2004年1月27日(火)
  「動物管理事務所で命を絶たれる犬達」 

 昨日の南日本新聞の夕刊記事を見た方がおられるであろう。
 鹿児島市動物管理事務所(いわゆる保健所)の職員に抱きかかえられている一匹の子犬を。
 柴犬に似たこの子は、引き取り手がなければ、ガス殺処分される運命にある。子犬だから収容期間は長いが、それでも最大10日間だけ。長くても10日間の命である。
 平成14年度に持ち込まれた犬は817匹。この子犬はそうゆう中の1匹に過ぎないのである。
 817匹のうち、181匹が里親に引き取られたとあるが、残りの636匹は殺処分されたことに変わりはない。
 しかも,ほかのサイトを見ると,引き取られた犬が本当に里親の元で飼われることになったのか,疑問も湧く。動物実験に連れて行かれる場合があるからだ。

 記事では、管理事務所に犬が持ち込まれる理由に触れている。
 多いのは、飼い主の入院や引っ越しらしい。
 入院については、予期せぬ突然の病気もあるかも知れないが、それでも、殺処分が行われる動物管理事務所に持ち込む以外に道は無かったのだろうかと疑問に思う。ただ、これも、新聞が指摘しているように、第三者が飼えるような躾がしてあることが必要であろうが。

 私が許し難いのが、将来引っ越す予定があるのに飼い始めて、それで引っ越すことになっての持ち込みである。
 引っ越すことが分かっているんだったら、そして、引っ越し先で引き続き飼うことが出来ない恐れが少しでもあるんだったら、絶対に飼い始めるべきではない。
 犬はオモチャじゃない。人間と同じように赤い血が流れる命ある生命体である。豊かな感情も持っているし、一匹一匹性格まで違うように個性だってある。何よりも、飼い主とその家族への純真無垢で疑いを知らない信頼のこころを持っている。ひたむきで愚直な信頼である。飼い主がそこにいてくれることだけを望み、他には何もいらないのだ。
 その信頼を「引っ越し先で飼うことが出来なくなりましたので捨てに来ました。引き取り手がなければ殺して下さい。」と言って裏切るとは、まさに犬畜生にも劣る行為である。殺処分されるのも知らずに捨てられた犬は、殺処分される最後の時まで飼い主が迎えに来てくれることを信じているに違いない。そんな犬達が哀れである。

 そのほかに、飼い主の知らぬ間に妊娠して生まれた子犬が持ち込まれるとも書いてあった。
 これとて甚だ人間の身勝手かつ無知な話である。
 犬の繁殖計画がない限りは、雄は去勢、雌は避妊手術をすべきである。
 果たして、例えば数代前の親犬に遡って遺伝的疾患を調べて繁殖に使える使えないの判断ができる十分な知識を持った飼い主がどのくらいいるだろうか。先天性疾患のある不幸な犬を無くし、健康な犬を生ませるためには、そのような知識が必要なのだ。犬の繁殖というのはそうゆうことである。
 
 犬猫の殺処分を行う現在の動物管理の行政に問題がある、という批判がある。
 要らなくなった犬猫を行政で殺してくれるから、生き物をオモチャ代わりに飼って、ポイと捨てる人間が絶えない、という主張である。
 確かにそうであろう。でも、捨てる人間が後を絶たない現状では、現在の行政もやむを得ない。
 行政が受け取りを止めたら、今度は山の中に捨てる人間が必ず出てくる。そうすると野犬の問題が起きる。

 不幸な犬が生まれるプロセスには、いろいろな要因がある。
 飼い主の犬の本質の無理解
 飼い主の躾に関する無知
 行政の啓蒙不足
 悪徳繁殖・流通業者の存在
 流行犬などを煽る出版社
 などなど。
 突き詰めていけば,生命への尊厳の欠如とも言える。

 これらが変わらない限り、飼っていた犬を保健所に持ち込むという、余りにも無責任で、身勝手で、無慈悲で、残酷で、冷酷な人の行為はいつまでも無くならない。

 記事にはこうも書いてあった。
 「(処分の)直前までじゃれてくる犬もいる。」と。
 胸が張り裂けそうになる。
 

 


2004年1月25日(日)
  「今年2度目の雪と雪山」 

 22日に今年の初雪が降ったと思ったら,今日もまた降った。
 朝起きたとき2〜3センチ積もっていたのに,午前10時30分の今は,既にほとんど溶けている。鹿児島は,高台の団地や山間部では結構積もることもあるけど,鹿児島市の平野部で午後まで積雪することはほとんどない。

