2007年5月31日(木)
   「痒いね」

 仔猫のボク(左) 「あ〜痒い痒い、ね〜、お母さん、痒いね。」
 母猫のシロ(右) 「ほんとだね〜、あ〜痒い。庭暮らしも楽じゃないよ。」
 
 ボク 「掻いているいるところをここの住人に見られたら、ちょっとまずいかもね。」 
 シロ 「そうそう、見られたら大変だよ、首筋に得体の知れないものを付けられるからね。」


     


 ここの住人 「むふふ、見たぞ〜」














2007年5月30日(水)
   「夜明けを待つウミガメが去った砂浜」

 写真は5月28日の日記に書いた屋久島の北側にある永田集落の「いなか浜」。
 夜明け前の4時54分の撮影。
 当日は曇天。晴天ならもう少し明るかったかも知れない。日の出の予定は5時15分。
 シャッタースピードは7秒。ISO感度は200,もちろん三脚使用。
 
 その夜、18頭のウミガメ達が上陸して去った砂浜には、寄せては引くさざ波の音だけが残り、静かに夜明けを待っていた。
 この営みが何千年と繰り返えされている。
 それに比べたら、今生きている人間なんてちっぽけな存在。地球の息遣いに畏敬の念を禁じ得ない。

          
 
















2007年5月28日(月)
   「ウミガメの産卵」

 屋久島はアカウミガメの上陸数が北半球一と言われている。しかもダントツで。
 だから港でも、磯でも悠々と泳いでいるウミガメをよく目にする。

 ウミガメの産卵期は4月下旬から9月ごろまで。
 特に今からがピーク。
 産卵のために屋久島に上陸するウミガメの数はその年によって違うが、だいたい3,000〜5,000頭。
 
 しかし、その数は減少している。
 せっかく生んだ卵なのに、盗掘されたり、砂浜に乗り入れた車に潰されたり、温暖化による海面上昇で波にさらわれたりと、ウミガメを取り巻く環境は年々悪化の一途だ。

 屋久島のウミガメの産卵を見たければ、屋久島の北側にある永田集落の「いなか浜」でウミガメ産卵観察会があるので、それに参加する方法もある。
 上陸したウミガメは警戒心が強く、異変を感じれば産卵をせずに海に戻ってしまう。道路を走っている車のライトに驚いて海に戻る亀も多いらしい。
 だからカメラのフラッシュは厳禁。もちろん大声もダメ。係員の誘導で静かに見る。

 この亀の産卵シーンを何とかカメラに納めたいのだが、暗闇でのフラッシュはダメ。
 どうしたものかと地元の人と話をしていたら、遅れて上陸した亀がたまに朝方まで砂浜に残っていることがあるとのこと。
 本当にたまにらしいが、よし、それにチャレンジだ、そう思って、昨日は朝3時半に起きて永田のいなか浜へ。

 暗い浜をカメラを持って亀を探していたら、ウミガメ保護に携わっているボランティアの人と遭遇。
 まだ1匹だけ残っていると教えてもらって、そちらの方向へ。
 が、その亀は既に海まで5〜6メートルのところに来ていた。しかも、まだ夜が明けておらず、亀の形が分かる程度。
 急いでカメラの感度を上げ、F値を解放の1.4にしてシャッターを切ったが、やはり光量が決定的に足りず真っ黒けの写真になった(笑)
 この日は、この亀が最後の亀だったため、ウミガメの写真は諦めることに。

 悠然と海に帰って行った亀を見送り、夜明けを待った。
 すると、夜明けと共に目に入ったのは、産卵のために上陸したたくさんの亀のわだち。
 この夜、ウミガメ保護のボランティアさんが確認した上陸数は18頭。ということは、上陸して産卵した後に再び海に戻る訳だから、ウミガメのわだちは×2で36本。
 たくさんのわだちがあるはずだ。
 しかし、実際に産卵をしたのは12頭だけ。残りの6頭は車のライトに驚いたりして海に戻っている。
 
 残念ながら今回は写真を撮れなかったが、まだチャンスは残っている。朝が早くてちょっと大変だけど、もう一度チャレンジしよっと。


   
 少し明るくなってきた永田のいなか浜。真ん中にある2本のわだちがウミガメが上陸した跡。右側が上陸、左側が海に戻ったわだち。
 そして、わだちのUの字の先端が産卵をした場所。この場所は駐車場に近いので人がたくさん通る。そのままでは卵が人に踏まれて潰れてしまうので保護ボランティアさん達が掘り起こして安全な場所に移し替える。それが下の写真。


