※始めに断っておくが、以下の解説は全て支倉未起隆が
「人間」で「スタンド使い」だと仮定した場合のものである。
アース・ウインド・アンド・ファイヤー EARTH WIND AND FIRE
本体名:支倉未起隆 <ハゼクラ・ミキタカ>
自称宇宙人、自己紹介JC40巻P188
能力:自身の肉体をスニーカーやサイコロなどの道具に変身させる
スタンド形成法 | 射程距離 | パワー |
---|---|---|
身体拡張体 | − | 人間並のまま |
当ページの要点
- 支倉未起隆は「異質すぎる精神性」を持った人間である。
- 彼が引っ越してきた杜王町という土地には、「知性」という力が大地に長年留まり続けて生じた意識体が存在する。
- それは未起隆の異質さを「悪しきもの」と認識し、「強い排斥力」を働かせる。
- 未起隆の変身能力はこの認識を欺く「擬態」のために発現したものである。
知性の大地とその斥力
ジョジョの世界には、世界をあまねく満たし、物質や生物に宿っている霊的な力である「知性」なるものが存在する。この知性はそれが宿った物質・生物の構造などを情報として「記憶」し、またその情報を周囲に信号として「発信」する性質を持っている。
そしてこの知性は、人々が集まり、住まい、社会を形成する土地の「大地」の中に、その土地固有の巨大な意識体を生じさせる。この「知性の大地」は、過去にその土地に生きた者たちの生活習慣・しきたり・精神性といったものを記憶しており、そしてその情報を今現在その土地に生きる者たちに発信し続ける。この影響によりその土地の住人は無意識的に、その土地で受け継がれてきた精神性に従う傾向が強くなる。またその影響力は、大地に生える「木」のように先祖代々その土地に「深く根ざす者」ほど大きくなる。
また「知性の大地」は、生物の肉体が体内に入った異物を排除しようとするように、自身にとって「異質な精神性」を持つ者が土地に入り込むと、上述した「大地に根ざす者」の精神などに働きかけて、異質な者をその土地から追い出そうとする「排斥力」を生み出す。この排斥力は土地に入り込んだ者の「異質さ」が強いほどに大きくなる。
こうしてその土地は緩やかにしかし確実に、この「知性の大地」にして「大地に根ざす者たちの隠れた領主」である存在、「木と土の王」の力に治められていく。
スタンド解説
■杜王町へと引っ越してきた転校生、支倉未起隆を本体とするスタンド能力。どことなく異質な外見をした彼はその内面も異質な、ある種人間離れした精神を持っている。その精神性は杜王町に宿る「知性」という力から成る意識体、「木と土の王」に「悪しきもの」と認識され、未起隆は「強い排斥力」を受けてしまうことになる。そしてその折に「矢」に選ばれてスタンド使いとなった彼は、ある種の生物が自身の外見を風景に同化させて「擬態」するように、杜王町の大地に宿る記憶から引き出した情報で自身の体表部分の知性情報を書き換え、「木と土の王の認識を欺く」という能力を発現させる。そしてさらに未起隆はそれだけには留まらず、大地から引き出した情報で自身の肉体を物理的に「変身」させるという能力をも獲得している。
■本質的に「擬態」である未起隆の変身能力は、生物の擬態がそうであるように外面しか変えられず、「体内」には能力は及ばない。ただその一方で、「大地からの斥力」への反応として生まれたこの能力は、「変身」とは別の能力効果として、斥力を利用して未起隆の肉体を「異空間ヘ退避させる」こともできる。この2つの能力効果によって彼は、かなり自在で幅広い変身を行うことが可能となっている。(なお未起隆がスタンド使いになった時、「矢」は体表を傷付けただけで突き刺さらず弾かれてしまったが、この現象は斥力が何らかの作用を起こしたものと推測される)
■物へと変身する際の未起隆の肉体は、内蔵や筋肉などの体内部分を異空間へ退避させた後に、衣服も含めた自身の体表部分を、布地を裁断するように切れ目を入れて広げ、それをさらに細かく変形させながら組み立てていくことで、目的の物へと変身する。変身中の体表部分はクラゲのように光沢を帯びて滑らかで、厚みや形が変化しながらうねり蠢くそのさまは、まるで未知の宇宙生物のようである。
■未起隆は自分の肉体を大きく異空間に退避させることによって、自分よりはるかに「小さい物」や「軽い物」にも変身でき、また「複数の物」にも変身できる。(これは海中のダイオウイカが海面上に足を複数本出して別々の生き物のように動かすのと似た理屈である) この逆に自分より重い物への変身はできず、また変身に特化したこの能力は、人型スタンドのように人間を超えたパワーをもたらすことはなく、つまり変身した物は「未起隆の筋力」以上のパワーを出すことはできない。またこの能力は自分の肉体を変形させ組み上げる複雑さにも限界があり、例えば機械式時計のような複雑な構造を作り出すのも無理である。(ちなみに作中で変身した物の中で一番複雑な物は双眼鏡である)
■「物に擬態」した未起隆の体表は、爪くらいの固さなら持たせられるものの皮膚であることに変わりはなく、触覚や痛覚はそのまま残っており、未起隆が焦れば冷や汗を流したりもする。また外部の様子を知ったり呼吸するために、未起隆の目鼻口耳は変身した物の表面のどこかに擬態させて残してあり、バランス感覚を保つための三半規管も変身した物の内部に残されている。また異空間に退避した筋肉や内臓は、現実世界側の体表部分と連続性を持ってつながったままであり、筋肉を動かせばそのパワーはそのまま外の体表部分に伝わる。これにより未起隆が変身した物は、その外見に可動部分がなくても飛び跳ねたりすることが可能である。
