遅い出発時間のホテル玄関を出た処でばったり出会ったのは、2年前に北京からカシュガルまで5049kmの東方快車で一緒だった中国華運旅行社(China
Railexpress Travel)のガイド陳兵兵さんだった。日本の26倍の広い中国で、しかも13億人という沢山の人口の中での出会は奇遇と言うよりも奇跡である。残念ながら互いにスケジュールがあった為に長くは会話出来なかったが、再会を約束してその場を惜しんだ。 午前中に三国志で有名な関林堂を訪れた後、洛陽城南の世界遺産にも登録されている龍門石窟の大仏を拝顔する事にした。その前を流れる伊河に架かる鉄道橋で、長大な石炭列車が3600馬力の東風4型ディーゼル機関車に牽引されてゆっくりと行ったり来たりしていた。 |
石窟前の伊河を渡る100両編成の石炭列車 | |
龍門石窟の大仏像 | 白馬寺の赤い山門 |
今夜乗車する1657次は洛陽発20時32分で、列車は上海行きの普快(急行)で餐車(食堂車)と臥車(寝台車)が組み込まれている。私が乗車したのは軟臥車(4人1室の2段寝台個室車)の上段ベットで、昼間は下段が共用の座席である。 列車は少し遅れて20時45分に発車、直ぐに同室の4人で酒盛りが始まった。室内には音楽が常時流れていて結構退屈しない。なんと日本の「北国の春」や民謡が鳴っている。これは1両に1人の服務員が常駐していて車内の放送や温度を調節、トイレの管理を行なっているからだ。 |
寝台車の夜は冷えて寒かった。その為に度々トイレに立つのだが停車駅が近づくと女性服務員がトイレの下部に大きな鍵で施錠してしまう。その間乗車口の喫煙場所でタバコを吸って我慢、やがて発車すると笑顔で開錠してくれる。 列車は3時20分徐州、5時45分蚌埠、6時35分石門山を通過して明けはじめ、6時51分に太陽が顔を出した。空を覆う砂塵のためだろうか夕陽の様に赤い日の出だった。 餐車(食堂車)で朝食を摂る為に2両の通路を移動して入った車内は清潔な明るい食堂で、4人掛けのテーブルが両側の窓際に並んでいる。さっそく御粥と搾菜を注文して胃袋を満たしたが、結構に美味しい味で満足したのである。個室に帰る途中、列車は南京長江大橋に差掛かった。 |
寝台車で眺めた真っ赤な朝陽 |
餐車(食堂車)の内部 | 軟臥車(A寝台車)と餐車の通路 |
6.7kmに及ぶ大橋は長江(揚子江)の南北を結ぶ上部が道路で下部が鉄道橋となっている大動脈である。長江の部分は9本の橋脚で1576mもあり、ゆっくりと渡っていった。 8時50分南京到着、この歴史ある都市では大勢の乗客が乗り降りした為に10分程停車した。列車が動き出すと南京駅で乗り込んだのか物売がよく来るが身なりも端正で商売上手である。若い女性が金メッキの観世音菩薩像の護身符を売りに来た。2年前に敦煌の夜店で買った時と同じ物だが、品質管理が抜群に良くなっていた為に10枚も土産に買ってしまい、周りの乗客にも勧めた。すると彼女は感謝して私の計算機に仏陀の金箔像をサービスに笑顔で貼ってくれたのだった。 |
南京駅のホームにて | 硬座車に乗込む乗客 |
丹陽駅の乗降客 | 丹陽を発車する普快 |
無錫ホームにて | 南京のホーム売り子 | 常州のホームにて |
10時15分丹陽、最近急速に開けた工業地帯でよく整備された街路が見られた。10時45分常州、11時45分無錫、ここも駅前はビルの建築ラッシュだ。反対ホームに真新しい二階建てのディーゼル観光列車が止まっていたが、広い中国鉄路の無煙化も完了しつつある。 |
無錫駅構内の二階建列車「新曙光」号 |
蘇州郊外の風景 |
11時50分無錫を出発して郊外に出ると暫らくして水郷地帯に入った。やがて2500年以上もの歴史有る長江三角州の文化都市、東洋のベニスとも云われた蘇州に到着したのは12時15分でした。屋根の四隅を跳ね上げた蘇州古来の建築様式の駅舎を出ると、観光都市に相応しく整備された広場には人々の雑踏も無く、タクシーが整然と並んで乗客を捌いていた。 古来から有名な寒山寺の鐘は近年NHKの除夜の鐘でも放映されてお馴染みであるが、水郷蘇州は昭和10年代(1935年〜)の日本人にとっては 「蘇州夜曲」 @君がみ胸に 抱かれて聞くは B髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか 夢の船唄 鳥の唄 君が手折(たお)りし 桃の花 水の蘇州の 花散る春を 涙ぐむよな おぼろの月に 惜しむか柳が すすり泣く 鐘が鳴ります 寒山寺 で歌われて懐かしい所で、私達は午後の観光を堪能したのでした。 2002年11月8日 |
蘇州のホームに到着 | 蘇州駅前の風景 |
蘇州の疎水と楓橋 | 寒山寺の門前 |