ウィーンからブダペストへ

パリ行きの国際列車が出ているブダペストの玄関クラシックな東駅

 列車は国境を越えて順調に走っているが、車窓からは朝もやの為に壮大なハンガリーの平原は見えない。ウィーン南駅から1時間半でドナウ河畔に出た処を5分ばかり並行し、大きく南方にカーブしながら田畑の中を進んだ。すっかり夜が明けた風景は昨日まで馴染んでいたヨーロッパの感じと異なる。懐かしい田舎の匂いと言うか、ひなびた村の風景が目に入ってくるのだった。
やがて低い屋根の続く街並みの中を行くと、ワルツ「金と銀」で有名な作曲者の名の付いた国際列車レハール号はブダペスト東駅に滑り込んだ。9時18分定時の到着である。すると、窓に向かって「タクシー!!ホテル!!」と叫びながら沢山の客引きの声が聞こえてくる。ホームは彼らと迎えの人で混雑している。まるで昔にアメリカ映画で見たオリエンタルの駅風景である。

 個室を出て通路から車外に下りると、先程の客引きが寄ってくるのを手のひらを横に振って断り、先頭の新鋭の電気機関車を撮影していた時に、背中から「トウキヨウ、トウキヨウ」と声がする。振り返ると、大柄な身なりの良い中年の紳士が自分の帽子を指差して立っている。どうも新幹線のぞみ号のバッチが目に付いたらしく、彼も鉄道が好きの様である。私は咄嗟に「トウキヨウ、オオサカ、シンカンセン」と言ってからバッチを見せて「ほしい、ほしいか」と日本語で言いながら「アーユーハンガリアン?」と訊ねていた。紳士は首を振りながら「フンガリアン」と頻りに言い返すので、「おおフンガリアン」とうなづくと、彼はにっこり笑って握手してきた。ピンバッチを外して手渡すと彼は大喜びで、今度は彼が帽子から小さなバッチを外し、ポケットから1枚の真新しいコインを掌にのせて説明を始めた。コインの中央にはハンガリーの国章が載っていて、バッチはそれと同じデザインだ。そして両方を私の手に握らすのだった。
 とても高い天井の、明るいホームのもとで、互いの帽子にバッチを取り付けると二人は喜び合って、最後に「さよなら」のハンガリー語を知らない私は、抱擁して親切な現地の人と別れた。こうして、劇的に初めて訪れた東欧の旅が始まったのである。構内を抜けて駅正面に出ると、その玄関はギリシャ風の彫刻を頭上中央に頂くクラシックな大建築物で、流石にパリ行きの列車も出発する国際駅である。カメラに勇士を納めると広場の向かいにある銀行で両替をした。

