戦闘準備


 目の前に置かれた、辞書並みに分厚いファイル。
「あの‥‥‥これ、なに?」
 崇文が、ファイルと壱哉をこわごわ見比べる
「Virtuaroidのマニュアルと戦闘における最低限のノウハウだ。訓練に入るまでに頭に叩き込んでおけ」
「これ‥‥‥全部?」
「当然だ。それでも、専門的で難解な知識は極力省いてあるんだぞ」
「うわ‥‥字ばっかり」
 パラパラとめくってみた新は、ページの半分近くが細かい字で埋められているのを見て顔を顰める。
「何を言う。お前達初心者でも読めるように、極力、実戦を想定したCGまでつけて解説してあるんだ。普通のマニュアルだったら、この倍の厚さで全部文字とデータだぞ」
 それはそうかもしれないが、今まで、数字と言えば生活費くらいにしか縁がなかった人間に、これはいきなりキツいと思うのだが。
「あと三日で本格的な訓練に入るからな。それまでに全て覚えておけ。そんなマニュアル片手に操縦なんかできないからな」
「み、三日?!」
 新が言うより先に、崇文が目を剥いた。
「こんな分厚いの、三日間で覚えなきゃなんないのか?!」
「何度言わせる。こっちには時間がないんだ、甘やかしている暇なんかない」
「だ、だってさ‥‥‥」
 崇文は、教師に叱られた子どものような表情になっている。
「‥‥そう言えば、お前、学生時代から暗記は苦手だったな」
 ため息をつく壱哉に、崇文は何度も頷いた。
「うん、うん、そうなんだよ!俺、ああいうの苦手でさ‥‥‥」
「仕方がない。それじゃあ、覚えられるまで食事は抜きだ」
 事もなげに告げられた言葉に、崇文の反応はワンテンポ遅れた。
「えええぇぇーっ!!」
 間近での大声に、思わず新は顔を顰めた。
「うるさいぞ、樋口。お前は特に頭が悪いからな。そのくらいしないと覚えないだろう」
 壱哉の言葉には、僅かな情けもない。
「そ、そんなぁ‥‥‥」
 しょぼんとうなだれてしまった崇文は、新から見ても可愛そうなものだった。
「明日から毎日、夜に一章ずつ軽いテストをする。一問外れるごとに一食抜きだ」
「‥‥‥俺、死ぬかも‥‥‥」
 崇文が、顔の上半分に縦線を引いて、本当に死にそうな声で呟いた。
「五問全部外れたら、次の日は食事抜き、間食も夜食も抜きだな。三日間の断食は辛いだろうなぁ」
 目を細める壱哉は、楽しんでいるとしか思えない。
「シミュレーターは整備しておいた。実戦訓練前だが、身体で覚えるのも一つの手だな」
 まるっきり他人事のような言葉である。
 あからさまに楽しそうな壱哉と、目一杯落ち込んでいる崇文を見ながら深いため息をつく新であった。


