カネヒキリと私

その1:カネヒキリとの出会い〜ジャパンダートダービー
皐月賞でのディープインパクトの勝利を、偶然TVで観たことから競馬に興味を示して
ダービーのディープの馬券を買ってみたことから、私の競馬歴は始った。
そのダービーの後、私が競馬にハマる前から好きだった騎手、武豊がメインの番組が始っていたことを知り、
さっそくその番組「武豊TV!」をスカパーで観てみた。

これが面白かった。競馬のことなどまったく知らない私でも、充分楽しめる内容だった。
特に武豊自ら自分が騎乗したレースを振り返り、タッチペンを使ってレース中にどのような事を考えていたのか、
またはどのような事が起こっていたのか、を詳しく解説してくれる豊プレイバックのコーナーは特筆ものであった。
その「武豊TV!」の第2回放送分の豊プレイバックで、毎日杯に出走したカネヒキリのレースを振り返ったことが、
私のカネヒキリとの出会いであった。
ユタカ自身初めてカネヒキリに跨った毎日杯のレースプレイバックで、
思い通りの2番手につけながら、最後の直線で手ごたえがなく、前残りの7着に終わったことにふれ、
ダートがあまりにも強いので、この馬にはやはりダートのほうがベストなのかな、とコメント。
そしてもう一回ダートで乗ってみたいと言っていた。

続く第3回放送分で、カネヒキリが出走した端午Sについて、豊プレイバックでは振り返らなかったが、
端午Sで勝ったカネヒキリについて、「やっぱりダートでした」と笑ってコメント。
ダート3戦とも圧勝だったカネヒキリに、私の目が向いたのはこの放送を観たとこだった。

さらに第4回放送分で、ユニコーンSでのカネヒキリのレースが取り上げられた。
ダービーでのディープインパクトを越える単勝支持率となったことや、
砂をかぶったり馬群に揉まれた競馬をしたことがないカネヒキリだが、
確実に賞金を加算してJDDに出走させるために、序盤から脚を使って好位置につけたこと、
ユタカがダービーの時ディープインパクトで着た勝負服を、このレースでも着たこと、
などがこの放送でわかり、さらにカネヒキリに興味を覚えることとなった。

そのカネヒキリの次走が、ジャパンダートダービーであることを知った私は、
カネヒキリの応援をこめて馬券を買おうと思った。
レースは夜なため、会社が終わった後でも高崎競馬場に行けば馬券は買うことが出来るしレースも見れる。
ところが、あいにくその日は私のHPで開催しているワードゲーム企画の生結果発表と重なってしまった。
今から思えば、結果発表を1日遅らせればよかったと思うのだが、その時は結果を1日でも早く発表したいと思い、
結果発表を優先させ、馬券は買いに行かなかったのでした。

結果は言うまでも無く、カネヒキリの圧勝。その結果をWebで知り、レースの映像を観た私は、
カネヒキリの単勝の記念馬券だけでも買いに行かなかったことを、激しく後悔したのでした。
翌日、カネヒキリの勝利を報じたスポーツ新聞をまとめ買い。
すっかりカネヒキリのファンとなってしまった私は、
早くもこのレースを振り返る「武豊TV!」を観たいと思ったのでした。
ところが次回の「武豊TV!」は9月の放送。2ヶ月も待たなくてはならず、ひどく待ち遠しかった。
その2:ついに観に行ったダービーグランプリ
カネヒキリの圧倒的な強さに惹かれた私は、いつの間にか私を競馬に引き込んだディープインパクトよりも、
好きになっていた。ディープはあまりにも有名だったから、というのが大きな理由だろうか。
ダートでの圧倒的な勝ち方に加え、ディープと同じ馬主、同じ騎手であったことから、
“砂のディープインパクト”と呼ばれるほどの人気ぶりながら、ダートということもあって知名度はいまひとつ。
こんなことも、カネヒキリにより愛着を感じた理由であろう。

ジャパンダートダービー後、次走ダービーグランプリまでの約2ヵ月の間に、
私はカネヒキリの走りを自分の目で観てみたいと思うようになった。
とはいえ、ダービーグランプリが開催されるのは、岩手競馬の盛岡競馬場。群馬からは果てしなく遠い距離にある。
観たいからといって、おいそれと行けるものではなかった。

