東人の出戻り生活/出戻り見聞録/出戻り見聞録(2)
娘が風邪をひいた。妻と共に薬局に行き、風邪薬を買った。
薬局にて、薬剤師は娘の症状を確認したりして風邪薬を出してきた。
「大人は三錠ですが、子供なので二錠飲んで下さい。」とのこと。
風邪薬を持ち帰り、使用上の注意を読むと、「15歳未満は服用しないで下さい。」と書いてあった。
この薬は大人用であり、子供は量を減らしたとしても服用してはならないものと解釈できる。
こんな薬は服用できないため、娘は薬を飲まずに過ごした。
翌日にこの薬を返しにいったが、薬剤師は、「体重を確認して、二錠と言ったでしょ」と自分が間違っていないことを主張したとのこと。
手元にあった他の風邪薬を見ても、「15歳未満は服用禁止」と書いてあるものがあった。
このような薬を子供が服用して事故が起きても、薬品メーカーは15歳未満で服用したことが問題であると言うだろう。
服用を薦めた薬剤師は責任をとれるのだろうか?。
朝夕の通勤時間には会社に出退勤する人たちや登下校の学生で電車は混雑するが、そのような満員電車にも、異質な人が乗り込んでくることがある。
相撲取り
髷を結って浴衣を着た二人の大きな人が朝の通勤電車に乗り込んできた。
乗り込んできた駅は市川駅。市川には千葉県で唯一の相撲部屋である大鳴戸部屋があるので、そこのお弟子さんであろう。
近くに立っていたが、目の前に大きな背中が壁のように聳えている。髪の毛につけている油の臭いが少し気になった。
混雑していたことには変わりはないが、このドアから乗ろうとした人は別のドアに移って乗り込んでいたかもしれない。
お婆さん
見るからにお年寄りとわかるお婆さんが二人、満員の通勤電車に乗り込んできて驚いた。
こんな混雑した時間に移動しなくても良いだろうにとも思ったが、この時間に出かけなけらばならない事情があったのだろう。
優先席とは離れた位置の車両中央のドアから乗り込んできた。たとえ優先席に近いドアから乗り込んできても、混雑しているため優先席には近づけなかったであろう。
お婆さんを圧迫してはならないと思い、少し無理して奥の方に遠ざかった。他の人も同じような行動をとったかもしれない。
このお婆さん達は満員電車の中でも立っていた。
次の駅に着き、客が降りて少し身動きができるようになった時に座席の近くに移動した。
座っていた若い女性がお婆さんに席を譲ってくれて、ホッとした。
アベック
満員電車では、他人と体が触れて圧迫されるが、そのような中で、相手の背中に手を回して密着している若い男女を見かけることがある。
夫婦か恋人か分からぬが、昔はこのような人はいなかったように思う。
密着はしていなかったが、自分より年上と思われる夫婦が手をつないで電車に乗っているのを見かけた。微笑ましいような仲の良さである。
若者
朝の通勤電車の中に、これから遊びに出かけると思われる若者が数人乗っていた。
いつものように人が乗り込み、すし詰め状態となる。
若者の一人が声をあげた。 「痛テエ、痛テエ、マジ痛テエ。」
通勤電車に慣れていないのだろうが、我々だって声に出しくなるほど苦しくても我慢してるんだぞ。
大きな荷物の老人
ある時、大きなケースを持った老人が同じ電車に乗り込むのを見かけた。
その老人がどの辺りに乗っているかは知らなかったが、満員電車の中で足元に固いケースがぶつかり痛い思いをしていた。
錦糸町の駅に着き、少し車内が空いた時、座席から立ち上がってケースを取りに来た人が居た。あの老人であった。
車内の混雑の中でケースを手放しそのまま放置しておき、自分は誰かに席を譲られて座っていたのだろう。
少しは人への迷惑に気を遣って欲しいものだ。
東京で仕事をすることになり、朝の通勤電車に乗ることになった。
昔も東京の本社に出かけるときには通勤電車に乗っていたが、混雑具合は当時とほとんど変わらない。