                
 夜が明けた砂浜で黙々とウミガメの卵を掘り起こして安全な場所に移し替える作業をしているウミガメ保護のボランティアさん達。
 このボランティアさん達、前の夜から一睡もしないで朝までこの作業を続けている。本当に頭が下がる。 
 ちなみにウミガメは1回の産卵で100個余りを生む。これまでの最高は180個だったとか。
 写真の場所の産卵は125個。















2007年5月26日(土)
   「好奇心」

 屋久島の海岸で、何やら興味深そうに匂いを嗅いでいるリリーとセーラ。
 何が臭うのだろうか。
 黒潮に乗って流れて来た赤道の国の木の実?
 それとも屋久島にしか生息していない生物?
 今まで嗅いだことの無い匂いに2匹とも興味津々だ。

 優れた嗅覚を持つ犬達は、匂いの世界を生きているとも云われる。
 こうやって自由に色々な匂いを嗅いで好奇心を満たす、こんな時間が犬達には幸せなひとときなのかも知れない。
 そんな犬達を見ている飼い主も幸せ〜。 


         
               今年の正月に屋久島に来たときのリリーとセーラ。春牧の海岸で。

















2007年5月24日(木)
   「モデル犬セーラのズームアウト撮影」

 ズームイン、ズームアウトの撮影はビデオカメラで使われる手法だが、これをデジタルカメラでやると、このような写真が出来上がる。いわゆる縦方向の流し取り風写真だ。
 動きを出すためにシャッタースピードを 1/20秒にセットし、一気に望遠側から広角側にズーミングしながらシャッターを押す。
 AF測点は、セーラの進行先に当たるファインダー左側の測点を使って、セーラが画面左側に向かって走っていることを強調。
 犬の走る速さとズーミングの速度が同調するようにするのがコツ。でないとモデルまで周りのように流れてしまう。
 使用したズームレンズは18mm−200mm。シャッターを押した時点の焦点距離は27mm。
 ちなみに、モデルになってもらったセーラはいつもズームアウト状態。頭の中がビューンと飛んでしまっている。


      
    「おとうさん、セーラはいったい何回こっちに向かって走れば良いんですか・・・いい加減、止めてくれませんか。」
















2007年5月23日(水)
   「私、寝ます」

 頭の中がスッカラカンのセーラの1日は、食って、寝て、猫を見ては「ピーピー」鳴いて、いつの間にか終わる。
 写真は、1日のうちの8割ほどを占める睡眠の世界に、今、まさに入ろうとしているところ。
 2〜3回大きなアクビを繰り返した直後、あらら、もう気を失っている(笑)


















2007年5月21日(月)
   「コケ観察会@コケって凄い」

 昨日は、こけの観察会に参加。
 こけと言っても、こけにるするこけではなく苔の方。
 屋久島の自然を知るためには、苔の生態を知ることが必須。
 専門家の話を聞ける年1回の観察会に、何としてでも参加したいと思っていた。
 その観察会に抽選で運良く定員20人に入れた。

 天気も良く、五月晴れの爽やかな風が流れる中での観察会は期待どおりのものだった。
 蘚苔類であるコケの特徴は、
 ○ 種ではなく胞子で増える(ちぎれた葉から再生して増殖する無性生殖もある)
 ○ 葉はほとんど一層の細胞から出来ている(だから薄い)
 ○ 茎に物質が流動する維管束がない
 ○ 根が無く、代わりに付いている仮根で地面や木などの表面に体を固定する
といったところ。
 もちろん観察会の受け売りだが(笑)

 日本には1800種ほどのコケがあり、その中の約640が屋久島にある。だからコケの研究者にとって屋久島はコケの宝庫らしい。
 その研究者の一人、小原さんが今回の講師。
 とても分かりやすい説明で、質問にも丁寧にお答え頂いた。

 コケがなければ屋久島の森は無い、ヤクスギも育たない。小さいのに、ややもすると気が付かず見過ごしてしまうのに、とても偉大な存在のコケであることを理解した1日だった。