 翌日から、二人の苦闘の日々か始まった。
 Virtuaroidの操作自体は、搭載コンピュータが大半の設定を肩代わりしてくれるから、パイロットのやる事がそう多い訳ではない。
 しかし、『動かせる』と言う事と、『戦える』と言う事は別の話だ。
 更に、『適性』の持ち主であろうとも、Virtuaroidでの戦闘は肉体と精神に多少なりとダメージを受ける。
 何をすればダメージが蓄積するのか、Virtuaroidの簡単な作動原理も含め、覚えなければならない事はいくらでもあった。
 渡されたファイルを読むだけでなく、Virtuaroidのコクピットとそっくり同じに作られたシミュレーターで、単純な動きしかしない標的相手に必要な操作を覚える。
 夜、『テスト』を受けるのは崇文だけだったのだが、勿論、新もぼんやりとしてはいられない。
 いい加減な知識で、ビルと同じぐらい巨大な兵器など動かせる訳がない。
 シミュレーターを使ったりするうち、これが、ゲームなどではない、本当に命の危険も伴う『戦闘』なのだと、本当の意味での実感が湧いて来る。
 毎日、五問中二、三問程度は間違えて空腹を抱えている崇文を横目に、新も必死になっていた。
 そして、明日からは本格的な実戦訓練が始まると言う日。
 一通りのシミュレーションを終えた新は、もう一度ファイルに目を通していた。
 完璧、とは言えないまでも、おおよその事は頭に入ったと思う。
 もっとも、実戦になればこんなマニュアルは大して役に立たない。
 実際に戦ってみて、実地で慣れて行くしかないのだろう。
 ファイルを一通り読み終わる頃、新が終わってからもまだ別のシミュレーションをやっていた崇文が、ようやくシミュレーターから出てくる。
 実際にVirtuaroidに搭乗した時と同じように、ダメージによって負荷がかかるシミュレーターは、数本も訓練を行うとふらふらになってしまう。
 それを、『身体で覚える為』とは言え、昼からぶっ続けでシミュレーターに入りっぱなしの崇文の体力には、呆れてしまう程だ。
 さすがに疲れたのか、崇文はよろよろと、新の隣の椅子に座り込んだ。
「大丈夫か?樋口さん」
「あー‥‥‥腹がへった‥‥‥」
 テーブルに突っ伏した崇文に、新は本気で呆れる。
 シミュレーションで疲れているのかと思えば、空腹でフラフラしているのだとは。
 昨日二問外した崇文は、昼とおやつを抜かれている。
 それを思えば不思議はないが、それでも新は呆れてしまった。
「あんなに続けてやるからじゃねえの?」
「んー‥‥でも、がんばんないと明日もメシ抜きになっちゃうから‥‥‥」
 ため息をつく崇文は、本当に食事抜きがこたえているらしい。
「‥‥‥なぁ、樋口さん」
 真剣な新の言葉に、崇文は顔を上げた。
「これってさ。ゲームとかじゃなくて、本当に、『戦争』なんだよな」
「新‥‥‥」
「今はコンピュータ相手だけど、実戦に出たら、人間と戦うんだよな。死ぬかもしれないし、俺が誰かを殺すことだってあるんだよな?」
 遊びではない、本当の意味で命のやりとりをするのだと――それは、今まで、貧しいとは言え、普通に生活してきた人間には重すぎる話だった。
「樋口さんも、借金があるから黒崎さんの言うこと聞かなきゃならないんだろ?でも‥‥こんなの、平気なのか?」
 迷いと怯えに揺れている新の瞳から、崇文は目を逸らした。
「どうでもいい、とか言ったら怒られるかもしれないけど。誰かを傷つけるのは嫌だけど、俺が死ぬのは、別にいいかなとか思うし」
 自棄的にも聞こえる言葉に、新は思わずその顔を見直してしまった。
「あれだけの借金、返すには内臓とか売らなきゃ無理だと思ってたし。それなら、今さら死んだりしても同じだから」
 その口調にも表情にも、悲壮な様子は感じられず、淡々としたものだった。
 しかしそれだけに、かえって、崇文が、何かとてつもなく重い傷を抱えているらしい事が伺えた。
 真剣な新の視線に気付いた崇文は、ばつが悪そうに笑った。
「俺‥‥自分勝手だから。自分のこと以外、何も考えてないんだ」
 そう言う崇文の口調が、とても深い傷を感じさせて、新まで苦しくなる。
 何か言わなければ、そう思っても、何も言葉を思いつかない。
 そんな新に、崇文は、むしろ優しい瞳を向けた。
「でも‥‥新には、きっといろんな目標とかあるんだろ?本当に嫌なんだったら、逃げ出したっていいと思うよ。山口さんに頼めばどうにかしてくれるだろうし。それに多分‥‥俺も、黒崎は追いかけたりしないと思う」
 いたわりすら感じられる表情から、新は思わず目を逸らしてしまった。
 これでは‥‥‥自分ばかりが、後ろ向きで卑怯なように思えてしまうではないか。
 崇文も幸雄もそんなつもりで言っているのではないのは判っているが、ちょっとずるいと思う。
 新は、深いため息をついた。
「いいよ。俺ばっかりが逃げる訳には行かないし。それに、樋口さんみたいに変な人、ほっといたら不安だ」
 新の言葉に、崇文は目をぱちくりとした。
「俺、変?」
「うん。殺し合いとかで死ぬのは平気だって言うくせに、メシ抜かれたくらいで死にそうな顔してるから」
「あ‥‥あはは‥‥‥」
 崇文は頭をかいた。
「俺は、負けるの嫌いだから。戦いとか殺し合いとか嫌だけど、逃げ出すのも嫌だ」
 真っ直ぐな新の視線に、崇文は眩しそうに目を細めた。



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さりげに崇文と新が仲いいです。まぁ、幸雄さんとかと違ってスカウトされた経緯が似てますからね。それにしても、後ろ向きなわんこって書きやすいなぁ(苦笑)。勿論彼らが読んでいるファイルには、某攻略本のよーな事が書いてあると思われます。