日本の紬、西アジアのキリム。
どちらも雪深い山々に囲まれたような寒村の女性たちの家を支える収入源です。女性から女性へと伝授され続ける技術。現代人はそれを伝統工芸あるいは芸術としてとらえるが、昔の女性は家制度そのものを伝えることともつながり、切り離せないものであった。それは「家」を守ることでもある。
家を守るということでは、男も女も同じである。しかし、男はその家を守ることは外への働きであり、うちでは家長という立場で振舞う。女は、その男を支えること「家」の中に押し込められての守るということである。狭い家制度の中の女性。その中には喜びもあったろうが古臭い家制度の中でのつらい日々を送る。
紬にはそんな女性の思いが込められている。それはあるときには紬の文様となり、東西の文化の中で文様が伝播したようにその共通した文様にその女性たちも思いが表れている。それは伝播したというよりも女性の思いが共通したものであり、その思い自体の共通性を表している。
紬は同じ文様を繰り返し繰り返し織り込まれる。そのパターンを崩して違う文様を古い文様から引き継いで表すことは難しいらしい。それは同じように、家制度の中で苦しんでいる中に違うパターンを家の中に持ち込むのが困難な女性の立場に重なる。嫁として苦しみ、その苦しみを姑になってから嫁に同じ思いを繰り返させたくないと思うが、家制度そのもがそれを許さない。女性は同じ文様を後世に伝えなければならない。しかし、これも奥底には女性の苦しみそのものが伝わるのである。
主人公の蓉子は、「りかさん」という古い人形と話を詩ながら育ってきた。祖母から教えてもらった自然からの恵みをどう受け取ったらよいのかを知っていた。人形のりかさん自体が祖母を通した家制度そのものを受け継いでいるかのようだ。その祖母が詩に、古い家に紀久、与希子そしてアメリカ人のマーガレットが下宿人として同居するようになった。紀久は紬を織り、与希子は、キリムを織る。マーガレットは西アジアの古い織物を織るクルド人の血を引く。
「りかさん」を通じて紀久・与希子の血のつながりと蓉子との関係が次第にわかってきてそこには古い家制度があった。大学生という年頃の女性たちは現代っ子であるが、古い織物を織り研究する。蓉子は染色。現代っ子が古い伝統工芸を受け継ごうとすること、それは古い家制度の中の女性の苦しみを知ることでもあった。それも血がつながった祖先を持ったり古い人形とその祖先のつながり。
小説の中では、その古い家制度の崩壊、それはつむぎという技術そのものの崩壊でも合ったが、紬を通してその文様に現れる女性の思いを生産するように進んでいくと思う。三人はそれぞれの技術を合わせて一つのオブジェを作る。その中にはりかさん自体も加わる。自宅に展示されたとき、古い家制度を知る与希子の父親がタバコの火をオブジェにつけすべては灰となり、蓉子の古い家も燃え尽きる。これは古い家制度そのものの清算ではないか。りかさんも燃える。
与希子の祖先赤光は、能面師。後に人形師になり「りかさん」を作る。能面の女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるという。赤光の作った能面は、竜女だけがなかった。三人の女性たちは、オブジェが燃えるさまを見て、その中に竜女を見た。竜女とは、古い家制度の中での女性の思いであったのか、それを形として表れたのが炎であり破壊であったのか。赤光の能面もここで完成する。
蓉子は焼け残った家の台所だけはそのまま引き継ごうとする。古いものを引き継ぎながらその中にある女性の思いは生産する。それがその三人の女性たちの生き方か。。。。。。
紀久の書いた紬を織る女性たちの思いをつづった論文が出版をされることになるが、大学の男の教授は名もない学生の女が書いたものだとして、その紬を織る女性たちの思いを抜きにして自分たちの協会のものとして出版しようとする。女性たちはそれではならないと食い下がる。妥協はあるがそのままの中身で出版をされる。ここにはやはり「どうせ女の書いたものだから」という社会制度の古いものが残っておりそこを清算する過程のように思われる。
生き生きとした女性。過去を清算し生きようとする。しかしこの三人もまた新たな家制度を築くのではないか?それは仕方ないとしても古い時代の女性たちの思いは繰り返さないだろう。
2003年10月 記
夕螺