■大地に記憶された知性情報を参照する未起隆の変身能力は、変身した物の形状から表面の質感に至るまでそっくりに擬態することができ、虫眼鏡で見た程度ではその正体を見破ることは難しい。またこの変身能力は、ある場所でそこに強く記憶された知性情報を参照すれば、作中で行っていたようにアイス屋のある場所で、その店の商品そっくりの冷たいアイスに擬態したりもできる。(なお未起隆はこのアイスを「手の一部を変身させた」と言っていたが、これを舐めるとどんな味がして、齧るとどうなってしまうのかは不明である)
■またこの他に未起隆は、自分の顔を別人のように変えたりもできる。ただこの「変装」は、変身の精度自体は「物」に変身する時とさして変わらないはずだが、その顔は明らかに人工的かつ不自然になってしまっている。この理由はおそらく「人間の顔そっくりのロボット」を違和感なく作るのが難しいのと同じく、人が人間の顔の違和感には特別敏感で、未起隆の変身能力ではその微妙な細やかさまでは再現できないためであろう。
■未起隆が変身した「物の姿」で飛び跳ねたりする動作は、慣れ親しんだ人体での動作とは全く勝手が異なるため、本来は非情に難しいはずである。しかし未起隆はこの点に関しては優れた実力を持ち合わせており、作中ではサイコロの姿のまま自然に動いて出目を操る動作を短時間でマスターしている。また未起隆は、他者の肉体動作に(道具になった)自分の動きを合わせるのも異常に上手い。作中ではスニーカーに変身してそれを東方仗助に履かせ、一人分の体重と二人分のパワーでまるでSFに出てくる反重力ブーツのように、仗助の踏み込みに合わせて自分も跳ねて仗助を凄い跳躍力とスピードで走らせたり、スニーカーの底面で壁面を掴んで壁を歩かせたりしている。
異質は災い悪しきを運ぶ
我々が住むこの世界では、人が未知なる「異質なもの」と関わると、そこには大なり小なり何らかの「災い」が起こるようにできている。例えば人が未開の土地に踏み入れば未知の病原菌に侵されるかもしれず、宇宙や深海に進出すれば予想外のトラブルに見舞われる確率が高いといった具合である。ただこのように「自分から異質な場所へ出向く」のであれば、降りかかる災いは自己責任となるが、他所から異質さを宿した者がやって来て災いを起こし、日常を壊すとなれば話は別である。自分の住む土地に風のように流れ着いた赤の他人がいずれ大火のような災いを呼ぶものであるなら、土地の住人が異質な者を本能的に忌避し、早々に居なくなって欲しいと願うのは薄情だが自然な防衛反応である。
支倉未起隆はまさにそのような「災いを呼ぶ」星の下に生まれた者である。理由は分からないが彼の心の奥深くには、普通の人とは決定的に異なる部分がある。それが理由で彼の感性や思考は普通の人とはかなりズレており、彼が他者と関わるとその者たちの日常の歯車は大なり小なり狂わされてしまう。その狂いが生み出す不和と軋轢は時間が経つほどに深く大きくなり、いずれ決定的な災いを引き起こして、彼をその土地に居られなくしてしまう。彼をスタンド使いにした吉良吉廣は、「未起隆が東方仗助と岸辺露伴を仲間割れさせた」と評価していたが、それは彼の本質を正しく言い当てている。(ちなみに仗助と露伴のチンチロリンでは6のゾロ目を「オーメン」と呼んでいたが、この呼び方は1976年公開のホラー映画「オーメン」に由来し、その内容は体に「666」のアザがある少年の周りでさまざまな災いが起こるというものである) また未起隆が「アレルギー」と説明するサイレンの音への恐慌的な反応もあるいは、彼が過去にどこかの土地で起こした災いのトラウマに関係しているのかもしれない。
未起隆が自身の「災いを呼ぶ」性質をどこまで自覚しているかはさておき、彼が変えようのない自分の異質さに挫けず、前向きに他者と関わろうとしてきたことは確かである。彼が会得している肉体動作の器用さや、他者の動作に合わせる異常な上手さは、異質な彼なりに他者の外面だけでも真似ようとしてきた観察と努力の賜物である。
しかし会話などのコミュニケーション技術だけはどれほど試行錯誤を重ねても上達せず、自分の感性に従っても、自分の感性の逆をやろうとも、他者の見よう見まねをしても、未起隆の会話の歯車は決して相手と噛み合わない。それでもなんとか相手の歯車を動かそうとする未起隆の努力は、彼の言動をどんどんエキセントリックにエスカレートさせ、脱線し迷走していく彼のコミュニケーション術は最終的に、自らを「宇宙人」と称して全てを演技で塗り固めるという極北に達する。(作中で彼が初めて他者のスタンドを見た時にそれが見えないように振る舞っていたのも、たぶん即興的に相手の裏をかいた演技である)
杜王町へと引っ越してきて「宇宙人」のような変身能力を身に付けた未起隆は、その翌日に出会った同年代の二人の少年、東方仗助と虹村億泰に能力を活かしつつコミュニケーションを試みる。二人は未起隆の能力に一応の興味は示すものの、未起隆の演技くさい受け答えは二人に不誠実と受け取られ、それ以上の関係には至らない。しかし後の「鉄塔に住む男」との戦いで未起隆は、二人をそれ以上の危険に巻き込まないために自分を犠牲にしようとし、図らずも自らの「誠実な心根」を二人に見せることとなる。これ以降の彼らの関係については作中では描かれていないが、多分この「異質な者」は二人に受け入れられ、三人で仲良くやっているものと思われる。そしてこの二人を始めとしてスタンド使いが多数住まう杜王町という土地も、いつかは彼を受け入れ、彼の安住の地となるのかもしれない。