2006年10月21日(土)
「リレーに出場」
明日は今住んでいる屋久島の安房区の運動会。
安房区を四つの地区に分けて,地区対抗で競う運動会だ。
どの地区も今年こそは優勝だぁー!と気合いが入っているらしい。
私も二つのリレーに出ることになった。
肉離れの箇所に未だ違和感が残っているので,どうしようか迷ったが,まぁ,スパイクで走る訳でもないし,小学校の運動場だからスピードが出る前に走り終わるだろうし,地区の人からの出場依頼に「こんな私で良ければ」と了承した。
走るのは青壮年リレーと最後の総合リレー。どちらもアンカー。
今まで転勤で色々な街に住んできたが,今でも変えていないモットーは,そこの街を自分の街だと思って,その地域に溶け込むこと。
転勤でその地に住むことになったのは何かの縁。だから,そこの地域の人達と親しくお付き合いさせてもらうことにしている。
地域の色々な行事に出るのも,その一つ。
又,人の縁が広がる。明日が楽しみだ。
|
2006年10月20日(金)
「7.2で喜んではいけない」
昨夜は呑み会。
飲んだ割には屋久島産の「ウコン」の力のお陰で二日酔い無し。
今朝の屋久島は爽やかな風が吹き抜けている。空は晴天。今日も雨が降りそうにない。
健康診断で尿酸値が8.0という,とんでもない数値が出てしまったため,3ヶ月後に再検査をした。
再検査の結果は7.2。
お〜,良いじゃないか,節制をして再検査を受けただけのことはある。
後は再び,好きなだけビールと焼酎「三岳」が飲めるぞ,と喜んだら,先生から
「何を喜んでいるんですか。まだ許容範囲の上限を超えているんですよ。」ときつい一言が。
尿酸値の許容上限値は7.0とのこと。あらら(笑)
とは言っても,正直に言えばアルコールで節制をしている訳ではないので,ま,良いか。
しばらくはプリン体の多い食べ物を減らすことを続けなければならないのが,ちょっと辛い。
ちなみに,尿酸値が上がる原因ワースト3。
1 アルコール
2 過激な運動
3 肉類などのプリン体の多い食物の摂取
だはは,全て当てはまっているではないか。
尿酸値上昇一直線の生活だ(笑)
しかも,尿酸値に加え,乳酸との闘いもあるし,あ〜困った,困った。
今夜も呑み会。
トレーニング再開はまだ先。
|
2006年10月18日(水)
「静養継続,と思っていたが・・・」
今年最後の試合になった全九州マスターズ陸上大会が終わって今日で10日になる。
練習は中断したまま静養を継続中。
ただ,途中で,疲労困ぱいしたハードな登山1回,軽登山1回が入ったので,完全な静養にはなっていない。
だから,もうしばらく静養を続けることにした。
それに,右脚の肉離れを起こした箇所も完全ではないし,その様子も見なければならない。
このようなことから,当分は静養を継続しなければならないと思っていた。
ところが,静養の継続に待ったが掛かった。
「屋久町の駅伝大会に選手として出て欲しい。」との依頼があったのだ。
「長距離はやっていません。」とお断りしたものの,選手不足のためどうして出て欲しいとのことで(笑),やむなく走ることにした。
今週末からさっそく合同練習を開始するとのこと。
後少ししかないが,それまでは静養し,合同練習から少しずつ走ることにしよう。怪我の状態を見つつ,無理をせぬように。
|
2006年10月17日(火)
「口永良部島は絆の島」
一泊二日の出張から今日の夕方帰ってきた。
今回の出張は,屋久島の北西12キロに浮かぶ口永良部島。
人口は152人。小学生6人,中学生4人。
時がゆったりと流れているこの島は,本来の人間のあり方を教えてくれている。
本来の人間のあり方,それは周りの人達と助け合い,支え合って生きるというそれだけのこと。
その気持ちがあればイジメなんて起きないし,他人を傷つけるようなことは無い。
その当たり前のことを口永良部島は教えてくれる。
島の生活は聞けば聞くほど不便であるが,それまでの生活の全てを捨ててまで関東や関西から島に移り住む人がいるのは,人が本来あるべき姿が残る島のそのような絆に惹かれるのだろう。
|
2006年10月15日(日)
「一際光るスタート」
昨夜,学生時代に東京で同じ学生寮に住んでいた後輩から突然電話がきた。
BS放送で「寅さん」を見ていたら,鹿児島が出てきて,それで私のことを思い出し電話をしてきたとのこと(笑)
年賀状は毎年やり取りしているが,最後に話をしたのは思い出すのも大変なほど前だ。
確か,平成6年に,その後輩と他の友人とで,家族連れで静岡の妻恋のリゾートに泊まり込んで酒を飲んで騒いだ時以来のような気がする。
その後輩は私よりも一つ下の学年。
久し振りの会話に話も弾んだ。今では会社でも大きな責任を持つ立場になって活躍している。
ほかの仲間も安部首相の秘書だったり,国会議員になっているなど,みんな頑張っていることを教えてもらった。嬉しい限りだ。
その後輩は,私の妻が以前勤めていた会社に勤務している。
会社に入ったのは,妻の方が先で先輩になるが,実は,後輩の奥さんもその会社に勤務していて,その奥さんは妻の先輩になる,すなわち奥さんは姉さん女房というややこしい関係だ(笑)
その後輩の2人の子どもも今では大学生。
そのため,子育ての手間がなくなった奥さんは,今年から2年間アメリカの大学に留学している。中年になってからも失わない素晴らしい向上心に頭が下がる。
下の写真は,1週間前の全九州マスターズ陸上大会のときの,100mのNルキパパのスタート。
周りの選手達がまだ一歩目を着地していない中で,Nルキパパは既に2歩目の動きに入って右脚を引きつける動きになっている。
素晴らしく俊敏なスタートだ。我もかくありたい!
