風邪のある日


―――あ゛ー、失敗した‥‥‥。
 大成は、布団にくるまりながらそう思った。
 雨の中のバイトで、終わる頃にはすっかり身体が冷え切ってしまったのが悪かったのだと思う。
 しかもその後、奢ってくれると言う話に釣られ、バイト先の主任と飲みに行ってしまったのは更にまずかった気がする。
 二次会まで飲んだ時には、既にかなり体が怠くなっていた。
 しかし、酔った頭はまともには回らず、更にカラオケまで付き合ってしまった。
 翌日の朝、激しい頭痛があったのだが、きっと二日酔いのせいだと思ってバイトに出た。
 そして今日、立ち上がれない程酷くなってしまった、と言う訳だ。
 熱は結構高い気がするのだが、実は測っていない。
 あまり高かったりすると、それだけで悪化してしまいそうな気がするからだ。
 なけなしの金で買った風邪薬をミネラルウォーターで流し込み、布団にくるまって震えているのが精一杯だった。
―――俺、このまんま死んじまうんじゃないだろうか‥‥‥。
 怠い頭は、ろくな事を考えない。
 とにかく、寝よう。
 そうすれば風邪なんか治る。‥‥‥多分。
 無理矢理そう思い込み、大成は目を閉じた。
 と、その時。
 建て付けの悪い階段を上り、誰かが部屋の前に立った。
 投げ込みチラシのバイトか何かか、そう思った時。
 ドアのノブがガチャリと音を立てた。
 勿論鍵がかかっているから、ノブが回るはずはない。
 すると、ドアの外の誰かは少し考え込んでいるようだった。
 少しして、今度はドアの鍵穴が、カチャカチャと音を立て始めた。
―――ま、マジ?!
 この辺りでも、空き巣の噂は時々聞く。
 どうせ取られて困るようなものは何もないと思って真面目に考えてはいなかったのだが。
 こうやって寝ている時に、誰かが入って来たらと思うと、大成でなくても慌てようと言うものだ。
 風邪で寝込んでいて居直り強盗に殺されたなどと言うのはシャレにならない。と言うか、格好悪いと思う。
「く‥そ‥‥」
 何とか身を起こしたのだが、手にも足にもまるっきり力が入らない。
 立とうとして膝が崩れ、ぺしゃりと俯せてしまった。
 その時、古い型式の鍵は抵抗を諦めたのか、がちゃり、と音を立てて外れた。
 黙って言う事を聞いてなんかやるもんか、そう思って必死に身を起こした時。
 大きく開け放たれたドアから、のっそりと入って来た相手を見て、大成は唖然とした。
「大成、おとなしく寝てないと治らない」
 起きていた大成を見て眉を寄せた見慣れた顔に、大成は脱力してしまった。
 緊張が切れ、直後、猛烈な怒りが湧いて来る。
「お前、これって不法侵入だぞ!!てっきり、空き巣だと思ったじゃないか‥‥!」
 怒鳴りかけ、大成は激しく咳き込んだ。
「風邪、ひどくなる」
 と、玄は手に持っていた小さな箱を置くと、大成を軽々と抱え、薄っぺらな布団の上に放り出す。
 いや、玄は寝かせたつもりなのだろうが、やり方が無造作なのではっきり言って痛かった。
「‥‥誰のせいだよ‥‥‥」
 布団を引き上げ、大成は玄を見上げた。
「お前、鍵開けなんてなんで知ってんの?」
「‥‥なんとなく、覚えた」
 少し考えてから返って来た言葉に頭痛を覚える。
 得体の知れない奴だとは思っていたが、これではいつでも犯罪者になれるではないか。
「鍵、かかってたから。開けてみた」
「それ、犯罪だって‥‥」
 何となく、熱が上がって来た気がする。
「お見舞い、持ってきたから‥‥‥」
「あー、ありがと。なに?」
「アイスケーキ」
「‥‥‥‥‥」
 風邪で熱がある時に冷たいものは結構おいしい。
 しかし、病人にアイスケーキを一体どうやって食べろと言うのだろう。
「えーと、今は気持ちだけ受け取っとくわ。冷凍庫にでも入れといてくれ」
「‥‥‥わかった」
 のっそりと立ち上がり、玄は狭い台所にある小さな冷蔵庫を開ける。
 冷凍庫には普段、酒を飲むのに氷が入れてあるが、熱を冷ますのに使ってほぼ空っぽだったのだ。
 箱ごとアイスケーキを冷凍庫に入れた玄は、また大成の枕元に正座する。
 何か居心地が悪い、とか思った時。
 ドアの向こうに人の気配がした。
「大成さん‥‥あれ、開いてる」
 ドアを開け、ひょこりと顔を見せたのは一伊だった。
 部屋の中を見回した一伊は、寝ている大成とその枕元に座っている玄に度肝を抜かれたらしい。
 どう反応したものかと一伊は戸口で固まってしまっていた。
 と、更に。
「浪人、何突っ立ってんだ。邪魔だろ?」
「う、うわ、蹴らないでくださいよ!」
 何かに突き飛ばされるように一伊が部屋の中に入って来た。その手に持っている重そうなビニール袋に入っているのは桃缶‥‥だろうか。
 その後ろから顔を出したのは十一だった。
 火を点けていないタバコをくわえ、上着に両手を突っ込んだまま入って来る。
 が、一伊と同じく、大成の枕元に座る玄を見て動きが止まる。
「いやあぁっ、フケツよおぉぉっ!風邪だって聞いて心配して来てあげたのに、男を連れ込んでるなんてっっ!」
 十一は頬に手を当て、大袈裟に身を捩って見せる。
「あのなー‥‥‥」
 風邪で動かない頭では、リアクションを返すのも面倒だった。