そこで一計を案じた。私は競馬とはまったくの別の用事で、青森に行きたいと常々思っていた。
その想いは7月上旬にかなったのだが、私は再度青森を訪れる予定でいた。
そこでその2度目の青森行きを、ダービーグランプリの3連休に合わせて行い、
その青森からの帰路の途中に盛岡に立ち寄り、ダービーグランプリを観戦するという計画をたてた。

私はその計画通りに青森行きを敢行。
無事その帰りに盛岡でカネヒキリが出走するダービーグランプリを観戦することができた。
その時の詳細は、ダービーグランプリ観戦記に書いてあるので省略するが、
目の前でカネヒキリの勝利を観ることができ、心底感動してしまった。

カネヒキリダート無敗神話が永遠に続いて欲しいと心底願う私は、
今年のカネヒキリの最大の目標、ジャパンカップダートも絶対勝って欲しいと早くも思っていた。
その3:初のダートでの敗戦となった05年武蔵野ステークス
ジャパンカップダートを目標にしていたカネヒキリは、ステップレースを出走権のあったJBCクラシック(GI)ではなく、
中央のGIII武蔵野ステークスに置いた。私は武蔵野ステークスも観にいきたいと思ったのだが、
残念ながら武蔵野ステークスの日は出勤日。私は観にいくことが出来なかった。
いやそれどころか、ジャパンカップダートの日も出勤日であることが判明。大いに嘆いたものである。

武蔵野ステークスの日。私は会社にいた。馬券はこの日休みの先輩に買ってもらうことができた。
が、生でレースを観ることのできない状況に耐えられなかった私は、ひそかにレース直前に会社の食堂に行き、
音量を0にしてばれないようにレースを観戦した。

1600mという距離がカネヒキリにしては少々短いかも、ということくらいしかカネヒキリには負ける要素はなく、
ダート無敗でのジャパンカップダート挑戦はもう目の前と考えていた。
ところが、息を飲んで見ていたTVからは、信じられないカネヒキリの敗戦が映っていた。
大きいというにはあまりにも大きい、スタートでの出遅れだった。

ところが家に帰って詳しく調べてみると、どうやらカネヒキリはスタートの芝で躓いたことがわかった。
もともと芝レースで結果が出ず、ダートを試したところ圧勝したためダートの転向したカネヒキリには、
確かに芝スタートである東京ダート1600は不利な条件であったかも。
むしろ、砂をかぶりながら馬群に揉まれながらも2着に食い込んだことを考えると、負けてなお強しのレースであった。

武蔵野ステークスでの敗戦を気にする必要はないようだが、
さらに馬のレベルが上がるジャパンカップダートで、果たして勝利を勝ち取ることが出来るのか、
不安は非常に大きくなってしまった。
その4:夢にまで観た05年ジャパンカップダート制覇
ジャパンカップダートでカネヒキリが勝てるか、という不安もあったが、それ以上に不安であったのが、
武豊がカネヒキリに騎乗してくれるのかということ。
武豊にはタイムパラドックスというお手馬がすでにおり、直前のJBCクラシックも制覇していることもあって、
もしかしたらカネヒキリは別の騎手が乗ることになってしまうのではないか、と不安だった。
カネヒキリには今後武豊しか乗ってほしくなかったからなのだが、無事ユタカで決まった時には、
本当にホッとしたものであった。

ジャパンカップダート当日。私はまたも会社にいた。
前回仕事中にTVを観たことが、カネヒキリの敗因だと思った私は、今回はラジオを聞くことに留めた。
またも馬券すら買いにいけないため、前日に先輩に馬券を買ってきてもらうようお願いした。
ただ、カネヒキリのことが気になって仕事が手につかず、レース前にはラジオの前に陣取っていたが。

雑音が入るラジオからの音声の中、レースはスタートした。
今回はカネヒキリが出遅れなかったようで、まずは一安心。ただやはり映像がないため、状況があまり理解できない。
もどかいし中最後の直線でカネヒキリが追い上げてきたことがわかると、私はもう居ても立ってもいられなかった。
スターキングマン、シーキングザダイヤ、との3頭の競り合いのままゴールを駆け抜け、
1着2着は写真判定となったとの実況を聞くと、もうとてもじゃないが放送を聴いていられなかった。

