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陸上競技

徒競走

私は、小学生の頃の徒競走を振り返る度に、どうしても「おさななじみ」という歌を連想してしまう。
当時私の家の隣に、Iちゃんという、同い年の女の子が住んでいた。
Iちゃんはとても足が速く、運動会の徒競走ではいつも1番だった。
それに引き替え、私は走るのが苦手で、ビリではなかったものの、いつも6人中5番だった。
小学1年生の初めての運動会の徒競争の時、私は緊張してしまい、あろう事かスタート直前におしっこを漏らしてしまった。
泣きたい気持ちでスタートし、恥ずかしさの余りゴールインしても止まらずに、そのまま家まで逃げ帰ってしまった。
その後の記憶はないが、多分濡れてしまったパンツや運動着を着換えさせられて再び学校に戻されたのではないかと思う。

走り高跳び/棒高跳び

私が小学生の頃、年上のいとこや兄などが、時々高跳び用のバーや支柱として使えそうな木や竹の棒をどこからか見つけて来て、その支柱に釘を適当な間隔で打ち込み、バーの高さを調節できるようにした上で、稲刈りが済んだ田んぼなどの柔らかい地面に立ててくれたので、この支柱に打たれた釘の上にバーを載せ、私の友人も交えた数人で走り高跳びをして遊んだ。
それほど高く跳べた訳ではなかったが、皆で順番にジャンプしながらバーの高さを少しずつ上げて、どこまで高く跳べるかにチャレンジするのはとても楽しかった。
中学生になると、誰かが真っ直ぐな木や竹の棒を見つけて来て「棒高跳び」をして遊ぶようにもなった。
棒高跳びは、うまく跳躍できた時には体がグーンと高く上がって一瞬ではあるが周囲の景色が変化し、とても気分がよかった。

走り幅跳び

高校1年生の体育の時間に、走り幅跳びの練習をしていて、思いがけず5メートル超えの記録が出てから、走り幅跳びが好きになった。
その後、目が悪くなって盲学校に入学してから、一度だけ陸上部のメンバーに混じって、視覚障害者の関東地区陸上競技大会に出場させてもらった事がある。
この時の順位は5位だったが、記録が5メートル9センチで、以前体育の授業で一度だけ超えたものの、それ以来ずっと超えられなかった5メートルの壁を本番でクリアできて、とても嬉しかった。
それから約20年後、栃木県の身体障害者スポーツ大会の走り幅跳びの部に出場したが、3メートル50センチも跳べずに最下位に終わり、ひどくショックを受けた。
悔しかったので、その後も走り幅跳びの部に続けてエントリーし、何年か後にはどうにか4メートルを超えられるようになり、3年程続けて一位になったので一応満足した。

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