「言い訳しないのねっ、いーわ、アタシにだって考えがあるっ!」
 ずかずかと入って来た十一は、やおら大成の布団を剥ぎ取った。
「ちょっ、なに‥‥‥」
「この白衣のナースが看病してあげる(はぁと)。さ、まずはパジャマ着替えましょーねー」
「白衣じゃなくて黒衣‥‥って、わわ、ちょっとまったっ!」
 パジャマ代わりに着ているTシャツに手が掛けられ、大成は慌てた。
「だって汗かいたろ」
「そりゃそーだけどっ!」
 力の入らない手足を必死にバタつかせる。
「あっ、おもしろそー♪おれも混ぜて!」
 飛び込んで来た太郎が、問答無用で乱入して来る。
 どうでもいいが、入り口が開けっ放しと言うのはまずいと思う。
 安いワンルームだから、入り口が開いていればたった一つの部屋はまともに見渡せるのだ。
 それにしても、頼むから、安らかに寝させてくれ。
 そんな大成の願いなど空しく、玄までもが加わって大成を脱がしにかかる。
「ちょっ、とにかく、おとなしく寝かせて‥‥‥」
「お前ら、なにやってるんだ」
 大騒ぎになりかけた部屋に、低い声は不思議に良く響いた。
「風邪の人間を騒がせてどうする」
「あぁぁ、先生、お待ちしてましたー」
 今日程二志の仏頂面が救いの神に見えた事はない。
 しかし、二志も大成が風邪だと聞いて来てくれたのだろうか。
「とにかく診てやる。まず、シャツ脱げ」
 と、二志がどこからともなく聴診器を取り出した。
「えーと‥‥‥」
 この視線の中で上を脱ぐのは結構度胸が要る。
 今更と言う気もするが、改まって見られると何か照れるのだ。
―――診察、診察‥‥‥。
 大成は自分にそう言い聞かせながらシャツを脱ぐ。
 部屋の雰囲気が何となくいやぁな感じになったようにも思えたが、気にしない事にする。
「口開けろ」
 言われるままに口を開くと、二志が目を細めて奥を見渡す。
「少し腫れてるな。扁桃腺炎だとすると結構熱もあるか‥‥‥」
 何となく二志の口調がきついものになりかけているのを感じて、大成は慌てて口を閉じる。
 医者(の卵)相手では、大した事はないなどと言う言い訳は通らない。
「ほら、体温計」
 口元に突きつけられた体温計に、大成は二志を上目遣いで見上げた。
「‥‥あんまり測りたくないんですけど‥‥‥」
 絶対、かなりの高さになっていると思う。
 それを見た時の二志の説教は聞きたくない。
「くわえんのが嫌なら無理強いはしねえがな。そん時は直腸体温でも測らせてもらう」
「ちょ、直腸‥‥‥」
 それは‥‥そう言う事なのだろうか。
「俺は別にそっちでも構わねえが」
「いい!口でいいっ!」
 それはそれで凄いセリフだ、と思いつつ、大成はおとなしく体温計を咥えた。
 途端に急上昇して行く体温計に、二志は目を細めた。
 表情の浮かんでいない顔が怖い。とても怖い。
「‥‥三十八度九分。これ以上熱が上がるとヤバいな」
 そう言った二志は、どこから出したのが小さな鞄を漁る。
「どうせろくなモン食ってねえだろ。これ使うぞ」
 と、二志が取り出した物体を見た大成は逃げ腰になった。
「な、なんで赤ん坊でもないのに座薬‥‥」
「馬鹿、年なんか関係あるか。手っ取り早く熱が下がるんだよ」
「嘘だっ、お前の趣味だろ!」
 ずりずり、と座ったまま後ろに下がって逃れようとしたものの、十一にがっちりと肩を掴まれてしまう。
「ほら、大成ちゃ〜ん、こわくないからねー」
 十一が猫なで声を出す。
「おれ、そーゆーのやった事ないからやりてー!」
「仕方ねえなぁ、今日は譲ってやるぜ」
 当人そっちのけで話を進めている太郎と十一に、殺意に近いものが湧く。
「おいっ、マジでやだって‥‥!」
 座薬も嫌だし、親しいとは言え、この人数に見られているのはもっと嫌だ。
「だって、この熱じゃマズいですよ!大成さん死んじゃいますよ!!」
 体温計を見て目を剥いた一伊が真剣な表情で大成に迫る。
 心配してくれるのはありがたい。
 しかし、それとこれとは話が別だ。
「とっ、とにかく嫌だってばー!!」
 大成は、ありったけの力で叫んだ―――。
「―――っ!?」
 大成は、自分の叫び声で目が覚めた。
 全身が、嫌な汗で濡れている。
 まだ頭がぼんやりしているから、熱は完全に下がっていないのだろうが、それでも少しは楽になった気がする。
 熱でうなされていたから、あんな夢を見たのだろうか。
 水が飲みたいと思ったが、起き上がる元気がなかった。
 どうしよう、と思った時。
 建て付けの悪い階段を上り、誰かが部屋の前に立った‥‥‥。

またえんどれす‥‥(?!)

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みんなのアイドル、大成(笑)。またこのネタを書こうと思った時に、何となく風邪の話が頭をよぎりました。書きたかったのは鍵を勝手に開けて不法侵入する玄です。
座薬ネタは某秘書の話とダブってますねー(←確信犯)。話の中で大成が、赤ん坊じゃないのにと言ってましたが、実は私、数年前に肺炎やった時、生まれて初めて座薬入れました(苦笑)。ケースから薬だけ入れるやつでしたが。直腸からだと肝臓で分解されにくいので、効果が強力なんだそうですね。