スピーチコンテストの勝者が投票ではなく審査によって決定されるのはなぜか、考えてみたことがおありだろうか?カラオケから前衛芸術に至るほとんどあらゆるコンテストで勝者を限られた数の審査員が選ぶのは、普通の人々の判断はあまりあてにはならないからだ。美の神は民主主義を好まない。良い作品と気に入った作品の区別がつかない人々は大勢いる。だから、審査員を選んでよりましな判断を期待することになる。
芸術家が世に出る方法はふたつある。ひとつは大衆うけであり、もうひとつは専門の評論家からの評価を得ることだ。大方の芸術家は後者の道を通して世に出ようとする。もっぱら人気取りのために作品を造るようなものは、まとのな芸術家からは蔑まれる。しかし、最高水準の評論家といえどもつねに正当な評価が出来るわけではない。存命中にふさわしい評価が得られなかった芸術家はたくさんいる。ゴッホはそのよい例だ。存命中に売れた絵はわずか一枚で、貧困と絶望の中に自らの命を絶った。
板画家、棟方志功の伝記を読んだことがある。若き日の棟方志功はゴッホの作品に深く感動し、「わばゴッホになる」といって故郷の青森を離れる。多くの優れた作品を残し、幸運にも存命中に国際的な評価を得ることが出来た。無名時代の棟方が帝展落選を重ねていた際、「ラクセンオメデトウ」という電報を恩師が打った話は良く知られている。
この電報の意味するところは何だったのだろうか?「成功のあとでは努力をやめてしまうかもしれない。しかし失敗のあとならまた成功を目指してがんばれる。この電報は努力を続ける機会を祝ったもので、逆説的な激励である」と言った人がいた。だがこの電報にはもっと深い意味があるように思える。芸術家にとって努力は大切だ。それ以上に大切なのは、どんな努力をするかということにある。もし棟方志功がもっぱら帝展のために作品を造っていたら、もっとたやすく入選できたかもしれない。しかし世界のムナカタにはなれなかったであろう。棟方を高く評価したのは日本の美術界よりも外国の美術界のほうが早かった。棟方志功は自分の美意識に忠実に作品を造ったに違いない。恩師は、貧困の中にあっても志を曲げない強固な意志を祝福したのであろう。
競争における勝利が至上のものである人々はいる。ボクサーやマラソンランナーやカーレーサーにとっては勝つことがすべてだ。だがもし芸術家がコンテストにおける勝利のためのみに作品を造れば、芸術家と呼ばれる資格を失う。そんな者は芸術家ではない、乞食だ。ある意味で職業芸術家というものは実に矛盾した存在だ。一方では人気を度外視して新しいものを創造しなければならない。その一方で生活のためには人々の支持を得る必要がある。だがどんな芸術を創造するのであれ、競争の危険性は心に留めておかなければならない。芸術家がコンテストの審査員に迎合するとき、競争は創造の最大の敵になる。創造を志すような者は、好意的でない評価を黙殺するような強さがなければならない。
数日前、東北大学の合格発表が私の住まいの近くであった。すべてを手にしたかのような喜びに満ちあふれた顔を何度も目にした。しかし彼らは、入学試験で良い評価を得たに過ぎないのだ。遅かれ早かれ、何かを創造するのは入試に合格するよりもはるかに難しいことを知るであろう。もし、高校生活を入試合格のためだけに費やしたとしたら、何というみじめな高校生活であろうか。日本人の貧しい創造性と激しい競争は深く結びついている。創造的な風土を培うためには、社会から不必要な競争をなくしていかなければならない。(97年3月)
競争と創造性