      
    屋久島の森での「コケ観察会」の一こま。縄文杉を見るのも良いが、こういったのも楽しい。


 コケと言うと、またあの話になるが、だから白谷雲水峡のあそこを「もののけ姫の森」なんて言うのは止めて欲しい!
 先日も、あるガイドが観光客に「ここに【もののけ姫の森】の看板を立てるのに苦労しました」なんて説明していたが、開いた口がふさがらない。
 あそこには昔から「苔の森」という、立派な名前が付けられているというのに。
 屋久島の自然と歴史に知識のあるガイドなら、あんな説明はしないだろうし、あんな看板は建てないはず。















2007年5月17日(木)
   「まん丸お目目のリリー」 
  
 普段はアーモンド型の目をしているリリーだけど、集中したときにはまん丸お目目になる。
 このまん丸お目目が大好きである。とっても可愛いから(親ばか)
 
 
















2007年5月16日(水)
   「屋久島で泳ぐラブラドール」 

 先日、散歩をしていたら、屋久島の安房川をラブラドールが泳いでいた。
 縄文杉のたもとから流れ出る、悠々たる流れの安房川。
 その流れの中を泳げる君は幸せ者。
 「こいつは泳ぐのが大好きなんだよ」と言いながら見つめる飼い主の目が幸せそうだった。


     

















2007年5月14日(月)
   「ご近所の仔猫ちゃん」 

 近所に住んでいる仔猫ちゃん。
 とっても人懐っこくて、カメラを向けると直ぐに近づいてスリスリしてくるので、なかなかシャッターが押せない。
 人を見たら風のようにサァァーと逃げ去る我が家の庭猫親子とはお育ちが違うようだ(笑)





 この頃、猫を見たら愛着を感じるようになった。
 ん〜、屋久島に来て、すっかり犬派から「犬派+猫派」になったな〜。















2007年5月11日(金)
   「鈴虫の赤ちゃん誕生」 

 昨年、鹿児島市の自宅から屋久島に鈴虫を連れてきた。
 その鈴虫達は、その秋にすべての命を終えた。

 そして今日、その鈴虫達が残していった卵から、新たな命が生まれた。
 まさしく生命の伝承。
 

             
 左下が生まれた鈴虫の赤ちゃん。2ミリあるかどうか。生まれた直後は白色だが、徐々に黒くなる。
 右上が卵。膨らみ具合やツヤからして、この卵もふ化が近い。

 この鈴虫達,11年前に東京から鹿児島に引っ越したときに一緒に連れてきた。
 元をたどれば,ご先祖様は東京の鈴虫達だ。
 その子孫が今は屋久島にやって来ている。


 ちなみに、昨年秋の、鈴虫たちの最後の様子は下の2006年9月18日の「ありがとう」のとおりだった。


      
                     2006年9月18日(月)
                       「ありがとう」

 ここ数日で次々に鈴虫達が息絶えた。
 今朝になって残っているのは1匹だけ。
 この1匹も昨夜「ジ、ジ・・」と羽を鳴らしたのを最後に、音を出す力はもう残っていない。

 今年の6月,鹿児島市の自宅から屋久島に連れて来た時はまだ幼虫で,200匹以上いた。
 この鈴虫達が、リンリーンという優しく澄み切った鈴の音で単身の一人暮らしの私を癒し、
 職場に連れて行った鈴虫達も、毎日訪れる沢山の人達を和ましてくれた。
 
 ふ化して4ヶ月ほどの短い命。
 役目を終えた鈴虫達は,こうして次の世代に命を託し、静かに旅立っていく。
  

         
 手前が最後の1匹。触覚が横に倒れている奥の2匹は,昨夜静かに息絶えた。鈴虫達が元気な頃は,1匹死んでも他の鈴虫が直ぐに食べてしまうので,死骸は直ぐに片づけられているが,最後の頃になるとそれも無くなる。













 








2007年5月10日(木)
   「ガードドッグの使命放棄」 

 もちろん多くを期待している訳ではないが、でも、やっぱり少しは期待に応えて欲しい。

 我が家のセーラは、生来の天然振りからして立派なノーテンキ犬である。加えて、品格も自制心も何も無く、あるのは本能のおもむくままに盗み食いをして、ボケ〜と寝て、猫を見ては「遊んでぇ〜」とピーピー鳴くだけの情けない犬だ。
 そのことは飼い主として、教育が至らなかったと諦めている。
 しかし、いくらノーテンキ犬であるとはいえ、ルイス・ドーベルマンが作出した最強のガードドッグのハズである。そこには、孤高のDNAが脈々と受け継がれてきているハズである。

