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NO.001「クレヨン」




「子供が出来たらクレヨンを買ってやれ。面白い絵が見られるから」


 ある日、三井が花道に言った。
 昔世話になった、鉄男という男の受け売りだそうだ。
鉄男は、こう言ったらしい。


 子供はクレヨン使いの天才。
 全ての色を使い、白い画用紙一杯、縦横無尽に線を描く。
 暗い色が固まっていようが、キテレツな明るさに偏っていようが、おかまいなし、  その色とりどりの、配色も形も何もかも計算しない、純粋な線達は、思わぬ所で交差し、  ぶつかり合い、交じり合って離れて行く。
 離れても、また別の場所で交じり合う。
 その繰り返し。


 神様は子供の方が、人生面白いかもしれない。


 花道が
「何言ってるか、さっぱりワカンネー」と言ったら、
三井は
「はは、そりゃお前は、線だからな。線が自分がどういう風に描かれているか、分かるはずねーよ」と言って、益々花道を混乱させた。


・ ・ ・



 ある日の昼休み、花道は憧れの晴子といつもの様に話していた。

「桜木くん、実はわたし、中2の時、お医者さんに言われたことがあってね。それを聞いて、 しばらくの間、立ち直れない程落ち込んだことがあるの。ショックで、死のうかと思った」
 晴子が、思い出す様にして、ポツリと語った。
 花道は、憧れの晴子が、何かとんでもなく重い病気に罹っているんじゃないかと不安になる。
「な、なんて、言われたんスか」
「…うん」
 晴子は、言いづらそうにうつむく。
 その様子を見て花道は、慌てて付け足した。
「あ、言いづらいなら、無理して言わなくてもいーす!オレ、今の話し忘れるんで!」
「…ううん。桜木くんになら、言えるかな、と思うの。ごめんね。聞いてくれる?」
「…!オレでよかったら、喜んで!」
『桜木くんになら』という晴子の「特別な人」的ニュアンスを含んだ言葉が、花道を有頂天にさせた。
 花道は、高校で偶然知り合った晴子に一目ぼれをした。
 今まで振られ振られ続けてきて、実に51番目の恋である。
 しかし、晴子には既に「流川」という想い人がいて、花道は告白することなく、失恋してしまった。
 その想い人は、どうやら片思いの様なのだが、晴子の想いは中々に強く、その場にはいない流川の話を、花道は毎日聞かされるハメになってしまった。
 不良からの呼び出しがしょっちゅうある、学校中が遠巻きにするコワモテの花道にも関わらず、どういう訳か、晴子にとって花道は、「話しやすい相手」らしかったのだ。
 また花道も、惚れた弱みで晴子の「流川くんステキ話」を内心流川に対してはらわたが煮え繰り返りながらも、表だっては非常に辛抱強く、聞き続けていた。
 お陰で顔も知らない別の高校の「ルカワくん」に、妙に詳しくなってしまった。
 曰く、最初の出会いが自分が危ないところを助けてもらったこと。
 曰く、流川は自分よりも1学年年上で、バスケがむちゃくちゃ上手いこと。
 曰く、無口でかっこよくて、ファンクラブまで結成されていること、などなど。
 今日も、そんな感じで「流川くんステキ話」をけなげに聞いた後、晴子がふいに言い出したのだ。
「あのね、わたし」
 コクコクとうなずきながら、花道が晴子を凝視してその先の言葉を待った。
「わたし…わたし…」
 晴子が決心した様に言う。
「実は、男なんだって」
「…は?」
「見た目は女なんだけど、本当は男の人なんだって」