 私は鹿児島で育ったためか,雪に対するあこがれが強く,雪を見るとわくわくしてくる。
 雪に魅せられた私は,大学の頃,雪の北アルプスや南アルプスに登っていた
 ただ,一旦雪山に入ると,生きて帰れるか,それとも雪の中に埋もれて死ぬかの世界になる。淡いロマンなどに浸っている余裕は無い。ちょっとした気の緩みが即遭難に繋がってしまう。

 厳冬の北アルプスの鹿島槍ヶ岳に単独で登ったとき,夏の間に下見をしてキャンプする場所を決めていたのだが,その目印の山小屋を探すけれどなかなか見つからなかったことがあった。
 その日は天候が大きく崩れ,強い風と雪のために視界は悪く,しかも夕方が近づいてくる。暗くなる前に比較的安全な場所にキャンプ地を設営するのが山の鉄則であるし,冬山であれば尚更だ。
 冬山で視界が悪いというのは,特別に危険な状態である。雪崩が襲ってくる地形の把握が難しくなり,雪屁(せっぴ:雪山の尾根で,積もった雪がエビの尻尾みたいに張り出している所。)を踏み抜いて滑落する危険が一挙に高まる。だから,冬山で視界が悪いときは,早く比較的安全な場所を探して,そこから動かない方がいいのだ。「比較的安全な場所」というのは,冬山に安全な場所なんてないけど,その中でも他の場所に比べたらまだ少しはましな場所という程度の意味(笑)

 もちろんコンパスも地図も持っていたが,視界がきかない冬山では何の役にも立たない。早くしないとこれはちょっとヤバイと思いながら,目印の山小屋を探すが見つからない。どうも同じ場所をぐるぐる回っているような気がするし,それに強い風に体温も奪われ始め,上も下も,右も左も,前も後ろも,目に入る全てが白という,出口のない白い世界に迷い込んだような錯覚の中で,徐々に思考能力も低下していった。
 すると,吹雪の合間に一瞬周辺の山の尾根の影がぼんやりと浮かび上がった。一瞬のことだった。それを頼りにコンパスと地図とで現在地を調べ,やっと自分の位置が確認出来た。
 なんと,そこは目印であるはずの山小屋のところではないか。
 夏に確認していた山小屋は屋根のところまですっぽり雪に埋もれ,ほとんど見えなくなっていたのだ。南国鹿児島生まれの私には全く予測できぬ出来事だった。

 そんな雪になったら大変であるが,ときには鹿児島も見渡す限り真っ白な純銀の世界になってくれないかな〜(笑)
 そんな雪原を犬達と思いっきり走り回りたい。
      

          
          冬山でのキャンプ。私の一人用のドームテントが3分の1ほど埋もれている。
          吹雪のときは夜中でも何度も外に出て,テントに積もった雪を取り除く。
          そうしないと雪の重みでテントが押し潰されて,生き埋め状態になってしまう。


          
         冬山は,なかなか誰も一緒に行ってくれないので,ほとんどが単独行だった。
         このため,自分が写った写真は少ない。この写真は少ない中の1枚。
         昭和54年冬,北アルプスの五龍岳から見た剣岳。
         寒がりのセーラをこんなところに連れて行けば,即死だろう(笑)




2004年1月22日(木)
  「南国鹿児島に初雪」 
 
 今日未明から降り出した初雪は昼過ぎまで降り続いた。
 でも,鹿児島の雪はだいたい昼頃には溶けてなかなか積雪しない。高台の団地や山間部は別だが。
 
 今朝はまだ薄暗い中,さっそくリリーとセーラを庭に出して遊ばせた。
 リリーは雪にそれほど興味を示さない。
 一方,セーラは大喜びして,ご覧のように庭を駆け回った。動き回るものだからカメラがついて行けてない。

 明日も未明から雪が降るそうだ。
 降れば,また散歩が出来ない。


         
                嬉しいと言うよりも興奮気味のセーラ



2004年1月21日(水)
  「門外不出の1枚」 
 
 写真は,我が妻がお疲れになって爆睡しているときの1枚である。
 さすがに家の中では,見栄も外聞も羞恥心も,更には犬への思いやりもない。
 足を乗っけられ抱っこされているドーベルマンのセーラは迷惑そうな顔をしているが,妻には逆らえないのでジーと我慢している。その気持ちは私が一番良く分かってあげられる(笑)

          
                    セーラ,耐えるのだ!




