シルクロードの天山山脈を越える東方快車

古代シルクロードの天山南路を豪華列車チャイナ・オリエント・エクスプレスが今回初めては走ることになる。1999年12月に中国新彊ウィグル自治区のトルファンから西端で東西交易の要所カシュガルまで1465`が全線開通した。今回、私達は北京から終点カシュガルまで5049`を中国鉄道部との特別チャーターで「幻の特急」といわれた国賓や中国要人の為の高級車両に乗車して10日間の旅でした。2000年10月18日チャイナ・オリエント・エクスプレス(東方快車)が古代からの交通の要所シルクロードの天山山脈を世界で初めて走った記録写真である。
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 トルファンを黎明の8時に出発した列車は海面下にある盆地を登っていた。私達は直ぐに食堂車に向って朝食のテーブルに着いたその時一人が叫んだ。「あっ、太陽だ」左手の車窓に今にも昇ろうとした旭日が地平線に頭を出した。みるみる真赤な太陽が浮かび上がり盆地を照らした。
 一筋の涸れかかった川が盆地の底へでも流れる様に延びている。進行方向の遠くに嶺が連なっていた。右手に警備隊の建物があって人の営みが見られた。それから広漠とした中を1時間も走った頃、中国製のDLがタンク車を牽引してやって来た処が大きな鉄道基地だった。
 ここ魚児溝(ユーアーク)駅は、1976年から始まった南彊鉄道建設の為に天山山脈の麓に広がるゴビの荒野に造られた鉄道街にある。ここで東方快車は15分の休息を摂った為、乗務員達はホームに出てくつろいでいる。真正面に天山山脈の白い嶺が迫っていた。
 やがて出発した列車は千分の十八の勾配を登って行く。最初の入り口は夏璽溝トンネルでこれから29個を数える事になる。
 ループ線のトンネルを貫けると景色が一変する。迫る山肌や水流のある沢を走る。やがて広陵とした緑枯れの草原に出ると列車は右に左にジグザグで段々と登って行く。眼下に開けた広大な草原の谷間があった。進行方向には天山山脈の白い峰峯が迫って来る。前方に長い架橋が見えてきた。
 トルファンから200`に天山山脈越えで一番長い架橋のハルダハト大橋がある。半円を描いて架かる大橋からは、眼下に広がる牧草地と万年雪を頂いた天山山脈の壮大な景観を見ることが出来て、西域のシルクロードで絶好の場所である。 
 標高3000米の処に掘られた奎先(けいせん)トンネルは、氷河の下の岩盤を掘っているために何時も氷点下でトンネルの壁は真白に凍結していた。6000米を10分で貫けると景色は一変していた。白雪に覆われた地面が凍てついている。その最高地点を列車はゆっくり通過して行った。
 深秋の烏拉斯台(うらすだい)渓谷を機関車はエンジンを切って下って行く。流れている雪解け水はタクラマカン沙漠に通じている。振向くと通過してきた天山山脈の白峰が輝いていた。
 やがてシルクロードのオアシス焉耆(えんぎ)平原で次々と駅を通過して行く。対向列車も現われて交通の要衝であるのは古今からの倣いであった。
 パルグンダイの看板が掛かった駅を通過、ここも天山北路に通じる古代からの要衝だった。
 天山山脈を越えて牽引してきたディーゼル機関車は和静(ホーチン)に到着して分かれた。15時46分 ここで再び東風4号機関車にバトンタッチされ、更に南に向かうことになる。
  
塔理木(タリム)盆地の東北端に位置するコルラに17時10分到着、トルファンから476`を走破した。

南彊と北彊の交通の要衝、庫爾勒(コルラ)を出発した列車は、その日のうちに三蔵法師が天竺に行く途中に立ち寄った庫車(クチャ)まで走り、22時に到着してこの駅で一夜の休息を摂った。