 日本語が分かっても、花道は理解できなかった。
 頭がまっしろになる、というのはこのことだと思う。
 目の前にいるのは、花道が一目ぼれする程、何処からどう見ても、華奢で可愛い少女なのだ。
 この可憐なハルコさんが、オトコ?
 晴子はこんな真面目な顔をして、冗談を言っているのだろうか。
 オトコっつーと、アレが付いてるのか?
思わず晴子のスカートの当たりに目がいって、慌てて目をそらす。
「じょ…じょーだん…」
 その瞬間、晴子が顔を真っ赤にした。
「…やっぱり、信じられないよね、こんな話し」
 花道は『しまった!』と思った。
 花道はショックで倒れそうになりながら、なんとか気を落ち付け様とした。
 マジで、マジな話しだったのだ。
「…う、あ、いや、ホントの話し…なんすか?」
「…うん、そうなんだって。わたしも信じたくなかったんだけど…」
 花道にも分かってもらえなかったと思ったのか、晴子が哀しそうに笑った。
 その顔を見て、花道の心がズキンと痛む。
「い、いや、ちょっと、びっくりしちまって…。で、でも、オレ、ハルコさんが嘘なんか 付かねーと思ってるし…っ」
「…うん、ウソじゃないの。ありがとう桜木くん。…見かけはね、この通り女の子なんだけど、 自分も気づかなかったぐらいなんだけど、遺伝子上は男なんだって、言われたの。『睾丸性女性化症』って言うんだって 」
「確かな話しなんすか、それ。もう一度調べてもらった方が、いいんじゃないすか」
「…うん、親も動転してね、病院3ヶ所回って、3度調べてもらったんだけど、何処も同じこと言われたから、間違いないみたい」
「そんな…」
「お兄ちゃんがね、一晩中泣いてたわたしのことをぎゅっと抱きしめてくれて、一緒に泣いてくれたの」
 あのゴリラが。
 花道は、自分が受けたショックよりも、当事者の晴子のショックの方が何十倍も強かったんだと思い、顔がくしゃくしゃになる。
 花道にとって、晴子はやっぱり可愛い女の子だった。
 いくら男だったと言われても、一目ぼれした相手をはいそうですか、とそうそう嫌える訳がないのだ。
「あー、桜木くんに話して、スッとしちゃった。このこと、今まで藤井ちゃんにしか話してなかったから」
『フジイちゃん』とは、いつも晴子と連れ立ってる二人の女性徒のどちらかだな、と花道は思う。
それにしても、そんな大変な話しを自分にしてくれるなんて…と、花道は少し感動していた。
「こんなわたし、本当は流川くんを想ってる資格なんてないんだよね…。男から想われてるなんて流川くん知ったら、絶対気持ち悪いと思うだろうし…。ホントはいつも、桜木くんに流川くんのこと話したあと、一人で落ち込んじゃってたの」
「ハルコさん…」
 晴子の気持ちを思うと、花道は心臓が痛くて仕方なかった。
「ハルコさん、オレ、ハルコさんのこと女のコとしか思えません…!女のコにしか見えねーし。 オレが、オレがその、流川ってヤローだったら、好かれてると知ったら晴子さんのこと男だって言われても、絶対嬉しいと思いマス…!!」
 まるで晴子の恋が実る様なことをいうなんざ、オレはバカかと思いつつ、滑った口は止まらなかった。顔を真っ赤にして花道は言った。
「そ、そうかな。…ううん、やっぱり絶対、気持ち悪いって、思われると思う」
「とんでもない!滅茶苦茶光栄っスよ!」
 花道は、ぶんぶんと思いっきり首を横に振った。
 晴子にここまで想われるなんて、ルカワめコロスと思いつつも、自分が晴子を好きだとは、やっぱり言えずに、花道はそんな言い方をしてしまったのだ。
 それに、しばらく話していて、晴子がどう見ても女の子なので、花道は「やはり何かの間違いだろう。晴子は誰かに騙されているのに違いない」と思う様になってきたのだ。
「ふふ、ありがとね、桜木くん。桜木くんにそう言ってもらえて、ウソでも本当に嬉しい。藤井ちゃんもなぐさめてくれたけど、男の人から言われたら、ホントーに安心した」
 晴子は泣き笑いの顔で言った。
「ウソじゃないッスよ!オレはこれでも天才ですから、悩み事があったら、これからも何でも言って下サイ!」
「うん、ホントにありがとね、桜木くん!あ、藤井ちゃんが来たから、もう行くね」
 晴子は最初に会った時の様に、晴れ晴れとした笑顔で駆け足で去って行った。
 途中、コケてしまった晴子を「ああっ」と心配そうに見やりながら、それを見送った花道は、やはり結構ショックを受けていた。
 …あのハルコさんがホントーにホントーに男だったとしたら、そのハルコさんを好きになった、オ、オレは、もしかしてホモなんだろーか…。
 ---いやいや、あのカワイイハルコさんに限ってオトコだなんて、そんなことは絶対にあり得ない。これは、ハルコさんの可愛さにイタズラ心が起きた、とんでもねーエロジジイ医者のインボーに違いない。
とぶつぶつ思いつつ、花道は教室に戻った。