2004年1月17日(土)
  「かっ飛びスタンダード・プードル」 
 
 スタンダード・プードルの瞬発力は素晴らしい。
 走り出しのスタートダッシュは,弦から放たれた弓矢の如しである。
 そして,その走りは躍動感に溢れシャープで美しい。見る者をうっとりさせる。
 
 
          
              かっ飛び中のリリー。 
              飼い主の中年プチスプリンターとは段違いの早さである(笑)

 
 いつも自由に走らせてあげたいが,鹿児島と言えどもそのような場所は極めて限られている。
 早くドッグランができないかな〜。

 リリーとドーベルマンのセーラを競争させたことがあるが,リリーの方が早かった。遅いセーラはリリーの後ろをピーピー鳴きながら走っていた(笑)




2004年1月15日(木)
  「ドーベルマン」 
 
 今夜は親友のMと久し振りに二人で飲んだ。
 このMは,お互いの顔が変形して誰か分からなくなるまで殴り合いのケンカをした仲なのだが,それが生涯の友になっているのだから,人生なんて分からないものだ。 

 そして,このMは,私がドーベルマンを飼うきっかけを作った男でもある。
 高校生のときから大学時代,よくMの家に遊びに行った。働くようになってからも時々行っていた。
 そのMの家には2代続けてドーベルマンがいた。
 高校の時,初めてMの家でドーベルマンを見たときの感激,今でも覚えている。
 実に精悍で逞しく,大きくて品位があり,家族に忠実で,とても格好良かった。
 Mと私と,そしてそのドーベルマンとで,近くの磯の海岸に行って走り回った。海岸を走り回るドーベルマンを見ていて,いつかは自分もドーベルマンを飼ってみたいと,そのとき思った。
 きっと,そのときの思いがいつまでも忘れられずに,今のセーラを我が家に迎えることになったのだろう。
 もしかすると,そのときのドーベルマンとの出会いがなければ,今の我が家にドーベルマンはいなかったかも知れない。

 そのMは,今ペット不可のマンションに住んでいる。犬を飼いたいのだ飼えない。
 我が家のセーラの話をしていたら,Mが泣き始めた。
 死んでいった2頭のドーベルマンへの思いが蘇ったらしい。
 死してもいつまでも飼い主の胸の中で生き続けるドーベルマン達。幸せなドーベルマン達だ。



 

2004年1月12日(月)
  「お散歩」 

 昨日は久し振りに与次郎ヶ浜に散歩に行った。
 「浜」があったのは昔の話で,今は埋め立てられて何も残っていない。辛うじて,天保山の松並木にその面影を見ることができる,かな?
 上の写真は埋め立てて造った遊歩道。約1.5キロ余りの直線道路が南北に一直線に延びている。
 幅は約20メートルもあり,車やバイクは進入禁止のため,わんこ連れの散歩にはとても安全である。
 しかも,写真の右側は青々とした錦江湾が広がり,目の前に活火山の桜島が悠然と煙をたなびかせている。絶景かな,絶景かな,である。誠に贅沢なロケーションを手軽に楽しめる鹿児島市民は本当に幸せだ。
 そして,もう一つ鹿児島の良さがここにもある。
 写真でも分かるように,天気の良い日曜日の午後だというのに,人がほとんどいない。
 私は東京に通算9年ほど住んでいたが,市街地や観光地の人口密度の違いを肌で実感するとき,鹿児島に戻ってきて大正解だったといつも思う。

         
       写真を撮るためにリードを外したら,のんびりと地面をクンクンと嗅ぎ始めた。
       長大な一直線の道路の遙か向こうに,辛うじて人影らしきものが少し見える。
       この左側の約300メートル先には県庁があるところだと言うのに,静かで実に良い。


         
          今日は城山に登った。
          曇りの天気だったけど,これも桜島の一つの顔である。
          




2004年1月7日(水)
  「ボール遊び」 

 どこのわんこもそうかも知れないが,我が家のリリーはボール遊びがことのほか好きである。
 どんなにへこんでいるときでも,ボールを見せれば尻尾がしゃっきとなって,早くアソボモードに一気に変わる。

         
        ボールを放り投げる瞬間。全ての神経をボールに集中させているリリー。


                
          飛んでくるボールに合わせて,ジャンプするため姿勢を低く構えるリリー。


         
  ガブッ!とキャッチ。なり振り構わない乱れたこの形相,とてもスタンダード・プードルとは思えない(笑)


 かくして,何度も何度もボールを私の所に持ってきては,投げて,投げてとせがむのである。ん〜,可愛い。でへへ。
 


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