おやおや、良く見てみれば、Nルキパパさんが着ているウェアはマキリックスさんのものじゃ〜あ〜りませんか!
マキリックスさんのサイズが着られたということは、ほほ〜、相当ダイエットが進行していると言うことか。ならば、次の機会にお腹を見せてもらおうかな(笑)
さすがはM30クラス。低く,かつ,力強いスタート。
先週の九州大会の二日後に,山岳遭難救助訓練に参加してアップダウンの激しいハードなコースを10時間30分歩きどおしだったため,大会と訓練の疲労が重なって体が悲鳴をあげている。
それに,肉離れの箇所が,動き出しのとき未だに違和感を少し感じることがあるので,その回復を図る必要もあり,10日ほどは完全休養をしなければ。
と行きたいが,明日から一泊で,災害対策のために,現在地震性微動が続いている某島に出張。
現地での打ち合わせのほかに,活火山の今の活動状況を確認するために火口近くまで行くことが予定に入っているので,再び山登りだ。あ〜あ,これで肉離れの完全治癒はまた先になる。
|
2006年10月12日(木)
「呆れた3人」
今日はコロンブスがアメリカ大陸を発見した日。
1492年のこと。
「これはね『いよ〜,国が見えるぞ〜』と覚えるのだよ。」と先生が教えてくれたのが昨日のことのようだ。
ただ,「発見した」には抵抗がある。
元々,アメリカ大陸には先住民がいたのだから,後から来たコロンブスが「発見した」というのは当たっていない。そのような表現は侵略者を中心に置いた表現だ。
と,そのように先住民の人々は言っているらしい。もっともな話だ。
何を中心に置いて考えるかによって,人の価値観は違ってくる。
自分を中心にして考えるか,相手のことを中心に考えるか,それによって全く違う。
年とともに,人間は考え方が硬直してくる。そのことを忘れずに,自己中心にならないよう自戒せねば。
う〜ん,朝から堅っ苦しい内容だな〜。
先日の全九州マスターズ陸上大会で,今年のマスターズは全部の大会を終えた。
これからしばらくは,冬季練習期までの移行期になる。
この移行期の練習が難しく悩ましい。
1年かけて必死にここまで上げてきた調子を,ここで一旦ブッツンと切らなければならないし,
1年の疲労を抜いて冬季練習に備え体力を温存しなければならないから,
いつものような練習が出来ない。
何だか体がムズムズするし,消化不良のような練習になる。
が,長い1年の中では,長期計画に基づいた大切な移行期だ。
だからそれを無視して,いつものような過激な練習は控えなければならない。
と思っていたら,昨日のSCCの練習には,大会を終えたばかりというのに,3人のマスターズ参加者が出てきたらしい。
さすがに,走ったらおおたさんに怒られると思ったらしく,おおたさんに相談して補強だけをしたとのこと。
ほととんどの人は休んだ中で,いつものように練習に出て来た3人は,Aりき筋肉隊長とNしやまさん,それに私の妻(笑)
今朝の屋久島は曇り。
ところどころに青空が覗いているから雨は降らないだろう。
昨夜の日本対インドのサッカーの試合,停電による中断は,まぁ,時々あることだし驚きもしなかったが,
試合中に野良犬がグラウンドをウロウロし始めたのには爆笑してしまった。
|
2006年10月10日(火)
「屋久島は快晴」
九州マスターズ陸上大会の疲れを取る暇も無く,今朝は,宮之浦岳方面の縦走のために午前3時20分に起床。
まだ真っ暗な中をヘッドライトを頼りに午前5時に登山口を出発。
途中,6時17分に日の出。御来光だ。
荘厳な雰囲気に,心が洗われるようだった。
普通なら5時間ほどかかるところを3時間35分で九州最高峰の宮之浦岳に到着。
その後は,来た道を戻って帰るのが一般的だが,そこから更に永田岳へ。
他の登山者を次々に追い越して,非常にハードなペースで山を登る。心臓は最初から最後まで破裂しそうだ。例えて言えば,400m走のように「ハァハァゼェゼェ」が続く。
このため,仲間には脚がつる者が続出。
実はハッピードッグも不覚にも数回もつってしまった(笑)
それも仕方ない。他の者は20歳代,30歳代だ。その中に一人50歳(笑)
結局,食事と小休憩を除いて10時間半,登山道を歩き通しだった。
ところで,登山をする前の今朝は,脚に筋肉痛や張りは無かった。
一昨日に九州マスターズ陸上大会の100m,200m,400mを走ったのに無かった。いつもは,100mと200mに出場しただけで筋肉痛が出るのに。
