Yoshi's Gift賞


1994年9月15日、剛丈を射殺したロドニー・ピアーズ氏に対し、ルイジアナ州東バトンルージュ郡地方裁判所は損害賠償金として65万3000ドルを支払うよう判決を言い渡した。(1999年10月現在、賠償金は、まだ1部の10万ドルしか支払われていない。) 民事裁判の賠償金10万ドルから裁判費用を差し引いた約$4,5000 で、米国の銃規制団体の活動が活発になる事を願い創設したのがYoshi's Gift賞基金。服部家とホストファミリーだったヘイメーカー夫妻が相談の上設立された。現在の運営母体ワシントン・シースファイアからミリオンマムマーチ委員会に移行する予定。各々の
団体に賞金3,000$を出し、各年2団体を表彰。 日本からも募金活動を続けている。


募金受付は、郵便振替口座 

名義「YOSHIの会」

番号「00870-6-42392」


【受賞団体】


・第1回(1996年):バージニアの団体VAHV及びニューハンプシャーのSAHC
・第2回(1998年):サイレントマーチ委員会及び
カルフォルニアオレンジ郡「銃暴力を防ぐ市民の会」
・第3回(1999年):アリゾナCAP―GV及びアイオワIPGV

Katina Johnstone


Katina Johnstone(愛称ティナ、50歳)には20歳の娘と17歳の息子がいる。1992年、夫のデイヴィドがサンフランシスコで強盗殺人事件の被害者になったことが、ティナが銃規制運動に関わるきっかけとなったのである。

夫を殺したティーンエージャーの刑務所行きが確定してからも、少年がどのように銃を手に入れたのかという疑問が彼女を悩ませつづけた。司法システムは事件が起きなければ活用されないが、銃の流通を減らせば銃犯罪は未然に防げる。ティナはこの調査を通じて、無謀に武器を撒き散らしている銃メーカーに対して憤りを感じるようになったのである。

ティナはニューヨークの自宅アパートで射殺された福岡出身の砂田敬さんのご両親らと共に、1995年にアメリカの銃メーカーを訴える民事訴訟を起こし、1999年2月にはアメリカの歴史上初めて、銃メーカーの責任を認める評決を勝ち取った。この評決をきっかけに、全米で24もの自治体が銃メーカーを相手どった訴訟を起こし、アメリカの銃規制運動は一気にその性質を変えたのである。

ティナはまた、友人達と共に「銃暴力に反対するニューヨーカーの会」を創設し、地道なロビー活動により、襲撃用銃の禁止法案成立の大きな力となった。同会はまた、サイレント・マーチという全国的なイベントを組織した。1994年、アメリカで1年間に銃の犠牲になる40,000人分の靴をワシントンD.C.の国会議事堂前に並べて行われた無言の抗議は、世界中の注目を集めた。サイレント・マーチはその後も1年おきに全米各地で開かれており、サイレント・マーチ委員会は1998年のYoshi's Gift 賞を受賞した。

今年の5月、母の日には、銃暴力に抗議する母親が数多く参加したMillion Mom Marchを組織した。Million Mom March Foundation(旧称Bell Campaign)は現在アメリカで最も影響力を持つ銃規制団体の一つであるが、ティナはその12人の創設者の一人でもある。

「銃は地域社会の緊急事態であり、銃の事件がある時にはいつも鐘を鳴らすべきです」という信念がBell Campaignの名前の由来であり、その使命は銃による死傷者を防ぎ、銃のトラウマ(心に永久に残る傷)を負う犠牲者の気持ちを支えることにある。なお、Million Mom March Foundationは将来、Yoshi's Gift 賞基金の運営母体となる予定である。

この11月、ティナはまた一つ新しい挑戦をする。米国連邦議会の下院議員選挙にニューヨーク州第13区から出馬するのである。ティナの目指すものは何だろうか。ティナによれば、「すべての地域社会にKatinaのような人がいて、銃撃事件がおこるや、『私達には銃を必要とする社会は要らない!』とたちあがって発言すること」だそうである。