人柱 お宮
今からおよそ400年前、福原直高が、この地に荷揚城(現在の府内城)を築城する際、度重なる水害に工事が進まず人柱を立てることになりました。
上野六坊に住む孝行娘のお宮が一家を救うために立ち、弁財天の木像を抱いて人柱となりました。
その後、築城は順調に進み、お宮は弁財天とともに府内城の鎮守としてあがめられたと伝えられています。
手前の階段を下り、お堀にそって天守台の下にお宮を祀った祠があり、毎年3月18日に法要が行われています。
大分市教育委員会
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冠木門の礎石
かつて西の丸と廊下橋の間には、冠木門(柱のうえに横木を渡した屋根のない門)があり、この石はその冠木門の礎石です。
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