 であれば、ガードドッグとしての片鱗を少しは見せて欲しい、飼い主がそう思うのも無理からぬ話ではないか。何しろ史上最強のガードドッグのハズなんだから。
 なのに、ご覧のようにウッドデッキでのんびりと日向ぼっこをしてウトウトするのが日課のセーラは、ガードドッグと言うより、やっぱりノーテンキ犬である。


          
      悩み、ストレス、不安、そのような感覚を持ち合わせていないセーラ。毎日が幸せなのだ。

















2007年5月8日(火)
   「恐怖のモッチョム岳山頂」 

 もしかしたら、私は高所恐怖症かもしれない・・・
 正直にお話すると、実は今回登ったモッチョム岳の山頂で足がすくんでしまった。
 下の写真はそのときのもの。
 ここがドーム型になったモッチョム岳の山頂である。
 
 折から巻いてきたガスで下の景色は全く見えない。
 それが尚更高所の恐怖感を高めている。
 ドーム型の狭い頂上は周りが360度絶壁。
 落ちたらひとたまりも無い。一巻の終わりだ。
 特に、オーバーハングにせり出した右側は、途中で引っかかることなく、真っ逆さまに落ちていく。こわっ!


    

                                ↑北側 (足は私の足)

                                ↓南側

          


 スリルを味わいたい人に、このモッチョム岳を推薦しよう。















2007年5月7日(月)
   「モッチョム岳とモッチョム太郎」 

 1枚目はモッチョム岳を屋久町の原集落から撮った写真。
 地形の関係からだろうか、常に雲が掛かっている。今回の登山でも途中からガスが巻いてきた。
 何百メートルもある断崖絶壁はロッククライマーの絶好のゲレンデでもある。
 昔は結構いたらしい。断崖の途中で一泊しているロッククライマーの姿が、早朝見えたそうだ。
 今はほとんどいないらしい。
 
 写真の左が東側になり、海が広がっている。
 晴れていたらモッチョム岳の頂上から、限りなく広がる太平洋の海原を堪能できるが、ガスが巻いていたら見ることができない。今回のように(笑)
 
  
                     太平洋に向かってそそり立つモッチョム岳。
                      拡大写真→屋久島の写真(No23)





               
  山の主の如き威容を誇るモッチョム太郎。太郎に対してモッチョム花子と名付けられたヤクスギがもちろんある。
                     拡大写真→屋久島の写真(No24)


 モッチョム太郎を過ぎたら1時間ほどで神山展望台。
 ここまで来ればモッチョム岳まで40分。もう一息だ。
 続きはあした。
 
 















2007年5月6日(日)
   「モッチョム岳と万代杉」 

 5月3日。
 早朝から、ゴールデンウイークで混雑している縄文杉の登山口などの主要な場所の警戒。
 夕方になってから2級小型船舶操縦士の免許更新のための講習を受講。

 5月4日。
 パトロールを兼ねてモッチョム岳へ。
 網膜剥離を悪化させないために、スローペースで登らなくてはならないので、人の足手まといにならないよう単独での登山にした。
 しかし、この山、結構険しく危険。
 屋久島の山を紹介しているHPには次のように書かれている。

 ※ご注意
このルートは人がほとんど通らない為、倒木や草木で道が荒れています。
また、途中、河を渡らなくてはならない箇所があって増水時は大変危険です。
渡渉箇所では過去に遭難事故もおきています。
このルートへの単独入山、登山経験の浅い方の入山は非常に危険ですので、
ルートのご変更をお願い致します。


 確かに登山経験の浅い人には危ない山だ。
 それに、多くの人が言っているように、大変きつい山でもある。
 最初から急な登りになっており、それがず〜と続くから体力のない人には疲労の度合いが大きい。
 それに途中には、まるでジャングルジムのような登りもあるから、上半身の力も必要になる。
 
 この山は息を飲むような断崖絶壁の豪快な山であるものの、上の注意にも書いてあるように、どちらかと言えばマイナーな山であるため、登る人はほとんどいない。
 だから、もしも途中で事故が起きたり、道に迷ったりしても、誰も通らない可能性が高いので怖い。

 と言いつつ、網膜剥離を抱え、しかも一人で登るあなたは何?と言われそうだが、あくまでもパトロール(笑)
 登山コースは、要所の全てにテープが巻いてあるので、テープさえ見失わなければ道に迷うことはない。
 しかし、それが分かっていてもテープを見失って迷う人が出る。疲れてくると注意力が散漫になるのだろう。
 屋久島山系はこの15年で7人が行方不明になって未だに手がかりが無い。