 授業はいつものごとく、全て寝て過ごした花道だったが、終業のベルが鳴ると共に席を立って 帰ろうとすると、洋平が呼びとめた。
「はなみちー、帰り、ラーメン食いに行かねーか?忠のおごりだってよ」
 洋平がくいくい、とパチンコ台のタマを弾くマネをする。
「おお、新台で出たんか」
「まあな。10杯でも20杯でも食っていいぞ」
 野間がまんざらでもない顔で言った。
 それに『にぱっ』と花道が笑う。
「すげー!オメーよ、やっぱ就職先は梁山泊にしろって」
「アホ、台替の週は、客寄せに店が大抵出すもんなんだよ。まぁ、例外もあるけどな。 で、ラーメンでいいか?」
「あ、わりぃ。また今度な。オレこれからミッチーんとこ行って晩飯作ってやんねーと いけねーんだ」
「…あの、足を怪我した、アゴの傷の人か?」
「そー、そのミッチー」
「…何でお前が飯を作ってやるんだ」
 側で聞いてた洋平が、眉をひそめた。
「うーん、なりゆきかなぁ。足折っただけじゃねくて、一緒に住んでた彼女に逃げられたとかなんとか言ってたしよ。ミッチー、メシ作ったことねーらしーし、その点オレは、得意だからな。まぁ、オレもついでに食うから晩飯代が浮くしな」
「…このバカ、またほだされやがって」
「あぁ?なンか言ったか、よーへー」
「…いや。で、それは当分続くのか?」
「おお、いちおー、足が治るまで作ってやるって言ったからな。一ヶ月ぐれーかな」
「…また花道の悪いクセが出やがったな」
「ああ、なんだかんだ言って、お人好しだかんなー」
「洋平よ、ありゃ無茶苦茶怒ってるぞ」
「無理ねーよ。あの三井ってヤツ、コレモンとも繋がりあんだろ?鉄男とか言ってたか。鉄男ってやつ3丁目にあった立花組、アレ一人で潰したとか聞いたしよ、この辺じゃ有名じゃねーか」
「いくら花道が負け知らずってもなー。お子ちゃまみたいな所があるしなー」
 側で聞いてた高宮と大楠が、小声で囁きあった。
 花道達は、ついこの間、その三井という30手前ぐらいの男が繁華街で酔っ払いの若者数人に絡まれている所を助けたのだった。
 三井も強かったが、相手は10人あまりでよってたかっての暴行の上、その内の一人がバットなどを振りまわしていた為、足をやられてしまった。
 酔っ払い10人をぶちのめした後、警察から逃れる為、5人はその場を離れて怪我した三井をかついで病院へ連れて行った。
花道以外の4人は三井を病院に連れて行ったきりだったが、花道は何やらその三井という男とえらく息投合してしまい、今にいたる、ということらしかった。
「…花道。ケータイ、忘れてねーよな」
 洋平が口元だけで薄く笑い、花道に言った。
「あ?おう、おめーがうるせーから、ちゃんと持ってるぜ」
「あの三井っておっさんは、何かとお客が多そうだ。何かあったら、必ず連絡しろよ」
「ちっ、わかったって。ったく、メシ作りに行くだけじゃねーか。よーへーってよ、ホントにオレの死んだかーちゃんそっくりだぜ」
「そりゃ、光栄だ」
 洋平がニヤリと笑った。
 ふいに、花道は晴子のことを、洋平に聞きたくなった。
「…あのよ、よーへー。ハルコさんのことなんだけどよ」
「ん?晴子ちゃんが、どうかしたか?」
 言いかけて、花道は他の3人もいることに気がつき、やはり、内容が内容なので、この場はやめておこうと思った。
「…あー、いや、いい。また今度聞くわ。ワリィな」
「なんだ?ついに、デートに誘おうってんなら、晴子ちゃんが喜びそうなコースを考えてやるぜ」
「ち、ちがーよ!また今度話す!」
「はいはい。…とにかく何かあったらすぐ連絡しろよ」
「しつこいって。じゃあな!」

