿は妻にも見られたくありませんから(笑)
 単純な話でしたが、純愛そのものでした。今の世の中に、こんな純真で一途に愛を貫ける男がいたことに感動しました。自分たちの若かった頃、それに自分の娘達のこと、そんなことも重なって、余計に胸を打たれたのでしょう。だはは。
 
 
 網膜剥離による安静があまりにも退屈なので、剥離に影響がない程度に、ボチボチと日記を更新していきたいと思います。















2007年3月4日(日)
   「途中経過」

 予想もしなかった網膜剥離の診断を受けて15日間が経過しました。
 先ず、網膜剥離が判明した当日の2月18日に1回目の手術。
 その1週間後の24日に2回目の手術。
 そして、昨日3月3日、3回目の手術を受けました。

 1回目の手術については前回の日記に書きましたので省きますが、2回目の手術は30代後半の女医さんでした。
 え?鼻の下を伸ばしてむふふの顔をして受診したんじゃないかって?
 いえいえ、とんでもありません。そのような余裕はどこにもない、終始苦痛を伴う手術でした。
 しかも、1時間も掛かって、終わったのは夜8時を過ぎていました。疲れ果ててバッタンキュー。
 妻が付き添いに屋久島に来てくれていなかったら、とても耐えきれなかったでしょう。

 昨日の3回目の手術は、30歳前半の若い先生。
 今までの手術の苦痛がトラウマになっていたようで、手術の前から無意識に全身に力が入ってしまい、まぶたをグッと閉じようとしてしまいました。このため先生に「力を抜いて下さい」と言われましたが、先生も力が入っていて、まぶたを閉じることが出来ないように眼球に押し当てる器具を押す手に力が入り過ぎ、目が痛くなりました。
 そんな手術でしたが、今回も妻が付き添いで来てくれたお陰で、何とか耐えることができました。
 しかし、今日もまだ目が赤くなっています。

 昨日の手術で、一応、手術を必要とする治療は終わりました。
 しかし、レーザー手術の措置は万能ではないとのこと。剥離した周囲をレーザーで焼いて固め、接着剤でくっつけたような状態にしてありますが、再び、剥離を始めることがあるそうです。
 そのため「少しでも異常があったら病院に直ぐに行って下さい。」と指示を受けました。そうです、病院に来て下さい、ではなくて「行って下さい。」です。屋久島には眼科が無く、土日に島外から眼科医がやって来るだけ。
 異常があったら土日を待っている余裕はない、そのときは一刻も早く鹿児島市の病院に行きなさい、ということでした。念を押された「直ぐにですよ。」という言葉にややビビリました(汗)
 
 このまま治るか、それとも再び悪化するかどうか、そのことは医師にも分からないそうです。
 同僚の奥さんが昨年、網膜剥離になって、最初は私と同じようにレーザー手術を受けたのですが、その後悪化してしまい、眼球にガスとパッドを注入して網膜を圧着するパックリング手術を受けました。
 その時は一ヶ月も入院しています。手術もレーザー手術の比ではない苦痛を伴うそうです。
 そうなったらイヤだな〜。
 
 次は、3週間後に検査があります。
 今後は、3週間後の検査まで安静を続ける、その後のことは、そのときの検査結果によって検討することになりました。
 残念ながら、未だしばらくは安静。陸上の練習も再開できません(涙)
 ジッとしているのが苦手な私には苦痛の日々が続きます。
 ただ、患部が悪化していなかったことは朗報です。このまま静養を続ければ、何とか治る可能性があるということですから。頑張らねば! 

 

 今回の手術にも妻が来てくれました。気弱な私にはとっても頼りになります。
 













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(2007年3月分)
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