 千尋の滝展望台駐車場に車を止め、ストレッチを念入りにし、午前6時25分に登山開始。

 登山口から1時間10分で万代杉に到着。
 それまでのうっそうとした森林が開けたかと思うと、突然、この巨木が目の前に姿を現すので、かなり感激する。
 写真がその万代杉。

 万代杉は、樹高 13.2m、胸高周囲 8.6m、樹齢3,000年で、標高800m付近にある。
 周囲8.6mだからヤクスギとしては普通の大きさかな。
 本体は途中で見事に折れているので、高さは13.2mしかない。
 しかし、それでも3,000年もの間、こうやって生き続けてきたことに深い感銘を受ける。

        
       モッチョム岳登山道にある万代杉。周りの木を圧倒する大きさだ。
            拡大写真→屋久島の写真(No22)


 この後、更に登り続け、今度はモッチョム太郎に遭遇。
 このヤクスギは樹高24.5m、胸高周囲9.4mだ。高さは万代杉のやや2倍近い。

 この後は明日の日記へ。


















2007年5月5日(土)
   「犬を保護してはいけない?」 

 5月2日、屋久島の宮之浦で迷い犬がうろついているとの届け出があり保護した。
 茶色で中型の雄。
 性格は至って大人しく、そして人なつっこい。
 保健所に問い合わせても、そのような迷い犬の届けはないとのこと。
 同僚達がさっそく町内放送での広報を依頼し、さらには地域の事情に詳しい郵便局やお店の人などに聞いて回り、手作りの手配ポスターもあちこちに貼ったが、なかなか飼い主が分からない。
 犬は飼い主がいない不安からか、時折、悲しげな声で鳴く。
 可哀想に思った同僚がゴールデンウイークの休みの日に出てきて散歩をさせてくれた。

 そんな中、昨日、「もしかしたらあそこの家の犬では?」との情報があり、確認の連絡を入れたところ、やはりそこの家の犬であることが判明。
 夕方になって引き取りに来たが、三日間、飼い主は何をしていたのだろう。 
 こちらから連絡をしなければ、そのままほっといたのだろうか。
 
 これまで多くの犬を保護してきたが、迷子になった犬を、一晩中寝ないで家族全員で探し回り、無事に保護されていることを知って号泣する飼い主もいた。号泣しないまでも多くの飼い主は、目に涙を浮かべ、あるいは愛おしそうに抱きしめて無事に再会できたことを心底喜ぶ。そんな時は飼い主が見つかって本当に良かったと思う。
 でも、中には、飼い主が見つかっても本当にこの子は幸せなんだろうかと、そのように思うことがある。 


         
 ↑今回保護した犬。つぶらな瞳が愛らしい。
 以前勤務していた職場で1年に88匹保護したことに比べれば屋久島の迷い犬は少ない。この1年で3匹目の保護になる。迷い犬が少ないのは良いこと。



 ところで、改正された遺失物法が今年の12月に施行される。
 この改正によって、迷い犬の取り扱いが大きく変わることになることを御存知だろうか。

 今までは、私の職場に持ち込まれた犬は、飼い主が見つかるまでしばらく保護することが出来た。
 そのお陰で、飼い主が見つかるまで何日も保護することが出来たし、例え飼い主が見つからなくても、市民の人達と協力して里親探しをし、里親が見つかるまで保護を続けることが出来た。これまでには一月半も保護した犬もいた。
 これによって保健所に引き渡すのはほんの僅かだった。
 極力、保健所には引き渡さないようにしていたが、それは、保健所に引き渡した犬は数日後に殺処分され、生きて外に出られる犬はほとんどいないからだ。

 ところが、法律が改正されたことによって、今年の12月からは、私たちの職場で犬を保護することが出来なくなる。迷い犬は遺失物法の対象外、だから保健所へ、そのことが法律に明記されたからだ。
 つまり、私の職場に犬が連れて来られても、そのまま保健所に引き渡さなければならない。
 持ち込まれた犬を保護して、飼い主や里親を探す、それが私たちの職場では出来なくなる。
 
 では、今まで私たちの職場でやっていたこと、つまり、保護した犬の飼い主を捜すための町内放送、手配チラシの配布、郵便局などの人に対する手配、市民の協力を得ての里親探し、場合によっては新聞やテレビにまでお願いした手配、そういったことが保健所に受け継がれるのだろうか。
 はっきり言って、それは無い。

