「スタンドは1人1体」の複雑な理由
■「スタンドは1人1体」という言葉は、ジョジョ3部以降において「スタンドの基本法則」として語られていることの1つである。この法則が作中で最初に語られたのは、アヴドゥルとの戦いでポルナレフのスタンド「シルバーチャリオッツ」が7体に分身した時である。(これは実際には残像でしかなかったが) そしてその後もこの法則は、「黄の節制 その4」の回の扉絵にあるスタンドの法則の一覧や、死体を操るスタンド「ジャスティス」の本体エンヤ婆のセリフなどで、たびたび言及されている。
■実際ジョジョ各部に登場するスタンドは、等身大の人型スタンドを始めとしてほとんどがこの法則に従っている。しかし4部からはこの法則に従わない、「複数体」のスタンドがたびたび登場するようになる。これが矛盾かというとそうではない。1人1体という法則にはれっきとした理由があり、この理由の例外となるスタンドもいるというだけの話である。そしてその理由というのは1つではなく色々あるのだが、そのうち主要な3つを以下に1つずつ挙げていく。
■第1の理由はスタンド使い本体が持つ「エネルギー量の限界」である。霊的な存在であるスタンドを、仮に「精神エネルギー」の塊と考えるなら、本体の気合い次第で等身大の人型スタンドを2体以上出現させることも可能なように思える。しかしスタンドは正しくは「生命エネルギー」から作られており、本体肉体に宿る生命エネルギー量の範囲でしかスタンドを作り出せない。この限界により、スタンド使いは等身大の人型スタンドを基本的に1体しか出現させられない。
■第2の理由はスタンド使いがスタンドを操作する際の「処理能力の限界」である。3部序盤の人型スタンドは(初期の半暴走状態のスタープラチナを除けば)、本体の身体感覚で操る「もう1つの体」として操作される。このため、スタンド使いが人型スタンドを動かしている間は、本体側の動きがおろそかになりがちである。(仮にこの両方を同時に充分に動かせるようになろうとすれば、相当な修練が必要なのは明らかである) 生まれてからずっと1つの体で生きてきた者には、人型スタンドは1体を動かすのが手一杯である。この限界により、身体感覚で操る人型スタンドを2体以上形成するメリットはほとんどない。
■第3の理由は「スタンド能力の発現過程」にある。人がスタンド能力に目覚めた時、その姿や能力がどのようなものになるかは、その者が持つ精神的な資質から自然かつ自動的に決まり、不要な機能を持つことはない。このためスタンドは必然性がなければ複数にはならず、そして複数を必然とする能力はかなり少ないのである。
■以上3つの理由は読んでのとおりそれぞれ別のものであり、個々のスタンドに対してそれぞれ別方向から制限をかける。この結果ほとんどのスタンドは望むと望まざるとに関わらず1体となり、ゆえに「1人1体」は法則として語られるだけの強制力を持つわけである。
■しかし逆に言えば、これらの制限をすべてクリアするようなスタンド能力、つまり目覚めようとしている能力に複数体になる必然性があり、そしてエネルギー量や操作能力の限界も何らかの手段で解決できるなら、1人のスタンド使いが2体以上のスタンドを持つことは可能となる。(その手段は例えば、スタンドを普通の人型スタンドの数100分の1のエネルギーしか持たない小人サイズにして数100体作ったり、複数のスタンドの1体1体にロボットか昆虫程度の知能を与えて自律行動させたりなどである) そして作中に登場する「複数体」タイプのスタンドはまさにそのようなスタンドなのである。
■「例外」というものは現実の世界でもさまざまな物事に存在し、例えば水の沸点は普通は100℃だが、気圧や水に混じった不純物で大きく変わる。またこの世の生命の歴史では、かつて全ての生物にとって超えようのない限界であったことが、さまざまな方向への進化によって、限界を超えた種がたくさん生まれたりもする。スタンドも同じであり、重要なのは「基本法則に反するか」ではなく、「例外を可能とする理屈が正しく存在するか」なのである。