出会い
その青年を見掛けたのは、偶然だった。 たまたま会議が予定より早く終わり、次の予定もキャンセルがあった為、時間が空いてしまった。 そこで壱哉は、気晴らしに、啓一郎も連れず、町をぶらついてみる事にしたのだ。 最近、西條側のスパイが多く入り込んでいるとの話だった。 そんな時に一人で出歩く事に啓一郎は眉を顰めたが、壱哉にしてみれば、具体的な妨害活動をされるまでただ待っているのは性に合わない。 無防備な壱哉を見てあぶり出されてくれば手間が省けると言うものだ。 逆に、挑発に乗らず、息を潜めているだけ思慮深い敵だったら、かえって油断出来ない事になるのだ。 この街は、科学技術が高く、数多くの高層ビルが立ち並ぶ割には緑地が多い。 壱哉は、自然環境をかなり復元してある小公園のひとつに足を向けた。 別に、緑や自然が恋しいと思った訳ではなくて、何となく、気紛れだった。 平日の昼間だから、公園にはまだ小さい子どもを連れた母親などがちらほらと見えるだけだった。 と、その中で、ぼんやりと子ども達を見ている背広の姿が目に留まった。 きっちりとした服装をして、サラリーマンのように見えるが、それならどうしてこんな時間にこんな所にいるのだろう? いや、そんな理屈より、壱哉はその青年の横顔に惹き付けられた。 整った顔立ちで、生真面目そうな眼鏡の下の瞳は優しげな色をしていた。 穏やかな、しかしどこか寂しそうな色の垣間見える表情で、青年は遊ぶ子ども達を見ていた。 その横顔は、抱き締めたらどんな表情に変わるのだろう。 何も知らない、純粋にも見えるその表情は、もし、同性に犯されたら、どんな風に歪むのだろう。 少しだけ嗜虐的な衝動に駆られながら、壱哉は青年に近付いた。 「‥‥‥子どもが、好きなのか?」 唐突に掛けられた声に、青年は夢から覚めたような顔で壱哉の方を振り向いた。 「‥‥あぁ。うん、好きだよ。僕にも‥‥あのくらいの子どもがいたから‥‥‥」 その表情からは、子どもを失った悲しみと言うより、何故か深い諦めと後悔とが見て取れた。 「休みになると、何をしていいのかわからなくてね。だから本当は仕事をしている方がいいんだけど、社長の方針らしくって。時々、強制的に休まされちゃうんだよ。でも、結局落ち着かなくて、いつもみたいに出て来ちゃうんだ」 何故こんな時間にこんな所にいるのか、それを説明しているつもりなのだろうか。 しかし、あまり言い訳のように聞こえないのはおっとりした口調のせいかもしれない。 「仕事で気を紛らわせるのもいいかもしれないが。でも、それで過労になって、結局仕事に穴が空くよりマシだろう」 下手をすれば休日まで働いている自分が言うべき言葉ではないな、そう思いながら壱哉は言った。 「‥‥君は、社長と同じような事を言うんだね」 青年が、僅かに笑った。 少し翳りのあるその微笑に、壱哉は僅かに目を見開いた。 気紛れで町を歩いたが、これはとんだ儲けものだったと思う。 「‥‥名前を訊いてもいいか?」 壱哉の言葉に、青年は少し不思議そうな顔をした。 「別に、いいけど。僕は、山口幸雄。しがない平のサラリーマンだよ」 「俺は、黒崎壱哉だ。まぁ‥‥自営業のようなものかな」 壱哉の言葉に、幸雄は驚いたようだった。 「‥‥‥僕の息子も、似たような名前だったんだよ。数字の『一』に、『也』って書いて『かずや』って言うんだ」 「‥‥‥‥‥」 さすがの壱哉もどう言葉を続ければいいのか判らなくて、口籠もる。 「あ、ごめん。変な事を言ってしまって。気にしないでくれていいから」 幸雄は、慌てたように言葉を繋いだ。 と、その時、壱哉の携帯が鳴る。 着信相手を見ると、啓一郎だった。 帰る時間は言ってあるのに呼び出して来たと言う事は、また何か壱哉が手を出さなければならないトラブルが起こったのだろうか。 眉を寄せて、壱哉は携帯をそのまま内ポケットに戻す。 「忙しそうだね。早く行った方がいいんじゃないかな」 幸雄が、穏やかに言った。 