東駅に到着したレハール号のオーストリア国鉄の機関車 午後の混雑するモスクヴ昼場
 次の目的は地下鉄博物館である。1896年に開通したヨーロッパ大陸で最初の地下鉄だった1号線はフランツ・ヨーゼフ線と呼ばれ、100周年を記念して当時のトンネルを使用して造られた。当初の王室専用車両や文献が展示されている。まず東駅の2号線で1日券を購入、これは600Ft(約350円)で地下鉄・市電・バスを乗り放題である。売店の通路を曲がるとすぐにエスカレータが有ったので乗ると急勾配で地下深くに潜って行く。乗客も午前中というのに結構多い。やっとホームに着くと、警官のような制服の検札員が数人いて全員をチェックしていた。欧州の鉄道では大抵が改札口は無く、こうして抜き打ちの検札があり、切符を所持していなければ高額の罰金(5000円程度)を払わされる。私を外国の旅行者と見た検札員は丁寧な英語で「チケット、プリーズ」と言って寄ってきた。
 ホームに入ってきたのはブルーのステンレス製電車で、運転台にトラックに装着されている様なバックミラーがはみ出していたのには驚いた。乗客は満員であるが寿司詰めではない。駅名の車内放送があるのは欧州では珍しい。三つ目のデアーク・テール駅で降りると、すぐ地下街になっていた。低い天井だが道幅は広い。両側の商店は生活用品が多く、日本のようにやたらと食堂はない。昭和30年頃の梅田地下街にタイムスリップしたようで、懐かしさがある。あちら此方から金属的な弦の音楽が流れてくるので見回すと、平たい板にスチール弦を張った手製の楽器を指で弾いている。あまりにもメロディがゆっくりだったので最初は判らなかったが聞き覚えの有る曲だ。なんと「蒼きドナウ」ではないか。そう感じると何故か人々の足もゆっくりしている。ここでは時間の流れものんびりしているのだ。
 地下鉄博物館に着くと開館時間の午前10時を少し過ぎていたが誰も客はいなくて、入場口で学芸員のような中年の女性に「メトロ・ミュージアム?」と訊ねると、「どうぞ」と笑顔と態度で表現してくれる。100Ftコインを出すと釣銭が無いと言うそぶり。「いいよ、いいよ」と合図して入場した。大変明るい会場はよく清掃されていて床には打ち水もされていた。入場口に戻ってくると遅刻した小太りの係員が切符売り場で開店準備、すると学芸員が彼に何やらハンガリー語で説明すると、木製の引出しから25Ftの釣銭と「I LOVE METRO」のブリキバッチを出して渡してくれるのだ。気分を良くした私は絵葉書10枚を300Ft(175円)で買った。
 次ぎに地下鉄でドナウ河をくぐり、対岸のブダ地区の「王宮の丘」へ向かった。モスクヴ広場で地上に出てから郵便局に寄り、窓口で航空便を頼むと94Ft、局員が舌で切手をなめて貼ったのには可笑しかった。私達も昔はやったものだ。局の裏手から乗合バスがあると聞いて乗車すると満員の乗客を乗せてバスはグーグーガーガーと音を立てて坂道を登って行った。丘の上では一回り散策して、やがて遊牧民のテントを模ったとんがり屋根の「漁夫の砦」に着いた。ここからの眺めは素晴らしく、先程の切手の図案になっていたネオ・ゴシック様式の国会議事堂が、穏やかなドナウの川面に美しく映える。砦の一階がレストランになっていたので少し遅い昼食を取る事にした。

ドナウ川に面した美しい国会議事堂 ハンガリー民族のテントを模した漁夫の砦
 広場までバスで戻ると市電のターミナルは仕事帰りと夕食の買い物客で混雑が始まっていた。広場中央にマクドナルドの見慣れた看板が目に付く。若い女性の運転する最新型市電のボディにはディズニーの新作映画「ムーラン」の広告が描かれている。この国もしっかりと自由化が進んでいるようだ。私の乗った旧型の市電は3両連結で、マルギット橋でドナウ河を渡り、ペスト側に戻って行った。次ぎの目的はガラス張りの美しい西駅だ。ブダペスト西駅からはルーマニアやスロヴァキア方面へ国際列車が出ている。新橋−横浜間に日本の鉄道が最初に開通した頃に建設された。パリのエッフェル塔を設計した会社が建築したもので、石やレンガをハンガリー模様に組み合わせた駅舎が両側にあって、その間に鉄材の大屋根を支える総ガラス張りの壁が立ち上がった、とても美しい駅舎である。明るいホームには19路線が通った大きな終着駅である。パリのリオン駅や旧東京駅のモデルとなったオランダのアムステルダム駅より素晴らしい。
 構内の電車や列車を撮影して、鉄道員にカメラを向けるとポーズを取ってくれる。ホーム通路でキュービックな黒い皮製の鉄道カバンを肩に掛けた小柄な女性車掌にカメラを見せ許可を得ると、「わたくしを」と恥じらって立ち止まるのを撮影させてもらった。私は覚えたハンガリー語で「コソノム」(有難う)と言った。
 初冬の日暮れは早く、夕陽に映えて美しい駅舎を後に地下鉄を乗り継いで東駅に着いた。そこには17時発のパリ東駅行きの「オリエンタル・エキスプレス号」が待っていた。列車名を聞いて往年の豪華な食事と寝台のプルマンカーを想像するが、イギリスやイタリアで走っているのは観光用で不定期運転であるが、これは正真正銘の定期列車で、真夜中にドイツを通過して翌日の午前10時半にパリ東駅に到着する。1・2等の個室寝台、クシェットという簡易寝台、食堂車にビュッフェ、1・2等の座席車が各国の車両で連結されている。年代もののシックな食堂車で黄金色のワインとハンガリー料理の夕食を摂った。
1998年12月1日

西駅の女性車掌 オリエンタル・エキスプレス号のハンガリー料理

BGM:シュトラウス1世の「ラデッキー行進曲」は さんのMIDI作品です