長い写真判定の末、カネヒキリの優勝が決まると、会社であることを忘れて
「やった〜〜〜〜!!!!」
と叫んでしまった。家に帰ってレース映像を観ると、本当にすさまじいまでの3頭の競り合いに驚いた。
よくこんなレースを制したもんだと、改めてカネヒキリの強さに驚き、そしてその勝利に喜んだ。
ブログなどでカネヒキリに否定的な意見を述べていた輩には、「ザマ〜ミロ!」とでも言いたいところでしたよ。

その日はカネヒキリの勝利記事を読むので夜を費やし、翌日はスポーツ新聞を総買いして、
カネヒキリの勝利の余韻に浸ったのでした。
その5:2度目の観戦となった06年フェブラリーステークス
2006年になり、カネヒキリのドバイワールドカップ参戦が正式に決定した。
ついにカネヒキリが海外に挑戦する日が来るとは、ファンとしてこれほど嬉しいことはなかった。
ドバイ参戦が決まったとなれば、フェブラリーステークスで無様なレースをすることはできないが、
今回はJCD以上のメンバーが集まった上、カネヒキリに不安要素が多かったことから、この私とて不安だった。

それでも、3ヶ月の休養明けに関してと、調教量が足りないことについては、まったく問題視していなかった。
カネヒキリはダービーグランプリでも、2ヶ月の休養明けで快勝した実績があったからだ。
このときは最終追い切りでもいい時計が出ず、カネヒキリ不安説がまことしやかに流れながらも、
それらを一蹴するほどの圧勝であったため、今回3回しか時計を出していなくても、
芝での最終追い切りが結構いい時計をだしていたため、状態はいいとむしろ思っていた。

芝スタートで三度出遅れるのではないか、という不安もあったが、芝での追い切りが非常に良かったことで、
その不安もかなり解消されたのではないか、と思った。
スタートさえ無難に出てくれれば、外枠ということもあって内に揉まれることもなく、
あっさり勝てるかも知れないとも思っていた。
しかし、それはあくまで思っていただけであって、1600mという距離がカネヒキリには短く、
直線の追い上げが届かずにあっさり負けてしまうのではないか、という不安は最後まで消えなかった。

それでも私は、ダービーグランプリ以来となる競馬観戦をするため、レース当日東京競馬場に向かった。
武蔵野S、JCDと土曜開催だったために仕事で観にいけなかったが、今回のフェブラリーは日曜開催。
やっと2度目のカネヒキリを観にいけるのである。
地方競馬の最初の観戦がカネヒキリ、中央競馬の最初の観戦もカネヒキリ。これは縁起がいい。
ダービーグランプリは目の前で勝ってくれたので、今回のフェブラリーも勝ってくれるかもしれない。

今回は中央競馬のGIレース開催ということもあって、東京競馬場には多くの人が訪れていた。
ちなみに私が東京競馬場を訪れたのは、これが2度目。最初は競馬とはまったく関係ない用事で訪れていた。
盛岡ではカネヒキリのゴールシーンを撮影することができたが、今回は人の多さといい場所が取れなかったので断念。
代わりにパドックでカネヒキリを撮影することに重点を置き、フラムドパシオンのレースを観ることを断念してまで、
パドックに居座っていい位置を確保した。それでも撮影技術の未熟さから、納得のいく撮影は出来なかったが、
カネヒキリを半年振りに間近で観ることができて、感動であった。

そしていよいよ出走時間となった。初めて体験する中央競馬のGIレースに興奮。
いざレースが始ると、カネヒキリが無難にスタートを切ってくれたことにまずはほっとしたのだが、
メイショウボーラーとトウショウギアの2頭が超ハイペースで逃げてしまったので、
「おいおい、こりゃもしかして昨年のように逃げられちゃうんじゃないの?」
とかな〜り不安に。まあ外枠を引いたうえに、中団につけた後も外をずっと回っていったので、
前の馬が壁になって出られなくなることがないと思っていたが。

直線になってカネヒキリの追い上げに期待したのだが、ここぞというところで、私カネヒキリを見失ってしまいました。
てっきりカネヒキリは鬼脚を繰り出せずに惨敗したかと諦めていたら、
ビジョンにはいつの間にか先頭に踊り出ていた14番カネヒキリの姿が。
「えーっ、いつの間に!?」
その直後私の目の前をカネヒキリが先頭のまま駆け抜けていきましたさ。

