江連はり施術院/趣味/チャレンジ スポーツ/野球

野球

盲人野球(グランドソフトボール)

盲学校に入学して間もなく、担任の先生から「盲人野球のピッチャーをやってみないか?」と言われ少し驚いたが、野球のピッチャーなどそれまで全く経験がなかったので、好奇心をくすぐられ、「はい、やってみます。」と即答した。
やって見ると、アイマスクをかけて完全に目隠しした上で、ハンドボール大の盲人野球専用のボールをパンパンと両手を打ち鳴らして位置を知らせるキャッチャーめがけて転がすという体験は、なかなか面白かった。
最初の頃はストライクゾーンにボールを投げる(転がす)事がとても難しくて、とにかくキャッチャーめがけて、ホームベースの真ん中に投げる事だけを考えて一生懸命練習した。
約一年間程盲人野球のピッチャーとしてマウンドに立ったが、通算成績は練習試合も含めて1勝3敗だった。
初めて出場した北関東大会では、まるでバッティングピッチャーのようにめちゃくちゃに打ち込まれた。
試合に負けて落ち込んでいる私のところに相手方の選手がやって来て、「あんたの球は、そこそこ速いけど、癖がない上に適当に弾むので、すごく打ちやすかったよ。」などと言ってくれたので、更に落ち込んだ。
その後私は、二度目の眼の手術を受けるために再入院したので、私の一年後に入学して来た友人が替わりにピッチャーを勤める事になった。
この友人は私よりも球が速くコントロールもよかったので、その後もずっとエースとして我が校野球部の躍進に貢献した。
多分盲学校を卒業する二年くらい前だったと思うが、あるチームとダブルヘッダーの練習試合を行い、一試合目はエースが投げ、二試合目を私が投げさせてもらった事がある。
この試合で、「どうせエースのような速い球は投げられないのだから…」と開き直って、適当に変化球を織り交ぜながら緩いボールで打ち取るというピッチングに徹したのがよかったのか、バックに守られながらも意外なほど打ち込まれず、最初で最後の勝星をプレゼントしてもらった。

プロ野球

小学生の頃までは私もご多分に漏れず巨人ファンだった。
特に長嶋選手が大好きで、彼がバッターボックスに入るのを待ち遠しい思いでラジオの実況放送に耳を傾けていたものだ。
しかし、年齢を重ねて行く内に、いつの間にかヤクルトスワローズを応援するようになり、特に野村監督の下で何度か日本一を勝ち取った1990年代の「ヤクルト黄金時代」の頃はプロ野球が最高に楽しかった。
幸い息子もヤクルトファンになってくれたので、二人で野球談義に花を咲かせる事もよくある。
本当はラジオでヤクルトの試合の実況放送を聞きたいところだが、私が持っているラジオでクリアに聴取できるラジオ局では月に数回くらいしか放送してくれない。
しかも、たまに私が聞くと、皮肉な事に負けてしまう事が多い気がする。
そんな事もあって、最近はインターネットで試合の経過や結果を見てしまう事が多くなった。
インターネットで見ると、その気になればかなり詳しい情報が得られるのでよい事もあるが、やはりたまには実際に球場に行って生の試合を観戦してみたい。
これまで4回程ヤクルトスワローズの試合を見に行ったが、まだ一度として勝利の喜びを球場で味わった事がない。
せめて年に一度くらいは球場に足を運んで応援できればと思う。
頑張れ東京ヤクルトスワローズ!

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