夜食


「オムレツが食べたい」
 今日も、この気紛れな主人が言い出した我が儘に、吉岡は苦笑した。
「残念ながら、今日は、昼はNグループ会長との会食、夜はA社社長との会食が入っております。明日の朝食にお作りしますので‥‥‥」
 そう言うと、いたく不満そうな、恨めしげな視線が向けられる。
「‥‥‥オムレツが食べたい」
 まるで拗ねた駄々っ子のような口調になってきた壱哉に、吉岡は小さくため息をついた。
 この様子では、駄目だなどと言ったら要人との会食などキャンセルしかねない。
「‥‥わかりました。では、夜食にお作りします」
 吉岡の答えに、壱哉はまだ不満そうにしながらも、一応納得してくれたらしい。
 そう頻繁な訳ではないが、壱哉の気紛れは唐突で、しかしグループ企業トップと言う忙しさではその願いがすぐに叶えられる事の方が稀だった。
 その度に、吉岡は聞き分けのない子どものような態度を取る壱哉を宥めすかしながら、予定の調整に頭を痛めるのだ。
 しかしそんな態度が、吉岡に対してだけ見せられるものだと思えば、微笑ましくも嬉しい。
 まして、壱哉が唐突に言い出す『我が儘』は、しばらく温泉で休みたいだの、イチゴ狩りに行きたいだの、全部吉岡との時間を過ごす為の事で。
 それを思えば、少しの妥協では納得してくれない頑固な様子も、とても愛しいものに感じられるのだ。
 ―――――――――
 腹の探り合いのような会食では、どんなに豪華な料理を並べられても食べた気になどならない。
 中国のとある大企業社長との提携を首尾良く纏めたものの、壱哉は疲れてしまっているようだった。
 今日は、昼も議員との会食で食べた気などしなかったろうし、その他の時間は視察などでほぼ一日中外だったから、無理もない事かもしれない。
 後部座席で、壱哉はシートに埋まるように身を預けている。
「すみません、少し買い物があるので、寄り道します」
 済まなそうな吉岡の言葉に、壱哉は応えるのも面倒なのか小さく頷いたきりで、シートに沈み込んだままだった。
 その壱哉を車に残し、吉岡は深夜まで営業しているショッピングセンターで手早く買い物を済ませる。
 実は、少し前も『オムレツ』と言われたので、その時に使ってしまってチーズが切れていたのだ。
 幼い頃の記憶に残っている味を求めているせいか、中に入れるチーズはスーパーの安物でないと駄目らしい。
 以前、たまたまあった上質のチーズを入れて作ったら、『これは美味いが、あの味じゃない』と作り直させられてしまった。
 だから吉岡は、いつもの、安い銘柄のチーズを買って来た、と言う訳だ。
 疲れているらしく無口な壱哉に胸を痛めつつ、吉岡はマンションへと帰った。
「オムレツ‥‥‥」
 家に帰り着いての壱哉の第一声がこれだった。
 余程食べたかったのだろうか、と吉岡は苦笑する。
「はい、すぐにお作りします」
 吉岡は、壱哉をリビングに残し、素早く用意を始める。
 オムレツを作るだけなのだから、殆ど時間はかからない。
 念のため、小分けにして冷凍して置いたご飯を少しだけ電子レンジで温める。
 出来立てのオムレツを皿に乗せ、吉岡はテーブルに並べた。
 それから、皿の前に箸を置く。
 やはり昔の思い出が強いのだろう、壱哉はこのオムレツを食べる時だけは、箸を使いたがるのだ。
「できましたよ、壱哉様」
 呼ぶと、壱哉は子どものように嬉しそうな顔をした。
「飯は?」
 これも昔の思い出のせいだろう、壱哉はこのオムレツをご飯と食べたがる。
「夜にあまり食べ過ぎては、身体に良くありませんよ」
 一応、そう言うと、壱哉はすこし悪戯っぽい顔になる。
「要するに、寝るまでに消耗すればいいんだろう?」
 意味ありげな笑みに、言いたい事の見当が付いてしまった吉岡は僅かに赤くなる。
 その反応を見て、壱哉は声を上げて笑った。
 今日初めて、そんな笑顔になった壱哉に、吉岡はホッとした。
 グループ企業のトップとして、もっと上を目指して行く事は、壱哉自身が選び取った道だ。
 しかし、毎日忙しくて、気の休まる時などあまりない壱哉を見ると、とても心配になる。
 こんな小さな事ででも、壱哉の気が紛れるならば、嬉しかった。
「‥‥負けましたよ」
 苦笑して、吉岡は暖めて置いたご飯を茶碗によそう。
「お前だって、食べておけよ?お前の方が腹を減らしてもたなかったら面白くない」
「はぁ‥‥あ、いえ、それは‥‥‥」
 どう反応すればいいのか判らなくて、吉岡は困ってしまう。
 箸を手に、壱哉は面白くてたまらない様子で笑っている。
 ようやく、笑いが治まると、今度は嬉しそうに、オムレツに箸を伸ばした。
 あの時と、同じオムレツ。
 でも、それを食べる壱哉も、見守る吉岡も、あの時とは違う。
 互いに伸ばした手がやっと触れ合って、今はこうして共にいる。
 仕事でも、私生活でも。
 自分の命より大切な人にぴったりと寄り添っていられる自分は、とても幸せ者だと、吉岡は思った。

END

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‥‥‥あからさまにやっつけ仕事です。はい。でもまぁ、オムレツ話はお約束なので。個人的に、昔、秘書が入れたチーズって○ロセスチーズだと思ったんですが。庶民的すぎ?綾子さんって育ち良さそうだし金にも困ってなかったろうから実は高級なチーズだったんだろうか。でも、○ロセスチーズ好きなんですよう。
秘書祭りではまともに秘書書いてるんですが、表ページに秘書色がないのはどーよ?!と思ったので無理矢理書いてみたり。
一応、攻め秘書のつもりなんですが‥‥進むにつれてどんどん受け受けしくなって行くのはなんでだろう(涙)。