自分が少しでも不安に思ってしまったのが恥かしくなるほどの、3馬身差の圧勝劇にめちゃくちゃ感動。
馬券まで3連単が当たっていて、二重の喜び。いや〜、馬券で儲けたの、スプリンターズS以来ですよ。長かったなぁ。
なんだか、自分がカネヒキリを応援に観にいくと、負けないというジンクスが生まれつつあるのかも(笑)。
ってまだ2回しか観てないんだけどね。

その後は表彰式、ユタカのインタビューを観た後、フェブラリーステークスを振り返るトークイベントにも参加。
勝利ジョッキーとしてユタカも登場してくれました。いや〜、本当にいい1日でした。
その6:夢の世界挑戦〜ドバイワールドカップ
フェブラリーステークスを圧勝し国内ダートを制圧したカネヒキリは、ついに世界制覇を目指してドバイに旅立っていった。
出走するのは世界最高賞金レースのドバイワールドカップ。
自分が一番好きな馬が海外レースに出走することになったことに、手放しで喜んだ。

しかしカネヒキリにとってドバイワールドカップは、決して向いたレースとは言えなかった。
例年に比べて出走馬のレベルが高くなく、カネヒキリにとって今年はチャンスと言われていたが、
UAEに移籍したエレクトロキューショニストの参戦によって、最大のライバルが現れてしまった。
ドバイのダートも日本の砂とは違い、芝適正が必要とされる土であるため、
芝レースでの好走実績がないカネヒキリには厳しいと目されていた。

それでも国内のダート戦線を圧勝で制して、日本代表として出走するカネヒキリに、
私は大きな期待をかけていた。カネヒキリになら前評判を覆して勝ってくれると。

レース当日、私はスカパーの中継に釘付けとなった。
絶好のスタートを決め、直線ではいつものカネヒキリの鬼脚が炸裂すると信じていた。
しかし、エレクトロキューショニストとは脚色が明らかに違っていた。
5位入線の4位は健闘したほうではあるが、10馬身も千切られては、完敗であった。

カネヒキリのファンになってから、初の完敗。世界制覇は、夢に終わった。
その7:06年帝王賞でアジュディミツオーに完敗
ドバイから帰国したカネヒキリは、帝王賞に出走することとなった。
そこに立ちはだかったのが、地方の雄アジュディミツオーであった。
カネヒキリが出走しなかった東京大賞典、川崎記念を連勝、さらにかしわ記念も勝って、
統一GI4勝となっていたアジュディミツオーとは、過去カネヒキリが3戦3勝していたが、全て中央のレース。
アジュディミツオーのホームともいえる大井でのレースでは、アジュディミツオーが有利との下馬評が目立っていた。

一方カネヒキリはドバイ帰り。
過去ドバイからの帰国初戦で数多くの馬が敗れていることもあり、カネヒキリにも不安説が流れていた。
実際私も、不穏な情報を耳にしていて、カネヒキリは今回負けてしまうのではないか、と思わずにはいられなかった。

その不安を吹きけすため、私は会社を有給で休み、帝王賞の舞台大井競馬場へと足を運んだ。
カネヒキリの応援に駆けつけるのは、3度目。
過去2度は共にカネヒキリが勝っているため、私は自分の事を勝利の女神(男だが)だと思っていた。
自分が応援に来たからには、カネヒキリが勝ってくれるだろう、そう信じていた。

カネヒキリとアジュディミツオーは、歴史に残る名レースを演じてくれた。
逃げるアジュディミツオーに、ぴったりマークするカネヒキリ。
しかし、カネヒキリは最後までアジュディミツオーに追いつくことは出来なかった。
3着以下を完全に離した、まさに一騎打ち。上がり3Fのタイムでアジュディミツオーを上回ったものの、完敗であった。

