無辺世界
1986年6月25日
河出書房新社より初版発行

在庫の有無は河出書房新社へ
(2006年12月22日新潮文庫版発売)
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」−夕螺)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。
     (「つれづれノート」160ページ)
私が愛するだれかが、私を愛するだれかが、私を見失わないような、みようと思えばいつでもすぐにみつけられるような場所に、私は常に立っていようと思う。
どんな花が咲いてどんな風が吹いて私をどこかへ誘うとしても、その方向があの人々にとって私を見失う方向であるとしたら、私にとってあの人々を見失う方向であるとしたら、私は決して、ただの一歩も、ここから動きださないだろう。
私にとってもっとも大切なことは、あの、同じ悲しみでありよろこびを、みとめあえる人々の存在を確信することである。
(同書帯より引用)
夏生さんの初期の作品。河出書房新社から出版された4冊のうちの1冊です。
左記の「つれづれノート」からの引用にも書いてありますが、ごく内面の世界をあらわしているというように、市や物語は理解するのが難しいです。角川書店から出版されている単行本「微笑みながら消えていく」「かなしがる君の瞳」「ONLY PLACE WE CAN CRY」にはこのへんを理解するうえで面白いエッセイがありますので、あわせて読みながら夏生さんの「ごく内面」を理解していきたいと思います。
左記の本のはかまに書かれた言葉は、「あの人」ではなくて「あの人々」となっています。ある人への恋というものばかりではなく、夏生さんの価値観を共有できる人たちというように読めます。
恋の本という性格が夏生さんの本には強いのですが、恋という狭い範囲に読むのではなく、もっと深い人間の中身あるいは人生観をあらわしているのかもしれません。
理解するのは難しいのですが、独特な雰囲気の入り込んでしまう本です。
イラストがありますが、夏生さん自身を表しているのか、あるいは「あの人々」をあらわしているのか、小さな子供を連想するものがあり、夏生さんが占い師に「あなたの魂はいつまでも小学生並」というようなことを言われたと、「つれづれノート」には書いてありますが、そんなことを思い出すようなイラストで、そんなことも考えながら読みました。
銀色夏生ページ 掲示板
P、9 「丘の上の光」
光・・・・・・
何かを導く光。丘の上に輝く光は、素敵な少年少女を探すための導きの光。
少年少女らしい、純真というのか、そんな視と物語の「無辺世界」の序章かな?
P,12「はてしなく手をつないで」
限りある時間(人生)。でもその限りある時間の中で限りなく手をつないで歩きたい。あるいは、いつか別れる恋でもその間だけでも限りなく・・・・・
P,26「ぼくの森・・・・」
ぼくの森。自分自身の世界、心。
ここには君でさえ来てほしくないんだ。
P,28「精神状の階段」
日々精神的に高まっていく、あるいはその高まりの集中。そんな階段を登っていく。両脇にはドアがあり、さまざまな知らない世界。一つひとつを確かめながら登る。いろいろなものに興味を持ってそこに入らざるを得ないような夏生さん。一つのドアの中には満たされた水が。浮かぶ。魚がひじを噛む。夏雄さんはプールで浮かぶことが好きですが、好きというよりも「夕方らせん」などを読むと精神面の何かを感じます。ひじをかむというところは、後に結婚をし子供が生まれますが、その子が寝るときに必ず夏生さんのひじに手を当てる。なんとなくいろいろな暗示を感じる詩です。
P、33「僕をてらす光」
僕をてらす光、あの人をてらす光。その光はお互いに見えない。いくら恋人どうしとはいえお互いがお互いをすべて知ることはない。二人には恋を邪魔するものは共通に見えるが、それに対してひとつにはなれなくてそのまま動けない。
P、35「リンとした花火」
こころ。。。。燃えて光るがその光は落ちてしまう線香花火。その後は闇。。。。。
P、39「水中箱」
誰にも知られずに海の底にある心。でもその箱という心にはいろいろな暖かい思いがあるんだ。
P、50「階段の途中の穴ぼこ」
階段の途中にあった穴を覗き込んだら落ちてしまった。それは星となる。落ちていく間に肉体はなくなり「一つの思い」となる。その思いが星。僕たちは星を見上げて思う。それぞれの思いを持って。星を見上げる二人の心は一つの思いとなって星となる。
P、52「こころ」
かばんの中の広口ビン。その中には意思とため息。一歩一歩前に進む足、それは時間かもしれない。過ぎ去った時間はその瞬間に後ろで結ばれる。前へ進まざるを得ない。孤独に。そんな意思の入っている途中広口ビンを触ってこのまま生きて意向と決心をする。
P、58・59「「ガードの下の若者たち」「若者たちの上のガード」
作用と反作用。力と応力。恋もふっていると同時にふられている。ふられていると同時にふっている。恋も弁証法か。夏生さんの詩には矛盾した言葉が同時に現れ、それが一つのものとして表されている。
P、66「三日月夜」
不思議な人。そんな彼に恋をした。でも恋人になったら不思議な人ではなくなった。恋人は遠い。永遠の距離を持つ。彼は彼。彼は私,彼はあなた?