電車が到着しても人がギッシリ詰まっている。そこに無理をして乗り込む訳だが、列の最後だと後から押してくれる人が居ないので乗れないこともある。
乗り込んだとしても、圧迫されて身動きがとれない。
ドアが閉まって走り出してから、少しでも楽な姿勢を確保する。
途中駅に着くと降りる人の流れに押される。ここで流れに逆らってはいけない。人の流れに従い一旦車外にでてから再度乗り込む。
通勤時間中に本でも読めるかと思ったが、そんな余裕は無い。
歳をとったため老眼になってしまい、本を読むには眼鏡を老眼鏡にかけ替えなければならないが、そんなことはできる混雑では無い。
仕方なく、通勤時にはラジオを聞くことにしている。ラジオ放送も、電車が地下に潜ると受信できなくなる
東京の駅には地下駅が多く、プラットホームまで行くのに長いエスカレータに乗ることがある。
ある時、エスカレータの前で老夫婦が立ち止まっていた。
お婆さんが、どうしてもエスカレータに乗れなかったようだ。
仕方なく、隣の停止中のエスカレータを歩いて降りていった。
朝夕の通勤時間なら、エスカレータは全て稼働していて、動いているエスカレータに乗らなければ移動はできなかったであろう。
エレベータを設置している駅もあるがエスカレータのみの駅もある。
電車に乗っても、優先席を若者が平気で座っている。
老人にとっては、都会は出かけるにも苦労の多い所かもしれない。
2003年11月9日の衆議院議員選挙では愛媛の選挙区での不在者投票となった。
これまで、3ヶ月居住したらその居住地に選挙権が移るものと理解していた。
新居浜から転居して転入届を出したのが8月4日であり、11月4日以降なら関東での投票になると思っていた。
しかし、新居浜市の選挙管理委員会から不在者投票の確認通知が届いた。
選挙権は、まだ新居浜にあるようだ。
調べてみると、選挙人名簿への登録には定時登録と選挙時登録があり、定時登録は、3月、6月、9月及び12月のそれぞれの1日を基準日として、その月の2日に登録されるそうだ。 9月の登録には居住日数が足りない。
また、選挙時登録は、選挙の公示日の前日が基準日で、今回は10月27日。その3ヶ月前の7月27日以前に移動していた場合には、新住所での選挙であったようだ。
ということで、定時登録および選挙時登録の基準のどちらに照らしても、旧住所での投票ということであった。
確認通知にある投票書類の請求書類を送ると、愛媛の選挙公報と投票用紙の入った封筒が送られてきた。
投票は居住地の不在者投票場でできるとのこと。
駅前の総合窓口センターに不在者投票場があることを確認して出かけた。
届けられた書類を係員に渡し、投票用紙を受け取り、記入して封筒に入れた。
封筒を係員に渡して不在者投票は完了した。
不在者投票は愛媛県の知事選挙でも経験していた。
愛媛県知事選挙の投票日が1999年1月3日に設定され、関東へ帰省中であるために不在者投票したことがあった。
これが2回目の不在者投票であったが、居住地と離れた選挙区での投票では、選挙の実感が薄れたものとなった。
都心では、歩行者が信号機を無視して道路を横断するところを良く見かける。
小さな交差点にある信号機が赤の場合でも、車が来なければ横断する人が殆どである。
交通量の多い道路では、赤信号で横断する人は居ないが、信号が青になる数秒前にフライングして横断を始める人が多い。
新居浜では、歩行者、特に学生は信号を無視することは滅多になかった。
その代わりに、車の信号無視が目立った。信号が赤になっても交差点に突っ込んでいく車が多い。
新居浜に居た頃、関連会社で起こった交通事故にこのようなものがあった。
A車は、右折しようとして交差点の中央で待機していたが、信号が赤になり、前方からB車が来ていたが停止するものと思って、右折した。