正直目の前でのカネヒキリの敗戦は、かなりのショックであった。
国内ではカネヒキリは敵無しでいてくれると信じていただけに、敗戦が信じられなかった。

敗戦後の陣営のコメントから、カネヒキリはやはりドバイ帰りの疲れが取れきっていなかったことが判明した。
むしろ完調でなかったにもかかわらず、アジュディミツオーとあれだけの激闘ができたことは、
カネヒキリの強さを改めて思い知らされたわけだが、負けは負け。
秋にこの悔しさを晴らしてほしいと、願わずにはいられなかった。
その8:そして屈腱炎発症!
帝王賞の敗戦の後、カネヒキリ陣営は芝レースの札幌記念への参戦を表明した。
芝で実績を残していないカネヒキリだが、毎日杯を最後に芝レースを使っていない。
そこでダートの大レースがない夏場に、芝レースへ再度の挑戦を試みようとしたのである。
カネヒキリはGI馬であるため、GIIやGIII戦に出走すると重い斤量を背負わされてしまう。
札幌記念はGIIでは唯一の定量戦であるため、芝レースを試すにはうってつけの舞台であった。

しかし直前になって札幌記念は回避に。
陣営に何があったのかはわからないが、秋は無難な南部杯から出走となった。
正直言って、札幌記念の回避はあまりいい行動ではなかった。
そして2006年9月、南部杯に向けて調整をしていたカネヒキリに、屈腱炎が発症してしまった!

晴天の霹靂とは、まさにこのことであった。

屈腱炎は競走馬にとって不治の病。
「屈腱炎発症=即引退」というのは、競馬歴2年目の私でも当然の知識であった。
これからもいくつものGIレースを勝って、一時代を築いていくと信じていた私の落ち込みようは、
言わなくてもわかるであろう。

しかし、金子オーナー、角居調教師をはじめとした陣営が下した判断は、現役続行だった。
「ダートしか勝ち鞍のないカネヒキリは、種牡馬としての価値が低い」というのが陣営のコメントだった。
確かにただでさえサンデー系の種牡馬があふれている現在の日本の競馬界で、
芝での好走歴のないカネヒキリが、たとえダートでGIを4勝していようとも、交配する牝馬が集まりにくいのは、
わからなくはなかった。
しかしカネヒキリは数少ないJRAのダートGIを完全制覇した名馬。
これだけの功績から、種牡馬としての道を歩むと思っていた私は、ダート馬の厳しい現状を思い知った。

翌春、カネヒキリは角居厩舎に戻ってきた。
秋の復帰に備え、厩舎で地道な調教を積んでいった。夏に一度放牧に出された後、9月に帰厩。
武蔵野ステークスに照準を合わせて、これからという時だった。

屈腱炎再発!

さすがに今度こそもう終わりだな、と思った。
仮に現役続行したとしても、2年もの間、しかも競走馬として一番脂がのった4歳〜6歳の時期を棒に振ることになる。
来年復帰できたとしても、もうあの圧倒的な力強い走りは見ることができないだろうと。

しかし陣営は諦めていなかった。再度休養に入り、2008年の復帰を目指すことになった。
カネヒキリは、出口の見えないトンネルに入っていた。
その9:2年4ヶ月ぶりの出走となった08年武蔵野ステークス
カネヒキリが出口の見えない休養に入っている間、カネヒキリが下したライバル達が次々にGIを勝っていった。
ブルーコンコルドはマイル以下のレースを中心に、08年南部杯までにGI7勝をあげ、
3歳から同世代のライバルであったサンライズバッカスは、07年のフェブラリーSでGI初制覇を達成。
そしてヴァーミリアンは、07年川崎記念から08年JBCクラシックまで、国内ダートGI6連勝を達成し、ドバイにも2度遠征。
国内に敵はなく、いつしか絶対王者と呼ばれるようになっていた。

多くの競馬ファンにとって、カネヒキリは過去の馬として、引退した馬として記憶の片隅に忘れ去られていた。

2008年9月、再びカネヒキリは角居厩舎に戻ってきた。
今度こそ再発しないよう慎重な調教が実り、06年帝王賞以来実に2年4ヶ月ぶりに、
休養前に騎乗していた武豊騎手の手綱で、武蔵野ステークスに出走することとなった。

2度の屈腱炎を患った旧ダート王者の2年4ヶ月ぶりの復帰は、競馬界に大きな話題となったものの、
さすがに復帰戦の武蔵野ステークスで本命にする方はそういなかった。
屈腱炎が再発するかもしれないという、脚に爆弾を抱えての出走には、
いくら休養前に圧倒的な強さを誇ったカネヒキリでも、かつての力が戻らないとの見方が主流だった。

