YOSHIの会の歴史
1992年10月25日の剛丈の通夜から始めた「米国の家庭から銃の撤去を
求める」請願運動を支援した。署名集めに加え、経済的にも支援した点
が大きく評価される。服部剛丈の母親である美恵子の詩「YOSHI」を、会
員のシンガーソングライターまのあけみが作曲し、CDを発売、その収益
で170万人分の署名を送り出し、1993年11月16日 クリントン大統領との面
会実現を果たさせた。服部政一、 美恵子、まのあけみ、ケビン・モールの4名の渡米費用もCD収益から捻出された。まのあけみは、米国におい
て、歌で銃暴力反対をアピールし、ケビン・モールは通訳として政一と美
恵子に付き添った。
「画期的な銃購入規制を盛り込んだ『ブレディ法』の成立に貢献するととも
に、日米両国において銃のない社会を目指す運動を精力的に展開してい
る」として、1995年、名古屋弁護士会から人権賞を受賞。
「海をこえて、銃をこえて」と題し事件をまとめた本を、会員の坂東弘美と
服部美恵子の共著で出し、事件の遺したものを書き記した。
1998年度は七回忌にあたり、命日の10月18日と11月3日の2日間、「海
をこえて銃をこえてパートU」と題してイベントを主催した。映画「世界中に
轟いた銃声」、基調講演(リチャード・ヘイメーカー氏)、シンポジウム、ま
のあけみコンサート、オリジナルソングコンテストを行った。
民事裁判勝訴後、賠償金から裁判費用をさしひいた約$4,5000 で
「Yoshi's Gift賞」基金を設立した。この賞は米国で優れた銃規制運動を
展開する団体に賞金を出し(2団体、各々$3,000)その活動を奨励するた
めのものである。選考権は「YOSHIの会」と服部家がそれぞれ1票、米国
の評議員が7名でそれぞれ1票ずつ持っている。1999年度は3回目。