B車は前方の信号が赤となっていたがそのまま交差点に突っ込み、右折中のA車と衝突した。
この場合、A車とB車共に信号が赤になってから動いたので信号無視。直進車優先のためA車が加害者ということであった。
このニュースを知り、信号が赤になってから交差点に進入したB車の方が罪が重いのではないかと思った。
出張で地方都市に出かけることが多くなり、タクシーなどに乗ると、やはり赤信号に変わっても突っ込んでいくところを見かける。
車の信号無視が横行するのは地方都市に共通のことなのだろうか?。
新居浜での滞在中に、愛媛県で最大のショッピングセンターであるイオン新居浜ショッピングセンターができた。
その後、新居浜市内で引っ越しをした場所も、イオン新居浜ショッピングセンターの至近距離となり、必然的にイオンで買い物をすることが多かった。
関東に遷り住んだ住まいの近くには、イオンショッピングセンターは無い。「イトヨカド」(ITO YOKADO)とローマ字で書かれた店は近くにあった。
関東では「イトヨカド」は良く見かけるが、イオンの支店は少ないようだ。
イオン(ジャスコ)とイトヨカド(ヨーカ堂)は流通業界でトップを争う会社であるが、店のイメージが大きく違う。
ヨーカ堂は従来型の日本の百貨店に近い雰囲気の所で、食料品売り場なども狭い感じがした。
新居浜のジャスコの売り場はゆったりとした広さを確保していた。
置かれている商品の価格については、ヨーカ堂は高めと感じた。自社ブランド品でも、イオンのトップバリューの方が安く売られていた。
地域による違いかもしれないと思い、近くのジャスコを探して電車に乗って出かけてみた。
やや古い店ではあったが、ジャスコのゆったりとした商品の配置は同じであった。また、価格も全国で同じ価格が設定されているようだ。
毎日の買い物に電車に乗って出かける訳にはいかないが、調べてみると比較的近くにイオンの系列のMAX VALU があり、そこにも行ってみた。
MAX VALUでもイオンの自社ブランド品が同じ価格で置かれていた。
その後、近くの津田沼にイオンがオープンした。
オープンしたての頃であり、大勢の人で混雑していた。
2001年7月にイオン新居浜ショッピングセンターがオープンした時も大混雑であったことを思い出した。
津田沼のイオンは24時間営業の大きなショッピングセンターであり、店の雰囲気、従業員の制服、買い物袋等々、新居浜のイオンで見慣れたもので、懐かしく感じた。
津田沼のイオンは新京成の新津田沼駅を挟んでヨーカ堂と隣り合わせの所にあり、両者が正面対決することになった。
船橋市にも京成の駅があり、電車が走っている。
10年前にも感じたことであるが、京成の線路は地面のレベルを走っている所が多く、踏切が多くある。
踏切の遮断機が頻繁に閉まり、そのたびに交通が遮断される。遮断機が上がったかと思うと、警報が鳴り出し、再び遮断機が降り始める。遮断機が降りかけている時でも人々は踏切を渡ろうとする。
この問題は10年経っても改善されていなかった。
踏切が閉まれば交通が遮断される状況には変わり無かった。
高架化の工事も進めているようだが、遅々として完成に至っていない。
9月の下旬の彼岸の頃、新居浜では至る所で赤い彼岸花を見ることができる。
この赤い花を見かけると秋になったと感じていた。
新居浜の彼岸花
コンクリートで固められた都会では彼岸花のような野草を見かけることは滅多にない。
駅までの通勤経路の途中にある店の前で鉢に植えられた彼岸花を見つけた。
この持ち主も、故郷の彼岸花を思い出すために栽培しているのかもしれない。
また、この前を通行する人の中にも、故郷の秋を思い出している人がいるかもしれない。
地方では野に咲く花であるが、都会では大事に鉢植えにされる貴重な花である。