交換条件
「清水新、だな」 バイトの帰り、アパートの近くで声を掛けて来たのは、明らかに目つきの悪い痩せた男だった。 「‥‥‥‥‥」 こんな言い方をする人間に、ろくな奴はいない。 この前、バイト先に押しかけてきた借金取りもこんな感じだった。 両親の借金だから直接新には関係ないのだが、行き先をしつこく訊かれ、知らないと言うと、新が肩代わりしろとまで絡まれた。 バイト仲間の人が加勢してくれたから撃退する事が出来たが、それ以上迷惑を掛けたくなくて、そこをやめる羽目になったのだ。 新は、身構えながら相手との距離を取ろうとした。 しかし。 「おっと、逃がさねえぜ」 いきなり後ろから伸びてきた手が、新の腕を掴んで自由を奪う。 「何すんだよ!」 必死になって暴れるが、相手の方が何倍も身体が大きくて逃げられない。 そればかりか、もっと強く腕を掴まれて、痛みのあまり身動きも出来なくなる。 最初に声を掛けて来た痩せ男が、嫌な笑みを浮かべて近付いてくる。 新の顎に手を掛け、自分の方に上向かせた痩せ男は、目を細めた。 「借りたものを返すのは当たり前だろう。同じように、親の借金、子どものお前が返すのも当たり前なんだよ」 「なんでそうなるんだよっ!親父もおふくろも、連絡なんかずっとないんだ、関係ねーよっ!」 噛み付く新に、痩せ男は薄く笑って舌なめずりした。 「話には聞いてたが、可愛い顔して、ずいぶん威勢のいいガキだな。‥‥まぁ、こう言うのを泣かせるのも悪くねえ」 舐めるような視線に、新の背筋を悪寒が走る。 嫌悪感で全身に鳥肌が立った。 「く‥‥さわんなっ!」 首を振って、顎を捕らえる手から逃れようとする。 「ふん‥‥おもしれえじゃねえか」 新の顔から手を放した痩せ男は、しかし、新の前髪を乱暴に掴んだ。 その痛みに、新の表情が歪む。 「いいか、今すぐ親の借金、耳をそろえて返すのか、金の代わりに身体を売るか。ふたつにひとつだ。どっちを選ぶ」 「な‥‥っ」 あまりの事に、新は絶句する。 両親の借金はかなりの額で、今の新には到底返せるようなものではない。 だが、だからと言って身体を売れなどとは、二者択一とは言わない。 「まぁ、答えは決まったようなもんだけどな?お前みたいに生きのいいガキが好みな客もいるから、かえって今よりいい生活ができるかねしれねえぜ」 下卑た笑いを漏らす痩せ男に、新は怒りのあまり言葉が出てこない。 「‥‥何も言わねえってことは、身体を売るんでいいってことだな?よし、連れてけ」 「なっ、だ、誰がそんなこと‥‥んんっ!」 反論しかけた新の口は、大きな手で塞がれてしまう。 暴れる身体も太い腕で押さえ込まれてしまっていて、新の背筋を冷たいものが這い上がる。 このまま、どこかに連れて行かれてしまうのだろうか。 闇市場では、人も売買される事があると言う。 売られる先は娼館だったり金持ちの道楽者だったり、どちらにせよろくな目には遭わない。 「おい、いいかげんおとなしくしねえか。でないと、痛い目みるぜ?」 痩せ男が、凄味の籠もった視線で新を見た。 反射的に、新の身が竦む。 と、その時。 風を切る音がして、新を掴んでいた大男が声を上げて頭を押さえた。 ごろり、と地面に転がったのはかなりの大きさの石で、大男の頭からは血が出ていた。 「誰だっ!」 痩せ男が血相を変えた。 「どこの下っ端か知らないが、うちの顧客に手を出さないでもらおうか」 建物の影から姿を現したのは、スーツに身を包んだ男だった。 しかし、新に声を掛けて来た男とは、一目見ただけで格が違うと知れる。 「ふざけるな!そっちこそ、部外者は引っ込んでな!」 凄む痩せ男を一瞥もせず、男はつかつかと近付くと、唖然としている大男の手から新を奪い取る。 「なにしやが‥‥‥!」 慌てて新を取り返そうとする大男の腹部にまともに蹴りが入り、数メートル吹っ飛ばされる。 それっきり、大男はぴくりとも動かなくなってしまう。 「き‥‥貴様‥‥‥!」 痩せ男が凄むが、明らかに腰が引けている。 