 これまで私たちがやっていたことは法律に基づいたものでも、内部規定に基づいたものでも何でもない。あくまでも運用の部分であり、義務でも何でもない。しなければしないでも構わない部分だ。ただ、犬といえども大切な命、それをモノと同じように扱って良いのかという、そんな思いから同僚達が多忙な仕事の合間を縫ってやっていたことだ。
 それらのことが、体制も業務目的も、そして、たぶん考え方も違う保健所に受け継がれることはない。
 
 それどころか、今まで全国の私たちの職場で保護していた犬が、それらのほとんどが保健所に行くことになる訳だから、保健所の施設に収容しきれなくなるのではないか、そんなことが心配されている。それは何を意味するかというと、新規収容のキャパシティーを広げるために、殺処分のスピードが早まるということ。
 自治体によっては、今でも収容後三日で犬猫を殺処分しているところがあるが(怒)、12月からは一体どうなるのだろう。飼い主が保健所に届け出た時には既に殺処分された後だった、そんな話にならななければいいのだが。
 いずれにせよ、保健所で殺処分される犬達の数が大幅に増えることが懸念されている。
 報道によると保健所自体も「困った」と言っている。それはそうだろう。 

 迷い犬は専門家である保健所に扱わせることが良い、それが今回の法律改正の趣旨らしい。
 が、その趣旨によって、助かる命も助からなくなる、

 これまで、私が勤務していた職場で保護された犬は9割が助かっていた。
 しかし、保健所に持ち込まれる犬は9割が殺処分される。
 12月からは・・・
 助かっていた9割の犬達も保健所に行くことになる。

 私たちには法律を作る権限はないし、意見する資格も無い。国会で作られた法律に基づいて仕事をするだけである。
 しかし、と思うときがある。
 今回ほど、立場上、言いたいことをハッキリと言えないことのもどかしさを覚えたことはない。

 私たちは法律に基づいて、その範囲でしか仕事をするが出来ないことを、辛く、残念に思う時が近づいてきている。


















2007年5月2日(水)
   「拝啓、お父さん」 

 拝啓 お父さん、お元気ですか。
 お父さんはゴールデンウイークも屋久島でお仕事だから会えなくて残念です。
 でもリリーは元気にしているから安心してね。
 お父さんが心配しているセーラは相変わらずノーテンキに暮らしています。時々盗み食いをしては、お母さんに「こら〜!」と叱られているけど、今のところ大事件はないみたい。
 足に出来たデキモノも治ったみたいだし。
 あまり無理しないでね。 
 じゃ、バイバイ
 早く帰ってきてね。
             
               
              お父さん、お元気ですか、リリーは元気ですよ。早く帰省してね。
        
   
    
                      帰ってきたら、いっぱい遊ぼうね。

                クリック→2枚の拡大写真(No29,30の写真)



 などと、
 犬達に会いたいけど仕事のためになかなか帰省できず、ちょっと寂しい思いをしている単身赴任の私は、こんな自分宛の手紙を書いて気を紛らわしている・・・のであった(笑)















2007年5月1日(火)
   「庭猫のボクは生後10ヶ月」 

 昨年の7月1日に生まれた庭猫のボクが生後10ヶ月になった。
 一緒に生まれたほかの2匹の兄弟姉妹はこの世を去り、生き残ったのがボクだけ。
 屋外で生活をする猫にとっては、衛生面の問題がある上に、害虫、外敵などにさらされる環境の中で、無事に成長するのは大変なことだろう。
 そんな中、よくここまで成長したものだ。
 既に、母猫のシロよりも体が大きくなった。
 でも、いつまでも甘えん坊のボクである。今でもシロのおっぱいをしゃぶっているところを、庭の管理人(私)に見つかって笑われている。
 
 縄張りに侵入してくる猫には、まだまだ太刀打ち出来ずに、尻尾を巻いて逃げて行くけど、お前は男の子。
 早く強くなって、優しいシロお母さんを守ってやるんだよ。

    
ボク 「ねぇねぇ、お母さん、ほら見てご覧よ、この頃、ここの管理人は庭の草取りをサボっているから、こんなに草が生えているよ。」
シロ「まったくだね〜、ここのおじさんはダラシが無いね〜。私たちが住むところだからきれいにしてくれないと困るわよ。」



 












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