かくいうカネヒキリの熱狂的なファンの私でも、もうカネヒキリに過大な期待をかけられなかった。
脚に負担をかけた末に、予後不良になってしまう可能性もよぎっていたからだ。
「無理に勝ってくれなくてもいい。それより怪我せずに走ってきて欲しい」
それだけが願いだった。

武蔵野ステークス当日、私は仕事だった。
3時休みに会社の後輩の携帯を借りて、カネヒキリの復帰戦を見てみたのだが、予想通り勝てなかった。
落胆も少なかった。
しかし家に帰ってからレースをじっくり観てみると、最後の直線で前の馬に進路を塞がれて行き場がなかったうえ、
武豊騎手もまったく鞭を入れておらず、馬なりで勝ち馬と0.6秒差の9着だったことがわかった。

公開調教とでも言うべきか。陣営は武豊騎手も含めて、勝ちにきていなかった。
カネヒキリにとって、武蔵野ステークスは明らかな叩き台であった。
しかしそれがわかっていても、カネヒキリが本当に復活したかどうかは、私にはわからなかった。
その10:そして奇跡の復活へ・・・〜08年ジャパンカップダート
武蔵野ステークスでカネヒキリに跨った武豊は、ヴァーミリアンが負けるとしたらこの馬とコメントしていた。
他の騎手も競馬関係者も、カネヒキリの手ごたえの良さを感じていたらしい。
やはり馬に携わる人たちの見る目は確かだ。

しかし一介のファンでしかない私には、武蔵野ステークスの一戦だけで、復活を信じられなかった。
ジャパンカップダートに無理に出すより、GIIやGIII戦に出走させて、
徐々に強いところとあたっていけばいいと思っていた。
三度の怪我だけが、一番の気掛かりであったから。

でも陣営は、次走にジャパンカップダートを表明。
ヴァーミリアンに騎乗する武豊に変わり(後に落馬骨折で岩田騎手騎乗)、ルメールが手綱をとることとなった。
今年からJCダートは阪神競馬場に舞台が変わり、距離も2100から1800mに短縮されることとなった。
05JCダートと06フェブラリーのカネヒキリの走りからして、マイルが一番の適距離であると感じていたため、
1800mに距離短縮されたことは、カネヒキリにとって好材料であったし、
乗り替わりがルメール騎手というのも安心材料であった。今年はエリザベス女王杯を既に制している。

が、私はさすがに勝つのは無理だろうと思っていた。
そしてレース当日。私はJCダートの馬券購入で、大きく悩んでいた。
「競馬予想TV!に挑戦」という名目で、自らのHPでの馬券の買い目公開をしている身としては、
カネヒキリのファンだからといって、おいそれと当たらないような馬券を購入するわけにはいかなかった。

悩みに悩んだ末、私はついに私情をはさみ、カネヒキリを軸とした馬券購入を決意。
カネヒキリの復活を信じることにし、家でレースをTVで観戦することにした。

ルメールは、本当に素晴らしい騎乗であった。
スタートを決めたカネヒキリを4、5番手の絶好の位置にもっていくと、いつの間にか最内を走っていた。
内ラチ沿いを走っているのを見て、「いつの間に!?」と声が出ていた。

最後の直線でカネヒキリが先頭に立ったのがわかると、もう私は絶叫していた。
ヴァーミリアンとメイショウトウコンに詰め寄られているのがわかると、「ダメだ〜」と頭を抱えたが、
そこから二の足を使って粘っているカネヒキリをみて、もう何をしゃべっているかわからなかった。

そして、奇跡は起きた・・・

カネヒキリ復活!!

「いやった〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!」

私は泣いていた。今TVの画面で起こっていることが、信じられなかった。
2度の屈腱炎を乗り越えて、2年4ヶ月の休養を経て、
カネヒキリが再びGI勝利を手にするなんて、夢にも思っていなかったから。

それにしても、何という馬であろうか。
ルメールの好騎乗があったにせよ、カネヒキリの走りはとても屈腱炎明けとは思えなかった。
感動感動また感動。
その日はカネヒキリのニュースや、カネヒキリを話題にしたブログや2ちゃんの閲覧で、眠れぬ夜となった。