やはり,無理しないでリラックスした走りが出来ていた証拠かも知れない。
でも,今夜は,今日のハードな登山で脚がパンパンになってしまっているが(笑)
ちなみに,昨日の日記の選手宣誓の写真は,TけうちCMが撮ってくれた。良い腕だ。
今朝の屋久島の山から見た日の出。
|
2006年10月9日(月)
「自己新記録の九州マスターズ陸上大会」
昨日の九州マスターズ陸上大会大会に出場して,今日の昼過ぎに屋久島に帰ってきた。
今回の大会は,大会前に肉離れを起こしてしまった。
このため,走るか走るまいか,どうするかは,当日のアップで様子を見て決めることにしていたが,プロの人にテーピングでガッチリとガードしてもらったのが良かったのか,アップをしても全く違和感はなく,結局走ることに決めた。
大会には,九州各県の人達はもちろんのこと,遠くは関東からも参加があった。
真っ青な空が広がる,最高の競技日和になった上に,空高く舞い昇る桜島の噴煙がマスターズの大会を祝っているようでもあった。
今回出場した種目は,タイムテーブル順でいくと,100m,400m,200mの3つ。年代はM50。
1日の大会で,3つも走ったのは初めての経験。
結果は,100mが12秒67。3位。
400mが58秒18。1位。
200mが26秒22。1位。
陸上を始めて4年になるが,今回の100mと400mは自己新記録!
200mのタイムが今年8月の記録会よりも落ちたのは,400mを走った後だからこれは仕方がない。
それにしても,歳とともに体力は衰え,記録も低下していくものと思っていたけど,4年して自己新記録が出るとは大感激だ。
50歳になった年に,陸上の神様が素晴らしいプレゼントをしてくれた。
これもSCCや仲間達のお陰である。感謝!
大会前の怪我で出場することすら迷っていた中での自己新記録,これは「力一杯走ったら肉離れが再発する」と思って,リラックスして走ったのが良かったのかも知れない。
まさに怪我の功名(笑)
とは言っても,リラックスした走りは,今年8月のマスターズ記録会の時に,おおたさんから「60mを過ぎても加速しようとしている」と指摘を受け,その後,リラックスして走る練習を重ねた結果でもある。
やはり一流の指導者というのは,一言で人を変えることが出来る。
400mのタイムについては,もしかしてと思って,出場出来なかった今年の全日本マスターズの優勝記録を見てみたら,おおおおおおおお!!!,勝っているではないか。
むふふ,今年の年間ランキングの発表が楽しみだ。
また,今回の九州大会では夫婦で選手宣誓をさせてもらった。
屋久島と鹿児島市の間での電話での声合わせはうまくいっていなかったけど,本番では一番良い出来で宣誓できた。
このようなことをする機会はなかなか無いので,素晴らしい経験だった。
知らない人達から「宣誓は良かったよ」と言われ,更に嬉しくなった。50歳にして,これも感激の経験。
妻は四つの種目に出場。100m,400mリレー,400m,200m。
4年半前に,初めてSCCの練習に参加して,50mを走ることも出来ず,その後,数日間は松葉杖がなければ歩けなかったのに,それが1日に四つの出場。まさに驚異の進化だ。
大会の後,2人で話した。
「今回は色々出たけど,次からは出場種目を絞って記録狙いで走ろう。」と。
健康管理で始めた陸上が,ますます競技指向の色を強めてる(笑)
夜は,いや,早い人は午後4時前後から参加して,あっぷるてぃさん宅で打ち上げ。
最後はコザックダンスまで出て,爆笑の打ち上げだった。
色々な意味で,屋久島から「トッピー」に乗って,わざわざ大会に出た甲斐があった。
九州マスターズ陸上大会の開会式で選手宣誓をするハッピードッグとその妻(鴨池陸上競技場にて)
優勝の金メダル2個,3位の銅メダル1個をゲット。でも妻は金2個,銀1個,銅1個。負けたぁ。
補筆
平成18年度九州マスターズ陸上大会選手宣誓全文(笑)
一緒 (小さな声で「せ〜の」)私達,選手一同は,
私 寄る年波と戦いながら,
妻 家事の仕事もそこそこに,
一緒 この日のために鍛えた,陸上競技の奥義を披露し,
私 マスターズの名誉と誇りにかけて,
妻 幾つになってもワクワクする大会の雰囲気を楽しみながら,
私 仲間との友情を大切に,
一緒 力の限り,競技することを誓います。平成18年10月8日,
私 選手代表 SCC ○×
妻 同じく○×
|