希望の国エクソダス
文春文庫
村上 龍 著
テレビに中学生「ナマムギ」がパキスタンで銃を取り戦う姿を映し出す。
それを取材しようとするフリーの記者「関口」。その同棲相手経済記者の由美子。
ナマムギの影響を受けて続々とパキスタンに向かおうとする中学生たち。しかし法において出国だできない。その中の一人「中村」君は、出国はするが同じ機内にいた関口とともに入国できずに帰国する。ここから関口と中学生たちのつながりができる。
中学生たちは全国で不登校となりその数は60万人となる。これらの中学生たちはネットでつながり、プログラムに習熟する「ポンちゃん」そして中村君など中心になる中学生がサイトを作る。それはASUNAROとして発展をしていく。
このような中学生がやがて日本を変えようとするという小説です。
基本には、日本の教育を変えるにはどうすればよいのかという質問に対して、著者が「数十万を超える集団不登校が起こること」と、ネットで答えたことに始まる。その考えを小説化したようです。
このように教育問題が主題となりますが、同時に日本の経済情勢の危うさを描きながら、ナマムギの言葉「この国には希望がない」という中身として、大人社会がいかに子供たちに希望を与えられないような国になっているかを訴えます。
60万人もの不登校を前にして何もできない国と学校。経済政策に無策な国。このような日本の2000年から2008年までの運命とASUNAROの行ったことを描く近未来小説です。
子供たちの反乱、その点では大人がコケにされていく痛快な小説ですので楽しく読むことができます。
また、2008年までの近未来小説ですから、政治情勢や経済情勢がどのようになっていくかという著者の「予言」としても面白いかもしれません。
ASUNAROは、円の急落からそれを救いますが自身はそれで莫大な資産を作ります。その資金を元に北海道の広大な台地を取得し独自の地域通貨も発行をします。ひとつのコンミューンですね。
しかし最後のほうでは、独自通貨の発行量と市場の拡大とのバランスに不安を持ちます。また、ASUNARO自体が「希望」をその根底に発展していくわけですが、一人の仲間が死に、それは「欲望」生きる欲望が少なくなり体に異変が生じたためという。
結局ASUNAROというコンミューンは、今の日本の教育問題などの弊害を排除はしたが今の日本社会を改善してコピーしたもの意外ではなかったのではないかと思います。
現代は、発展した精密機械とコンピューターが結合したロボットという生産機械を持っています。その中で作られる製品は、ほとんど人の労働力を必要としません。その中で作られる製品の価値は下がらざるを得ません。その生産力から大量の商品が市場に出回ります。しかし、工場に労働力がロボットのために必要なくなってくれば、それは今の日本のように失業者を多くし、多くの労働力はアルバイトなどという低い賃金での労働となり、正社員の賃金もその影響を受けて下がらざるを得ません。そうするとどのようなことが飽きるか?一方には大量の商品があり、対極にはその商品を買えない人々が増えていくという、供給と消費のバランスが崩れていきます。企業は金があるが新たな設備投資はできなくなる。商品が売れないから投売りをする。そう、今の日本のようなデフレです。それは政策を誤れば大恐慌につながる。
これをASUNAROは解決したかというとそうではなく。コンミューンには能力のない老人はいなくなり、新たに協力を申し出るグループは、必要性がなければ排除する。これは、今の日本の失業問題に何の解決にもならない。日本という国が内部に失業者を作っているか、ASUNAROが地域から排除するか、その違いだけです。
その中でASUNAROが広がっていく上でどうしてもこの問題とぶつからざるを得なくなります。そのひとつが独自通貨の問題です。
ロボットという高度な生産機械を得た今、競争の発展よりもワークシェアリングなども含め、能力にしたがって働けるという社会条件を必要としていくのではないかと思います。そしてその労働の対価として物を平等に受け取れることも必要でしょう。そうしないといつまでたっても清算と消費のアンバランスに苦しみます。
「希望」は、「欲望」から生まれるということがあります。その希望をASUNAROの中心人物たちは、貧しい国の人たちの目の中に見る。この貧しさの中での欲望。。。。。。
これは貧弱な欲望です。今の日本でも国民にハングリー精神がなくなっているというようなことを聞きます。豊かになったからと。たしかに物は豊富にありますし、昔に比べれば暮らしやすくなっています。しかしだからといって欲望がなくなったわけでもないと思います。やはりそこには希望がないのです。欲望はあるが希望をもてない。これは政治的にも経済的にも一般大衆の希望を諦めとして閉じ込めざるを得ないからです。
日本人も欲望はあり希望はある。しかしその希望を行動とする自由がなくなっています。それは、勝ち組と負け組みといわれているような貧富の差の固定化です。それが閉塞感として日本中に満ち溢れています。
この国民の希望を「米百票」と言って我慢しろという社会は、必ず閉塞していくでしょう。そしてこの閉塞感をほかの方向に見出すために「テロ」などという敵を作らざるを得ない。
アメリカや日本、先進国はこの閉塞感につぶれていく。


            2003年10月16日 記
                             夕螺