10月20日(水) 雨 午後2時00分

 乗車する3泊4日のインディアン・パシフィック号はセントラル駅構内に入ると2番と3番のホームにステンレス製の客車が並んでいた。私の搭乗車両はG車8号室、直ぐに乗車口に向かうとスタッフが入口で向かえて「ウエルカム」と案内してくれた。
個室専用車は中央をS字に蛇行した狭い通路の両側にこれ又手狭な個室が18室並んでいる。スーツケースを格納するのに苦労しながら椅子に座るとこれは広い。大柄なオーストラリアの人には申し分ないと思われる。その前に椅子の上にはWelcome Aboardのセットとグレートサザン鉄道のマガジン誌PLATFORMが用意されていた。
ツインルームの通路 シングルルームの通路 個室の洗面台
 27分、窓の外が慌ただしい。まだ発車時間前だというのに自分の車両が動き出してホームから離れた。すると今度はバックして3番ホームの列車に連結された。総勢24両+α の長大列車は2本のホームに別れて停車していたのだった。
 14時55分、小雨の中を132トン4000馬力のディーゼル機関車に牽引された大陸横断列車は左手にシドニーの郊外電車を横目にしてセントラル駅を出発して行った。数分たってニュータウンを通過する頃にはスピードも上がって町も遠ざかり、25分にはブルーマウンテンズに向かう路線に入っていた。
 16時10分、山道に差し掛かると4000馬力の強力なエンジンはぐいぐい長い列車を引っ張って登っていく。シドニー〜アデレード間は山越が有る為にもう一両の補助機関車がその後に増設されていた。17時にラウンジでレセプションが開催されると個室のスピーカーで案内があった。出掛けてみると満席の乗客で、すでにスタッフの女性が列車案内、沿線の紹介、楽しいクイズなどで盛り上がっていた。長旅を退屈させない趣向は鉄道旅行を楽しむリピーターを増やす事になり、このインディアン・パシフィック号が世界的な人気列車になっている理由である。
 18時からサンセットディナーがオープン、ゲスト達は隣の食堂車に移動していった。食堂車は前組がマルーンカード、後組がネイビーカードを渡されて2組に別れて利用するが最初にスタッフが各部屋に来て希望を聞いてくれる。ネイビーカードを選んだ私は今晩20時からのムーンライトディナーに参加することになっていた。後のラウンジカーに残った乗客たちは窓の外に広がる雨のブルーマウンテンズを堪能していた。シドニーから西に100kmの高原リゾートであるこの場所は、天気が良ければ渓谷や滝が見られて景色の好い標高1000mのなだらかな山間部だ。18時になる頃には陽もとっぷりと暮れて窓の外は真っ暗になった。暫らくの間ラウンジカーで気持ちよいソファーの揺れを楽しんでから個室に戻って汽車旅最初のディナー迄を待つことにした。
 18時35分停車した所は古くからの大きな鉄道基地だった。シドニーからの電車もここ迄で終着である。20分後にゆっくり発車した列車は今度は単線になった線路を下って行った。時々現れる廃駅は蒸気機関車時代を偲ばせる煤けたレンガ造りだった。
 食堂車は自由に着席できる。ウェイターが今晩のメニューを運んできた。ブルーマウンテンズと名付けられた献立は前菜2種、メインコース3種、デザート2種から選べる本格的なものだった。1時間半の余裕ある食事を楽しんだ後はラウンジカーの喫煙室で禁断の煙を堪能した。
ムーンライトディナーの食事風景 ラウンジの喫煙室は完全に分煙されている
 22時に個室に戻るとベッドが綺麗にセッティングされていた。特に疲れた訳でもないが直ぐに清潔なシートに潜って寝ることにした。単線に入ってからは線路の道床がよくない為か列車は結構揺れが大きい。そんな事を気にしながら30分もすれば眠ってしまった。

