私達のツアーは午後9時半にアンカラ中央駅に到着、明るい待合室で休息している間にも清掃員が箒と塵取で丁寧に掃除をして回っていた。構内の売店を覗くと緑地に三日月と星を金色であしらったトルコ国鉄のピンバッジを売っていた。1円玉の大きさで250リラ(50円)、購入してすぐ帽子に取りつけた。イスタンブール行き寝台特急が横付けされた広いホームでは欧米の乗客達が乗車の準備をしている。デッキで二人の男性スタッフが迎えての乗車である。私が乗車した9号車2番室は純白をベースにワイン色のカーテンとチェック柄の毛布が一際目立った。 |
清掃員 | 広いアンカラ駅のホーム | 明るい待合室 |
午後10時30分、アンカラ特急は電気機関車に牽引されて静かに出発した。すぐにトルコ旅行で毎夜のごとく飲み友達となった大阪のMさん夫婦が食堂車へ誘ってきた。二両隣りに清潔な食堂車が連結されていて、今回の現地ガイドのシャルマンさんも来ていた。彼は筑波大で日本語を学んで帰国、日本語ガイドの公式ライセンス第1号登録を得意にしていたが、その学識と経験・人柄は魅力的だった。今夜も透明なアルコール度数の高い液体に3倍の水を注ぐと白濁するトルコ独特の酒ラック、別名(命のミルク)で大いに盛り上がり、集まった数人で最後の晩餐になった。 |
電気機関車 | アンカラ出発 | 清潔な食堂車 |
ぐっすり眠った翌朝、車窓の外は緑の田畑になっていた。エヤコンの快適な中、室内の洗面台で身繕いをしていると昨夜からのアテンダント君が寝台の整理にやって来た。グナイズン(おはよう)と挨拶するとニコッと笑顔を返すだけで彼も敬虔なムスリムのようだ。 |
ベットの毛布 | デスクとカーテン | 個室の洗面台 | アテンダント |
街が近づいたのか住宅が建て込んで、やがて通勤客で満員の郊外電車もすれ違うようになった。突然、順調に走っていたアンカラ・エキスプレスが停車して動かない。説明も無いままに20分が過ぎた頃シャルマンさんが「先行していたコンヤからの急行列車の機関車が故障している」と連絡してきたが何時解消されるか不明との事だった。停車している通勤列車の鈴成り乗客ものんびり。私もトラベルはトラブルなのだと事の成行を楽しんでいた。 |
一 |
ゆっくり動き出したエキスプレスは駅構内に停車している先行列車の横を徐行して対向線に入ったまま左側通行で進行していった。そしてどんどんスピードを増すので「あれー」と思っていると激しい警笛音「パッパラ・パッパー、パッバー」「パッパラ・パッパー、パッバー」と聞き覚えのあるメロディーの繰返しで突っ走ったのは「そこ退けそこ退け、エキスプレスが通る」のようだ。対向列車を一時止めて我々のアンカラ・エキスプレスをイスタンブールに先行させたのだ。そして無事に到着したのは30分遅れでボスボラス海峡に面したアジア側のハイダルパシャ駅だった。 2本あるホームの南側に停止した寝台特急からは観光で訪れた外国人ばかりが降り立った後は他に乗客は無く、北側ホームでエキスプレスの白いボディーを長いモップで作業員が清掃していた。駅構内に入ると時計は丁度午前8時30分を指していた。石造建築の駅舎前に1B古典SL機関車が綺麗に展示してあって、歴史を感じさせる鉄道駅である。 2000年5月27日 |
1B古典機関車 | ハイダルパシャ駅舎 |