「僕、平日はいつも遅くまで仕事をしているから、休日は必ず休めと言われているんだ。‥‥まぁ、どうせ平だから大した仕事もないんだけど。でも、休んでもやる事がないから、いつもここに来てる。もし時間が合うなら、また話したいな」 柔らかな笑顔からは、その本心を読み取る事が出来なかった。 初対面の相手にあっさり心を許してしまったのか、それとも息子と似た名である事が気に入ったのか。 どちらにせよ、壱哉には好都合だった。 「俺も、時間は不定期だからな。都合がつけば、また来よう」 壱哉の言葉に、幸雄は少しだけ、嬉しそうに笑った。 「まさか、うちに直接関係する社員とはな‥‥」 資料をめくり、壱哉は苦笑した。 戻ってから仕事を片付ける傍ら、壱哉は幸雄の身元を簡単に調べさせた。 すると、幸雄が勤めているのは壱哉が直接経営している建設会社の出先営業所だった。 実際、出先ともなれば直接壱哉を目にするのは営業所長くらいなものだし、社長の名前を知っていたとしても、それが直接壱哉には結び付かなかったのだろう。 現在は会社の寮で一人暮らし。 営業所に勤め始めたのは一年程前からで、その前の足取りははっきり掴めていなかった。 「どこから来たのかわからないと言う事はないだろう。そもそも、うちの社だったら、出先とは言え、身元が怪しい奴は採用していないはずだ」 「はあ‥‥‥」 啓一郎は、痛い所を突かれたように目を伏せた。 「書類上は、彼はこの都市の出身で、ずっと職を転々としながら妻と子に死別したとなっています。しかし、裏付けを取ったところ、彼がここに来たのは早くても二年前と思われます」 「‥‥‥‥‥」 「書類関係の偽造は完璧でした。うちのデータベースと調査班の情報網がなかったら、偽造には気付けなかったでしょう」 自分の不明を恥じるように目を伏せる啓一郎に、壱哉は小さく息を吐いた。 「別にお前の落ち度じゃないだろう。それだけ、あの人の腕が良かったと言うだけだ」 「しかし‥‥」 「それにしても、別にスパイと言う雰囲気でもなかったが‥‥」 何らかの意図で壱哉を待ち伏せていたとしたら、大した腕だと思う。 「それもはっきりしていません。彼の周囲を調べましたが、特に怪しい動きをしている気配はありませんでしたし、データの漏洩などの痕跡はありませんでした。第一、妨害活動にせよ、機密の持ち出しにせよ、もっと中央に来なければ成果は上げられないはずです。しかし彼の場合、かなり高い能力を持っていると思われるのですが、極力、目立たないように振る舞っているようです」 啓一郎は、手元の資料に目を落とした。 「その営業所ですが、一年程前から、急に実績が上がり始めました。現在も、親会社並みの大きなプロジェクトを請け負っています。そして、それらの時期は山口幸雄が入社した時期とほぼ一致しています」 「‥‥‥‥‥‥」 「ただ、先程申し上げました通り、彼は極力、表に出るのを避けているようで、取ってきた仕事なども全部上司や同僚の実績に譲っています。おかけで、営業所内での彼の評判は非常に良いものです」 壱哉は、眉を寄せて顎に指を当てた。 「それは‥‥もしかして、何かから逃げる為の偽装か?」 独り言のように壱哉は呟いた。 「現在の情報から得られる推論は、そうだと思われます。他の都市まで手を広げて調べてみなければ、何から逃げているのかはわかりませんが」 「そうだな‥‥‥」 壱哉は、資料から目を上げ、啓一郎を見た。 「別に急がんから、じっくり調べておけ。あの男、気に入った」 「はい‥‥‥」 壱哉の言葉に、啓一郎はため息を飲み込んで頷いた。 |
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まともに幸雄さんを書くのは、もしかして初めてかもしれない‥‥‥(汗)。しかし、良く考えると平日にいい年した背広のサラリーマンが公園で子どもを眺めてるってアヤしい人に間違われそう(爆)。