テルミニ駅の落書電車 | ETR470ユーロスターにも落書 |
テルミニ駅の構内に入ってびっくりしたのは車両の落書で、顔面がパンダになっていたり、車両側面はぎっしり描かれていて乗車口も判らないぐらいだ。新世代ペンドリーノの新車も標的にされていた。昨年に北欧やオランダで見掛けた時は微笑んだがイタリアのそれは半端なものではない、さすがにラテンの国かと変な感心をしてしまった。 私の列車は8時35分発ミラノ行ETR500型のユーロスターでフィレンツェまでは高速新線を走る。2号車の一等指定席に乗車したが私達二人以外に乗客はいない。20分前に隣のホームからフィレンツェ行の準急列車が満員で出発して行ったが到着は1時間半遅い。イタリア人は時間の速さは無関係の様だ。結局そのままユーロスター・イタリアはローマ・テルミニ駅を発車した。 通路を挟んで1列と2列の深い赤色のシートで室内は広々としている。車掌がやって来て検札の後にサービス紙箱を手渡し「グラツィエ」、中味はクッキーと果汁パックそして座席用イヤーホーンの簡単なものだった。これでは約3倍の料金で現地の人は乗車しない訳だ。しかし乗り心地はとても良くて快適だ。新幹線を走るETR500は右側に並行する在来線の列車をすい〜と追い越して316`をノンストップ1時間30分でフィレンツェ・サンタ・マリヤ・ノベッラ駅に到着した。 |
サンタ・マリヤ・ノベッラ教会 | 教会の名が付いたフレンツェ中央駅 |
簡単に市内を観光してフィレンツェから81`を約1時間の郊外電車に乗って斜塔で有名なピサまで移動した。実はピサからローマまでの指定座席券は事前に購入してあったので、到着後にすぐ乗車券を窓口で買っておいて斜塔までタクシーを飛ばした。その前に駅構内のキオスクでタバコを購入しようとして「フロンティア」の空箱を店員に見せ、「ライト」「ライト」と一番軽い物を要求すると皆んなが寄ってきて「がやがや」珍しそうに箱をひっくり返して「わいわい」商売そっちのけになってしまった。そこへ駆け込んで来た青年がキャンディを手に取ってコインを支払らおうとしたが店員は「今ジャッポーネと話中だ」と取り合わない。青年は苛立ちながらコインを引っ込めキャンディをほり投げて走っていった。イタリア人恐るべし、商売よりコミュニケーションの方が楽しいのだ。 斜塔から戻って来ると駅構内に2階建て新型電車が試運転で入ってきた。イタリアはスタイルの国だ。とても見事なゼザインが鉄道車両にも反映されている。私達の乗車するインターシティ列車はトリノを午後1時に出発、長靴の半島西岸を南下するナポリ行である。16時49分出発の4番ホームには沢山の乗客が集まってきた。入ってきた列車の12号車は6人室のコンパートメントでどの室も満席である。通路に溢れた客は空席が無いものかと各部屋を覗きこむ。自分たちの部屋には女性4人の先客が座っていて、入り口で軽く会釈して入ると窓際を譲ってくれた。 |
ピサの斜塔 | 試運転中の二階建電車 | ローマまでの友人達 |
彼女達は本山参りの団体客で他の車両にも仲間が乗っていた。発車して一息、私がタバコを取り出すと年長の女性が駄目だと言う。しかし喫煙室だからと言い返すと、胸を押さえて体に善くないという、それで私も納得してタバコの箱を床に捨て足で踏みつける仕草をすると全員が手を叩いて大笑い。ここから336`3時間半の楽しい旅になった。車掌の検札がやって来て隣の団体客かと尋ねると、「スィー」彼女達が答えた為に私達のビレはノーチェックで通った。 年長者が班長で学者風のアンナ、隣に座ったのが英語が話せるマリアで最後まで通訳であった。イタリアのマンマその物のロザンナと一番若いスペイン系だというマリーナ。すぐに広島のその後が話題になり、今は立派に復興している話をした。半世紀もたってヨーロッパの信仰を持った人々が原爆の悲劇をしっかり記憶していたのには頭が下がる思いだ。ポケットから長野オリンピックの記念硬貨を取り出して日本が成長した証拠を見せつけた。 夕陽を眺めながらティレニア海の向うにあるモンテクリスト島やコルシカ島を思い浮かべて車窓のカーテンを手繰りしていた。彼女達はいろいろ説明してくれる。私の相棒君はピサを出て直ぐに窓の隅で眠りこけたので5人で盛り上がっていた。彼女達は言う。人類とは言語を与えられた唯一の動物で、他の人と喋らない者は人間で無いと言う。眠っている彼を見て「モンキー」と言い放ってローマではそのままにしてナポリ迄行かせようと冗談を言う。私が「おおマンマミーヨ」で泣き出すと大笑いしてナポリ民謡「オーソレミーヨ」を歌う羽目になった。 ロザンナが隣の部屋からりんごを持参して皮を剥き、ホークで提供してくれる。「お腹が空いていないか」とパンと菓子袋も勧めてくれるので日暮になってもローマ迄は短かった。オリンピックの記念硬貨を一人ひとりに手渡し、楽しかった旅の友たちに別れを惜しんだ。ローマ・テルミニ駅のホームに降立った彼女達の最後の言葉は「アーユーパッピー」だった。勿論「イエス」と言ったが「スィー」が正しかったのかも。 1998年2月26日 |