この小説の主人公谷川里彩に対して、若い女性ならいらいらするのではないか?化粧品会社の社員でありながら偶然に飛び込んだ将来が約束されたモデルの誘い。里彩は、祖母との平凡な暮らしを望んでおり、モデルは会社からの命令のようなもので仕方なく引き受けていく。いやだいやだといいながらずるずるとモデルとなっていく中に歯がゆさや苛立ちが出るのではないかと思う。
読んでいる男の僕でさえ少々苛立ちをおぼえる女性である。しかし里彩という女性になぜか惹かれるものがある。これが何なのか?
モデルとしての知名度や収入、これに見向きもしない女性。テレビのワイドショーなどで見るブランド品や流行にばかり走る女性にはないあるものが里彩にはある。
ブランド品や流行ばかりを追うような女性、モデルのような表面上は華やかな仕事にあこがれる女性から見たら、いらいらする女なのかもしれない。小説中の化粧品会社の上司は、美貌のある里彩が、飛び込んできたモデルの仕事に飛びつかないことを理解できない。表面上の華やかさを夢見るある一部の女性や、そのような女性を世間一般の女性と見ることへの柳さんの批判があるように思える。
里彩は、自分自身の強い世界を持っている。そんなところに里彩という女性に惹かれるのかもしれない。
「わたし、欲しいものがないんです」
しかしこの言葉の中に里彩という女性のもうひとつの面が出ている。自分自身の世界を持っている反面、「欲しいものがない」という言葉の中に自分がどこに向いて歩きたいのかがはっきりしない。自分の世界が何なのか理解できない。だからずるずるとモデルの仕事を引き受けてしまう。最後は「はい」と返事をして成り行きに身をゆだねていく。
僕としては、里彩という女性に惹かれるとともに、このような里彩にいらいらするのかもしれない。小説中の周りの人間もそうなのかもしれない。
これは恋にもいえる。
恋愛を欲しいとも思わない。しかし、その美貌と自分の世界を持つ雰囲気に男は引かれていくが、その男に対しても成り行きに身を任せる。40歳になる秋葉は里彩に恋をする。里彩はその誘いにはのるが、そこには恋愛感情はなくずるずるとした関係である。この優柔不断な関係を長々と書かれている。秋葉は振り回される。
そこにまた一人の男が現れる。CMディレクターの黒川である。
しかし黒川には慎吾という男の恋人がいる。また、黒川は「胸のなかに深い闇と哀しみをかかえこんでいる」。里彩は、こんな黒川に驚かない。里彩自身も両親の離婚や子供の頃の自閉に心の中に暗い闇と哀しみを持つ。このようなお互いが持つ心の中の共通性というようなものから里彩は黒川に惹かれ、黒川の恋人慎吾の純粋さのようなものにも惹かれていく。
このゲイの男とその男の恋人、そして一人の女性という関係は、江國さんの「きらきらひかる」と同じ構図であり、単なる恋愛感情だけではかたずかない人と人との心の結びつきや純粋さををえがいている。
里彩は、「わたし、欲しいものがないんです」というが、それは、先にも書いたように社会的な知名度や収入という世間一般の人間があこがれるようなものに欲しいものがないのであって、心の渇きの癒しというのか、人人との関係においての心の安らぎというのか、そのようなものを欲しがっていたのではないかと思う。
秋葉は、恋に対して緻密に計画性のある男である。と言っても打算的ではなく、里彩を自分のものにしたい、40過ぎの男という負い目からも緻密な計画性を持たざるを得なく、そこには純粋さはある。里彩の気に入ることは何でもするという男である。でも、里彩の欲しいものは、秋葉が与え続けたような物質的なものではなく、先にも書いた心の結びつきなのである。
秋葉は敗れる。
しかし黒川の心の暗闇は強く意外な結末を迎える。
里彩は、化粧品会社に勤めているのに化粧は嫌いだとしない。モデルとなったときに化粧をし別人のようになる。化粧をした里彩は、その美貌を含めて人間の表面的なものを現す。化粧をしない里彩は、その心の暗闇を持つ人そのものとなる。
飛躍的な見方をすれば、化粧をしてばかりいる人間だけを評価すし、そのような人間が社会を作っているという現実の日本社会への批判とも読める。
黒川は、CMディレクターという化粧を落とせない。落とせないなかに化粧をしない自分との矛盾がある。この矛盾が意外な結末を迎えたたのではないか?
ドラマの撮影中、里彩は、化粧を落として涙する自分をカメラに写させる。。。。。
今、柳さんの「言葉は静かに踊る」という読書日記を読んでいますが、そのなかに
「インタヴューでよく、夢は何ですか、1億円近いか大金が入ったらなんに使いますか、と訊かれることもある。私はいつも考え込んでしまう。欲しいものがないのだ。」
とあります。
「ルージュ」の主人公は、モデルという華やかな世界にあるが、柳さんは、売れっ子作家というやはり華やかな世界にいる。作家も迎合すればいくらでも化粧をした自分を出せる。ここに柳さん自身、化粧を落とした本当の自分を出すという決意のようなものを作品を通して暗示があるように感じます。
2004年1月6日 記
夕螺