・ ・ ・


「…晴子、桜木くんに、話したの?」
「うん、ずっと言えなかったんだけどね。とうとう言っちゃった」
 いつもの様に、晴子と藤井は連れだって下校していた。
「…別に、言わなくてもよかったのに。桜木くん、びっくりしてたんじゃない?」
 藤井は晴子が傷つくのが嫌だった。
しかし、心の別の所で、自分たちだけの秘密ではなくなったことを、残念にも思っていた。
「うん、もー、びっくりしてた。当たり前だよね。でも桜木くん、真面目に聞いてくれたよ。嬉しかったなぁ」
「…そう。よかったね」
「うん。藤井ちゃん、いつもごめんね。ありがとね」
「ううん」
「でも、流川くんは、こうはいかないだろうなぁ。まー、わたしなんか、流川くんとは一度しか喋ったことがないんだけど」
 へへ、と笑う、晴子のいつもの嬉しそうな一言で、藤井は眉をひそめた。
「…晴子。言いにくいんだけど、流川くんには近づかない方がいいよ。危ないよ」
「大丈夫よう!ファンの子達なんてわたし平気だし」
「…そうじゃなくて。あの人の保護者の人達。暴力団でしょう?流川くんは、その後継ぎなんだよ。あの人達、ホントかどうか知らないけどマフィアとも繋がりがあるみたいって聞くし、わたしたちと別の世界の人間よ?危ないよ」
「牧さんも、藤真さんもいい人よっ」
 晴子はちょっと怒って言った。
「お兄ちゃんも言ってた。昔、あの二人にはお父さんのことで恩があるって。お父さんが大学のバスケ部のコーチをしていた時の生徒があの二人で、お父さんが闇金融に騙されて自殺させられそうになった時、その闇金融業者を摘発してくれたんだって。それに、流川くんはわたしが車に轢かれそうになったとき、偶然近くにいて、助けてくれたんだよ。その時牧さんも藤真さんもそこにいて、心配そうに声かけてくれたんだから」
 晴子は、その時に、流川に一目ぼれしてしまったのだ。
 ちなみに晴子が中一の時の出来事である。
 藤井にとってその話しは、今までさんざん聞かされてきた話だったどころか、その当時、現場にいたのだが、敢えて口を挟むこともなく黙って聞いていた。
 当時は一瞬のことで何がなんだかわからない内にそういうことになって、晴子を助けられなかった悔しさと負い目も、藤井にはあった。
「良い人でも、危ないよ」
「大丈夫よ!心配しなくても、わたしなんか、流川くんと話も出来ないんだし」
 晴子は眉をしかめ、哀しそうに言った。
 二人の間に沈黙が訪れる。
「…ごめん。いい過ぎた」
「…いいよ。わたしもごめん。でも、今度の流川くんの試合には、藤井ちゃんが何て言っても、わたし行くからね」
 藤井が微かに溜息をついた。
「…その日はわたし、法事があって一緒に行けないわ。お母さんがたまには親戚のみんなに顔を見せなさいって言うし」
「分かってる。一人で行くから大丈夫」
 晴子を一人で行かせることが心配な藤井は、ひとつ提案をした。
「…そうだ、晴子。もし、桜木くんがその日ヒマだったら、一緒に行ってもらえば?」
「え、桜木くん?うーん、それは嬉しいけど、でもバスケって全然知らないみたいだし、悪くないかなぁ」
 それを言えば、藤井の方が、友人の甘えで、ついついいつも付き合ってもらっているのだが、それはおいておく。
「聞いてみるだけならいいんじゃない?用事があったり、嫌だったら桜木くんも断るだろうし」
「そうねぇ。聞くだけ聞いてみよっかな」



つづく
2003.10.04