gekan monogatari 下関物語




 今を去ること十余年、遥か西方に阿呆児たちの楽園があった。
 「下関児(げかんじ)」と呼ばれたこの阿呆児たちは、コロニーを中心として群れを作り、暮らしていた。
 彼らはホカ弁とスナック菓子を主食にし、輝かしい未来を夢見ることも冷酷な現実に嘆き悲しむこともなく、ただ生きていただけだった。
 今ではもう遠い昔のことになってしまったが、そんな下関児どもの夢の跡を訪ねてみることにする。


  
遠く関門海峡を望む 下関、そして九州への道


 防府方面から国道2号線の談合峠を下ると海が開け、海峡の橋を望むことが出来る。
 しかし、下関へはここからさらに20キロも行かねばならない。
 まさにさい果ての町である。だからこそ、全国から集った阿呆児たちが楽園を築くことが出来たのだろう。


海辺の9号線 関門トンネル入口


 小月、長府と辿って行くと、やがて海峡越しに門司の町が開けてくる。
 トンネルをくぐってさっさと九州に渡ってしまいたい気もするが、とりあえず新下関の駅に向かうことにする。


新下関駅在来線口 各駅停車が離れていく


 新下関はかつては長門一ノ宮と呼ばれていた。
 駅の周りには寒々とした風景が広がっている。特に、コロニーへ続く在来線側出口は何も無い。
 折りしも上り電車が入ってきたが、長く停車することもなくそそくさと出発していった。


人影もなく 駅前大通り
コロニーへ続く道 よくわからん階段


 ドブ川沿いのぐちゃぐちゃした道をコロニーへと向かう。
 殺伐とした風景で、面白くも何とも無い。
 雨足が速くなり、非常に陰鬱な気分でとぼとぼと歩いていく。
 違法駐車がやけに多いのはともかく、路上に生ゴミが延々と散乱しているのはなぜだろうか。


荒涼 そびえ立つコロニー


 やがて右手に、人々を威圧するかのようにコロニーが現れる。
 かつて下関児たちは、このコロニーを中心としてその退廃的な生活を構築していた。
 日本全国から安住の地を求めてここに集い、やがてまた全国に散っていった下関児たちは今、何を思うのだろうか。


下関児坂 下関児通り
生きることの意味を説く 誰も居ない


 コロニーから少し離れ、下関児たちの巣窟跡を訪ねてみることにする。


下関児の巣窟 昔日の面影
縁側の風景 玄関先の風景


 …。
 多くを語ろうとは思わないが、彼らはここから何を見ていたのだろう。
 たとえ、ただ生きていただけだったとしても。


近隣住宅 冷たい雨
坂の向こうにも夢は無かった 青春


 現代の下関児が、自転車で坂を駆け上がっていった。
 時代は移り、人は変わっても、また全国から新しい下関児たちがここに集い、下関児の遺伝子は脈々と受け継がれていく。
 さすがに馬鹿らしくなってきたのでこの辺にして、下関の町を訪ねてみることにする。


寒い町 寒い道
下関犬 下関犬
町へのトンネル さよなら新下関


 坂を下って唐戸へ向かう。
 唐戸の商店街も閑散としていて、侘しい限りである。


唐戸商店街 唐戸交差点


 唐戸交差点を左に折れる。
 初詣で賑わう亀山八幡宮・赤間神宮の前を通って壇ノ浦に向かう。
 平家の栄華も下関児たちの青春も、今ではもう同じ昔日の幻に過ぎない。


壇ノ浦 平家蟹の海
ファイアーマウンテン みもすそ川


 ここから関門トンネルを通って九州へ行くことが出来る。
 源平の昔から数多の歴史に彩られてきた町・下関の旅はこれで終わりである。
 下関児コロニー探訪で疲弊しきった心を癒すために、引き続き門司港レトロ散策の旅に出ることにする。
 引き続き、〜2003・冬、門司港〜でお楽しみください。 


<ご案内> 山陽本線山陽新幹線「新下関」下車。 もしくは山陽本線「下関」下車後、徒歩またはバス。