「こいつに関係する借金は、うちが肩代わりする事になった。さっさと帰るんだな」 男が、新を後ろに庇うようにして言った。 「なに‥‥?」 「あぁ、貴様も借金する事があったら、うちから借りるといい、貴様の社よりは余程良心的にやってるからな」 男は、嫌みったらしくポケットティッシュなどを痩せ男に渡す。 反射的にティッシュを受け取ってしまった男は、我に返ったのか、真っ赤になった。 「くそっ、覚えてろよ!」 ひねりのない捨て台詞を残して、痩せ男は逃げるように立ち去った。 馬鹿にしたようにそれを見送っている男を、新は見上げた。 今の隙に逃げるべきだったのかもしれないが、一応助けられたのだ。‥‥‥この相手が、さっきの男よりマシだとは限らないが。 「なに。あんたも借金取り?」 新は、警戒したまま、男を見上げた。 「うん?‥‥まぁ、そんなものだが」 男は、苦笑した。 「黒崎壱哉と言う。お前に用があって来た」 「あ、俺、清水新‥‥‥」 反射的に名乗ってしまったものの、自分に用があると言うなら当然名前など知っているだろうと、新は自己嫌悪に陥る。 そんな新の表情を、壱哉は目を細めて見ている。 突っ張ってはいるが、本当は素直なのであろう新の反応は好ましかった。 「お前の借金は、クロサキファイナンスが肩代わりした。お前の両親の分も一緒にな」 「ふーん。で、あんたは俺に何をさせようっての」 新は、警戒を解かないまま、壱哉を睨み付けた。 金貸しなど、相手が変わっただけで、要求する事は同じではないか。 「実は、お前にある特殊な能力がある事がわかってな。手を貸してもらいたい」 「はぁ?なんだよ、それ?」 新が、うさんくさそうな顔をする。 「詳しい話は、ここではできない。だが、もし引き受けてくれるなら、お前の両親の借金も一緒に帳消しにしよう」 「‥‥‥‥‥‥」 新は、唇を噛んだ。 甘い事を言って、結局この男の目的も、さっきの連中と同じなのではないか。 大体、一度助けられたからと言って、この男がもっとタチの悪い人間でないとは言い切れないだろう。 しかし。 新は、黙って答えを待っている壱哉を見上げた。 何故だろう。 新には、壱哉がそこまで悪い人間だとは思えなかった。 甘いかも知れないが、それでも、壱哉は信じてもいいような気がした。 「‥‥‥親父達の借金、本当になしにしてくれるんだな?」 新の言葉に、壱哉は頷いた。 「あぁ。約束しよう」 「あんたが約束してくれるのはいいけど。あんたの会社はいいって言うのか?」 新の言葉に、その言いたい事を理解した壱哉は、苦笑した。 「代表取締役の俺がいいと言うんだ。後から文句など出ない」 事もなげな言葉を新が理解するまで、しばらくかかった。 「‥‥‥って、あんた、社長?!」 驚きのあまり、声が裏返ってしまった新である。 「あぁ。だから、間違いはない」 「その社長が、なんでこんな所にいるんだよ?しかも、なんでこんなにケンカ慣れしてんだ?!」 新のあまりの驚きように逆に驚きながら、壱哉は口を開いた。 「喧嘩慣れしているかどうかは知らんが。お前に用があると言ったろう」 「‥‥‥‥‥」 すっかり毒気を抜かれてしまった新は、ため息をついた。 「‥‥‥あんたって、変な人だな」 新の言葉に、壱哉は眉を寄せる。 「まぁいいや。いいぜ、どこにでも行ってやる」 覚悟が出来ると、かえって肝が据わるものだ。 真っ直ぐに見据えて来る視線の強さを心地よく感じながら、壱哉は微笑した。 「じゃあ、早速だが一緒に来てもらおう。バイト先と、アパートには話をつけておく」 壱哉が促した先には、いつの間にか、啓一郎の運転するBMWが待っていた。 |
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新登場です。あんまり変わんないですね、新は。壱哉様に助けさせたかったのですが、樋口の話と通しで読むと、壱哉様、グループ総帥のくせに自分で動きすぎです。いや、喧嘩の強い壱哉様が要するに好きなんですが。