パンフレット

緒川村誌
昭和57年3月31日発行
第12章 民俗
 第6節 伝説
(松之草)小八兵衛

 ---控え−ッ、控え−ッ、ここにおわす方をどなたと心得る。おそれ多くもさきの天下の副将軍、水戸光圀公にあらせられるゾ、頭が高い、さがりおろう---ッと、三つ葉葵のご紋の入った印籠を差出して、グッとにらみつけると、今まで威張りちらしていた悪家老や悪代官どもは、平蜘蛛のように平伏してしまう。
 これはご存知「水戸黄門」の痛快な場面です。お供には助さん、格さん、風車の弥七、霞のお新、それにうっかり八兵衛など。この弥七親分が、わが村にゆかりがあるとは、どなたさまもご存じあるまいテ。弥七こと小八兵衛、松之草の者。
 ---水戸二代の藩主光圀公、ある年、賊の首領を捕らえたが、思うところあって罪をゆるし、解き放った。この者は一昼夜の中に三十里(120キロ)を往来し、忍びの達人だった。首領は感激して
 「この恩恵は一生忘れませぬ。自分の命ある間は、決してご領内に盗賊は立ち入らせませぬ」と誓った。はたしてこれ以降、領内には夜盗の類はなくなり、また領内の変事はもとより、隣国の動静まで、光圀公は居ながらして知り得た---、と桃蹊雑話に書いてある。
 小八兵衛は隠密として光圀につかえ、子分たちとともに情報をあつめて報告したと思われる。小八兵衛の墓というのが、松之草公民館に近い山の麓にある。「元禄十一戌寅年/帰真単山崇心墓/五月二日寂入」と読める。
 光圀公が紙を粗末にする女中たちを戒めるため、松之草村につかわし、寒中の紙漉きの有様をみせた話は、戦前の修身書に載っている。これにも小八兵衛の働きがあったであろうと想像される。



年表の確認