翌日、スポーツ新聞を読んだ私は、カネヒキリが2度も手術をしていたことを初めて知った。
おしりの幹細胞を腱に注射するという難手術だったそうだ。
カネヒキリの復活を信じ、2度の手術に踏み切った金子オーナー、角居調教師をはじめとした厩舎スタッフ、
そして牧場関係者の皆さんの手厚い看護がなければ、奇跡の復活劇はありえなかった。
カネヒキリの復活に携わった皆さん、「感動をありがとう」。
その11:ヴァーミリアンとの真の王者対決〜08年東京大賞典
カネヒキリの感動の復活劇は、私の競馬への見る目を、2年半前に引き戻してくれた。
屈腱炎になる前まで、私にといって競馬=カネヒキリであった。
カネヒキリが離脱し、ディープインパクトも引退してしまうと、心から応援する馬がいなくなってしまい、
一歩引いた目で競馬を楽しんでいる私がいた。
しかしカネヒキリの復活によって、好きな馬を心から応援するというあの頃の私に引き戻してくれた。

ジャパンカップダートを勝ったカネヒキリは、国内レースに専念するという角居調教師のコメント発表された。
脚のこともあるためドバイ遠征をしないという報には納得であった。
そのため無理はさせないで、次走はフェブラリーステークスになると思っていた。
ところが東京大賞典への出走が決定。これには驚いた。まさか中2週でGI連戦させるとは。

まして東京大賞典は大井の2000m。マイルが一番の適距離だと思っている私にとって、
カネヒキリのベスト条件とは思えなかった。
カネヒキリの出走が報道されると、絶対王者ヴァーミリアンとの一騎打ちモードとなった。
JCダートでは外国馬に被害をうけ、位置取りが後になってしまったヴァーミリアンには、情状酌量の余地があった。
頭数が少なくなり、紛れが起きにくいうえ、主戦騎手の武豊も復帰するとあっては、
今度はヴァーミリアンのほうが勝つだろうという意見が多数を占めていた。

私もこの意見には同意せざるを得なかった。
カネヒキリには距離が長いと思えたし、JCダートはルメールの好騎乗に助けられた面があった。
ヴァーミリアンと東京大賞典で再度対決したら、今度は負けてしまうのではないか、と思わざるを得なかった。
私はまだ、不安だった。

だからレース当日。私は大井競馬場へ応援に行かなかった。
既に会社は年末休暇に入っていたため、応援に行こうと思えば行けたのだが、
目の前でカネヒキリが負けるシーンを見たくないという、弱気の心が出たためであった。

家の大掃除に精を出していたが、午後になってようやく一段落つくと、カネヒキリの心配の気持ちが高まっていったが、
それ以上に大掃除の疲れで睡魔が襲ってきてしまい、私はいつの間にか昼寝をしてしまっていた。
目が覚めたら既にレースはとっくに終わっていた。
慌ててネットに繋ぐと、そこにはカネヒキリの東京大賞典勝利の報があった。

「すっげー!勝ってる!」

レースを観てもいないのに、「ヤッター!」と大声をあげてしまった。
地方競馬のサイトでレースを観てみると、カネヒキリとヴァーミリアンの激闘があった。

カネヒキリはまたも好スタートを決めると、逃げたブルーホークの3番手と先行。
ヴァーミリアンはカネヒキリをピッタリマークする形で最終コーナーへ。
サクセスブロッケンほか3番手以降を突き放し、カネヒキリとヴァーミリアンの予想通りの一騎打ちは、
ヴァーミリアンの追撃をクビ差かわして、カネヒキリの優勝。
ジャパンカップダート同様、迫られてからの勝負強さは凄まじいものがあり、クビという着差以上の完勝であった。

まったくもって、距離が持たないとか考えていた私が恥かしいほどの完璧な勝利であった。
ヴァーミリアンとの真っ向勝負に持ち込んで、グウの音も出ないほどの完勝。
なんという馬であろうか。前回も言ったが、これが屈腱炎を患った馬の走りか!?
カネヒキリの強さに改めて驚くしかなかった。

これで復帰後GI連勝。通算GI6勝目。
ほんの1ヶ月前まではヴァーミリアンは絶対王者と言われていたが、
直接対決で2度とも勝ってしまったカネヒキリが王者に完全復活!
強力な3歳勢への世代交代か?、と思われていたが、昔に戻ってしまうなんて誰が想像できたであろうか。