10月21日(木) 晴れ

 ブオーッと大きな汽笛で目が覚めると午前1時だった。列車はブッシュの中を走っていて、進行方向遙か彼方の地平線に大きな半月が傾いていたが、やがて水平線の中に沈んでいった。
セッティングされていた清潔なベッド 5時30分オーストラリア大陸の黎明
 5時30分に起床すると晴れ上がった東の空は明るく輝いていた。着替えると洗顔を済まし、早速3両隣のラウンジ喫煙室に向かった。6時30分からはラウンジで「おつまみ」やフルーツのサービスが始って、早起きの乗客たちもやって来ると車窓の壮大な景色を楽しみながら談笑に興じていた。
食堂車のテーブルには強い朝日が差し込んで 厨房ではもう朝食の支度が始っていた
小さな町の駅に差し掛かって一時停車 駅の裏に瀟洒な住宅が建っていた
 午前7時を回って列車は町を離れると直ぐに強い太陽に照らされた地平線の広がる大地の中を時速50キロで走っていた。すると羊を発見、初めて大陸の中で野生動物を見たのだった。次に放牧された肉牛が見られたオージービーフの元だ。
 30分程走った時に空が曇ってきた。そして見渡す限りの平原だった景色が赤い土にぎっしりとブッシュが茂る丘陵に入ると列車も時速70キロに上がっていた。車窓に木々が迫る中に列車と平行して動物が走った。誰かが「カンガルーだ」と叫んだ。ラウンジの皆が「見た、見た」と興奮、カンガルーの夫婦だとスタッフが説明していた。
 登っていた丘を過ぎると真っ平の台地が突然現れた。かって盛んだった鉱山採掘の産物だった。列車は減速するとブロークンヒルのホームに滑り込んだ。
8時15分、ブロークンヒルに到着した乗客たちは50分の停車中、暫しの間車外に出て散策する人もあった。世界最大の埋蔵量を誇った鉱業都市は今は廃坑となった為に人口も約22000人に減少、観光などに転換を模索しているが町並みは19世紀後半の美しい佇まいである。
 この町で西隣の中部標準時間に変更で時計を30分戻します。駅舎の時計はシドニーより30分遅れている。列車の先頭機関車まで歩いて行って初めてインディアン・パシフィック号の700米もの全容を観ることが出来た。運転手の手招きでキャビンに入ると意外にもシンプルな計器類だった。蒸気機関車と比べると如何に単純な作業になった事か、地球上から煙と煤を吐き出して生き物の様に走っていた鉄人が姿を消していった事を納得した。
距離標識 ツインルームの3人掛け座席(二段ベットになる) 個室の可愛い乗客
 8時35分、客車に戻った乗客を乗せると廃坑の台地を後に眺めながら荒野の中に列車は再び戻って行った。直ぐにサンライズブレックファースト(ネイビー組)の朝食がオープンしたので2両隣りの食堂車へ向かった。ジャパニーズ・グリーン・ティも漏れなく含まれていた。
離れていくブロークンヒル 車窓からの荒野に青空が現れた

 ブロークンヒルを遠ざかっていくと町の上に覆い被さっていた雲が無くなり、太陽が荒野を容赦なく照らしていた。すると地平線に蜃気楼が出現、食堂車の窓から幻想的な景色を眺めながらの朝食となった。
 10時にラウンジカーのバーと土産物販売が開始されたので、IP号がプリントされたキッチンタオルを記念に買い求めた。
 10時30分に個室に戻るとサウンドシステムから車窓案内と1970年代の懐かしい曲が流れていた。その心地よいメロディーと車両の振動を聞きながら広大な大陸を堪能していた。












 いつの間にか居眠って気が付くと正午前だった。列車は羊を取引している大きな市場の側を通過して行ったが、町が近い。駅を通過中に〔Gladstone〕の看板が見えた。30分後に通過した駅名は〔Redhill〕だった。この辺は鉄道に沿って道路も有って長距離バスや大型トレーラーが時々走っている。とに角スケールが大きいオーストラリア大陸の景色だ。全てのサイズが桁違いだ。
車窓からの変化する景色が流れています(南オーストラリア州)
 13時からの昼食は正午前から始っていたブッシュマン・ランチ(マルーン組)と入替って私達のネイビー組はスワグマン・ランチでメインコース3種から選べ、後にデザートが付く。食事は毎回綺麗なメニューカードが配られ、食事には名前がヒルグランドと地名から由来していた。
ラウンジカーでの鉄道旅の説明会 車窓を楽しみながら食堂車の昼食
 ゆったりと時間を執った食事が終わった頃になると景色も変っていて、郊外電車も走る様になって町が近付いて来ていた。左手にオレンジ色の車両が並ぶ車両基地を通り過ぎると都会らしい建物が目に入り高層ビルも聳えていた。インディアン・パシフィック号は大きくカーブしてゆっくりとアデレードのケズウィックステーション構内に入って行った。
15時15分、ダイヤ通りのアデレード到着であった。


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