P、68「たそがれ国とさよなら国」
P、69のイラスト。たそがれ国とさよなら国と現実の世界との関係。さよなら国は突然に訪れて現実世界やたそがれ国を覆う。信号待ちをしているふとしたときにも。。。。。
P、96「おのおのの森」
この詩の「あなた」は、流星の人や「夕方らせん」の夕方に住む人を連想します。すべての知識を頭に残せて置けない能力。本を読んでも頭は空っぽ。いつも二つ三つのことだけが浮かんでいるだけ。知識なんか必要のない二つ三つのこと。大切な思い。この思いに入り込むこと。でも「あなた」は移動をし常に変化する。そんな変化をするあなたに会いたい、でもこの変化事態は嫌う。そんな矛盾をした思いの中央分離帯がゆれている。
P、100「この胸のバッジ」
ナツヲさんがくれたというバッジ。「同じ世界を行き来する仲間のしるし」。「この胸のバッジ、この胸のバッジ」と、同じなかまという誇らしさを感じます。「黄昏国」の最後のページには、バッジではなくてワッペンのイラストがあります。このバッジを付けた者のみが行ける「ぶどう家」。そこには光の一種の主人と7人の子供たちが。光あるいは7人というのは暗示的です。
P、116「ウテナとゾウ」
ウテナはピノキオみたいに作ってもらった子。そのときにもらった大切な石。その石をなくしてしまったけど、意地悪なゾウが持っていた。意地悪なゾウはそれを返してくれない、でも少し間の抜けたようなところがあり、その石を落として帰ってしまう。落としてしまった石を見つけて「アラこんなところに・・・・」と。なんかホンワカした「お話」です。
P、124「悪夢の日々」
見ただけでもその余に悪夢を人に見せるという「悪夢君」。きれいな洋服を着た悪夢君。そんな悪夢君と話までもしてしまった女の子のチムチ。一家そろって下品でずうずうしいようなチミチ一家。悪夢君の悪夢もチミチには通じない。悪魔のような悪夢君でも人のずうずうしさや悪には勝てないのか?悪は、ほんとは人の心の中にある?
P、138「水がめと小ぞう」
小僧さんに恋をしてしまった水がめさん。水がめさんには悪意はないのですが追いかける。気味悪く思う小僧さん。
「こういうことは日常生活においても、よくありがちなことで、お互いにつらいものですね。」と。夏生さんは一目ぼれをした男を追いかけるタイプ。またふることもあったとか。。。。
P、146「竹林のナピスコ」
ナピスコが竹林の中を歩いていると、そこに不思議な6人の人たちが。その人たちはナピスコが来ることを知っていた、待っていたようで、現れたナピスコを招き入れる。6人の人たちはこれで7人そろったという。6人の人たちは神なのか、妖精なのか、そこに思いを同じとする人ならば誰でもが入れる?ナピスコは、アジアンの子供だったと。。。。よくわかりません。幸せの仲間入り?ここでも7人というのが暗示的です。
P、196「退屈な少年」
「愛することも、遊ぶことも退屈な少年」「死ぬことも笑うことも退屈な少年」そんな退屈な少年は思いを寄せる。何に?
P、206「こえられないなら、くぐっておいで」
作品の最後にある言葉です。無辺世界は不思議な素敵な世界。それは夏生さんの世界。すべての知識を頭に残せて置けない能力。本を読んでも頭は空っぽ。いつも二つ三つのことだけが浮かんでいるだけ。そんな人になって・・・・夏雄さんのバッジを受け取りに越えていく。こえられないならくぐっておいでと?社会の中にはいろいろありますからね。。。。。時にはそんなずるがしこい世界を潜り抜けて無辺世界へ。。。。。
僕の好きな詩・おはなし
銀色夏生さんの無辺世界の世界へようこそ。こちらは「無辺世界」の紹介と僕の感想のページです。一部の引用を除き僕の個人的な感想です。よろしかったら皆さんのお声も聞かせてください。