東京大賞典の勝利によって、2008年度の最優秀ダートホースの座に3年ぶりに返り咲いた。
完全復活したカネヒキリは、どこまで行くのであろうか?
その12:勝って当然の下馬評の中での川崎記念
2009年に入りJRA賞の発表があり、カネヒキリは最優秀ダートホースのタイトルを、05年以来3年ぶりに受賞した。
JCダート、東京大賞典と、わずか1ヶ月の間にGI連勝したうえ、ヴァーミリアンにも先着していたので、
当然の受賞であった。

それ以上に驚いたのは、ネットの投票でもTVの投票でも、
カネヒキリが勝ったJCダートが2008年のベストレースの3位に入ったことである。
ダートGIがこれほど票数を集めるなんて、通常では考えられないこと。
それほどカネヒキリの屈腱炎からの復活勝利が、多くの競馬ファンに感動を与えたのであろう。

そんなカネヒキリは今度こそフェブラリーステークスに向かうと思っていたら、
なんと川崎記念に出走することとなった。脚の状態が良かったために出走することにしたそうだが、連戦ではないか。
おまけにライバルのヴァーミリアンがフェブラリーSに直行することが決まり、
川崎記念はサクセスブロッケンをはじめとして、JCダートや東京大賞典でカネヒキリが下した相手との戦いに。
勝負付けは済んだ間があり、カネヒキリの勝利は濃厚といえる空気になっていた。

かくいう私も、今回は負けられない一戦だと思った。
東京大賞典よりさらに100m延びるレースはカネヒキリには不利であるが、
メンバー的に考えると負けるわけにはいかない。ブルーコンコルドやボンネビルレコードには絶対負けてはいけないし、
強力な明け4歳サクセスブロッケンにもカネヒキリには負けて欲しくなかった。

単勝は久しぶりの1.1倍。
もはやカネヒキリがどういう勝ち方をするかに注目が集まった川崎記念当日、
平日であったため、私は当然仕事であった。
屈腱炎明けで初めて1番人気に支持され、誰の目にもカネヒキリが勝つレースだと思われていたが、
私は心配でならなかった。
GIレース3連戦目で疲れが出て、東京大賞典のような力強い走りが出来ないかもしれないし、
連戦が裏目に出て足の爆弾が再発してしまう可能性も否定できなかった。
競馬は何が起こるかわからない。それがわかっているからこそ、今回も心配でならなかった。

ラジオ放送もないので、当然レースを生で観ることも聴くこともできなかった。
発走時間の頃、「今頃カネヒキリは走っているんだろうな」と思ったものである。
発走から数十分が過ぎ、ようやく出来た仕事の合間に、私は意を決して携帯でnetkeiba.comを開いてみた。
そしてそこには、カネヒキリ優勝の速報が上がっていた!

「やったー!!!!」

心の重荷から解放された喜びもあり、無意識のうちにガッツボーズが出ていた。
カネヒキリの優勝がわかったので、その後は会社でニコニコ顔であったのは言うまでも無い(笑)。
仕事が終わるとこの日は速攻で帰宅し、すぐにレース映像を地方競馬のサイトで閲覧した。

横綱相撲だった。
スタートを決めたカネヒキリは、逃げたフリオーソをピッタリとマークした2番手に。
サクセスブロッケンはまったく眼中になく、小回りの川崎競馬場ということもあって、
逃げたフリオーソ一頭に絞った競馬であった。
最後の直線でも馬なりでフリオーソをかわし、結局ルメール騎手はムチを一発も入れることはなかった。
着差こそ1/2馬身であったが、フリオーソが一杯に追っていたことからも、着差以上の圧勝であるのは明らかであった。

なんという強さであろうか。これがGIレースの勝ち方か。
ようは勝てばいいだけで、無理に2着以下を突き放す意味は無い。
脚に負担をかけさせないという点からも、次走に疲れを残さない勝ち方という点からも、
ルメールはパーフェクトな騎乗であった。

カネヒキリ一頭だけが別次元の競馬をしていたようなもので、他馬とはレベルが違う。
フリオーソは完璧な競馬をしていたのに、カネヒキリに軽くあしらわれてはどうしようもない。
完璧なGI7勝目であった。

これでフェブラリーステークスは、有馬記念馬ダイワスカーレットの参戦に加え、
カネヒキリの日本競馬GI最多勝記録の更新かという、とんでもない見所のあるレースとなってしまった。
ルドルフの呪いを打ち破り、GI8勝目をあげることはできるのであろうか。

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