プラハからウィーンに向かうECやICが走る幹線があるが、その途中にスメタナの連作交響詩「わが祖国」(第2番[モルダウ]は特に有名だが)第5番目に[ターボル]という町の名がある。火刑に処せられた宗教改革者ヤン・フスの反抗拠点となった南ボヘミアの地であった。
 午前中に市内の三つの駅を探訪した私は、午後のエキスプレスでターボルを訪問する事にした。正午にプラハ・ハラビニ(中央駅)に来て右端の国際出札口で往復乗車券を購入したが136コルナ約600円と往復206`では安すぎる。窓口で指を往復させて確認するとOKと言う
プラハ中央駅のコンコース チェコ国鉄の乗車券
 人気のまったく無い構内コンコースでタバコを咥えて喫煙場所を探していると少年が飛んで来て「ノースモーキング・ヘァ」と言う。私は咄嗟に火の付いていないタバコを口から放し「パルドン」と謝った。彼は素早く構外に走って行ったがチェコも躾はしっかりと教育されているようだ。少年を追って駅前に出ると、そこには旧駅舎をそのままに近代化された中央駅の姿があった。丁度そこへ勤務空けの若い車掌が現れたので再び「往復乗車券」の疑問を訊ねると「大丈夫」という仕草だ。さらに鉄道カバンからダイヤ表を出してターボルから夕刻の復路列車3本を紙に書いて渡してくれる親切であった。
 エスカレータを上がると鉄骨の天蓋が覆う大きな空間にはホームが数本走っている。T番線に私の乗車するEX533列車が入ってきた。機関車はけっしてスタイルの良いものでは無いが強馬力のようで、すべて大柄で重量感が有る客車を牽引する。乗車すると14時13分に南ボヘミアに向かって発車した列車内で私はコンパートメントの空き席を捜した。真新らしい車両で6人部屋の窓際を見付けて着席したが他の4人は無言のままである。正面の女性は007のスパイ映画にでも現われそうな美人であるが、真っ黒いサングラスを架けている為に表情は窺い知れない。そう思えば男性達も秘密工作員の風采である。息の詰まる一時に車窓を眺めるとボヘミアの森と草原が所々に雪を被っているのが目に入った。
EX533列車 出発信号 ボヘミアの森と草原
 チェコ国鉄の車両内は西欧諸国の鉄道よりも立派であるのには驚いた。東欧圏内の工業優等国と云われる由縁である。かってはソ連や同盟国に自動車や車両を一手に提供していた国だった。線路の状態も大変に良く列車は快走して途中の駅を幾つか飛ばして行く。103`を1時間20分で走るのは関西のJR新快速に匹敵する速さだ。ターボル駅の同じホームから鉄道員の出発板の合図でプラハ行きが出発して行ったが、女性車掌がデッキで列車確認を行っていた。
個室車通路 一等オープン車内 女性鉄道員
 駅前には広場の芝生に白い雪が残っていたが寒さは感じない。中央に「水瓶を抱く少女」像が立っていた。広場から西に少し行くと地図に無いローカルな鉄道駅があって凸型電気機関車に青い二階客車と緑の客荷車が3両編成で止まっている。その横に1903年6月21日開業の看板が揚っていた。百年近い歴史の有る電気鉄道で2003年に100年記念になるというELの描かれた掲示板も共にあった。
 街を奥に散策して感じたのは車は見掛けるが道路には信号器がまったく無かった。コンビニのような店に入って音楽CDを選んでいると「アーユー・チャイニーズ」と店主が寄ってきた。新盤を捜してもらってクレジットを提示すると快く受け取ってくれたのは、この国もEU加盟を目指している物と感心した。
ターボル駅前と少女像 歴史の有る電気鉄道
 再び駅舎に戻ってきてから「乗車券」が気になる。出札口で「プラハ迄帰れるのか」と質問すると問題無いと言う。安心して構内のビュッフェで美味しいチェコのビールを煽った。17時27分発の列車に乗る為ホームに出ると足元が凍る程に寒い。日暮から温度が急に下がってきた。ホームに荷物運搬用の構内車を運んできた作業員が私の傍で呟いたのは「ハナ、ツゥル、セッ・・」朝鮮語である。「ジャパン」と言うと「ひとつ、ふたつ、みっつ、・・」と「とうお」迄数える。日本語を知っているのかの問いに「こんにちは」「さよなら」だけだった。しかし、ここは寒いと震えて見せると彼は「札幌より緯度が北になるよ」と地面に図を書いて説明する。日本に来た事はあるのかと訪ねると兵役時代に「コレア」には行ったと言う。そこでは日本に付いて色々と知識を獲たと言うが一昔前の事だったらしい。列車は半時間遅れているよと教えてくれた彼とのコミュニケーションで時間は忘れていたのだった。ディエクイ(ありがとう)と別れて入ってきた列車の温かい車内でプラハに戻った。
1999年11月22日

ターボルの構内は凍っていた プラハ市内を走るEX

BGM:スメタナ作曲の「モルダウ」は さんのMIDI作品です