大切な人

 行為の後で気怠い体を起こそうとした山口は、まだ壱哉が胸の辺りに頭を預け、しっかり抱き締めているのに気付く。
「ほら、黒崎君。いいかげん、起きなきゃ」
「ん‥‥まだ、もう少し‥‥‥」
 壱哉は、甘えるように山口に抱きついたまま、首を振る。
 黒髪が素肌を擦り、山口はくすぐったさに身を捩りたくなるのを堪える。
「まったく‥‥‥」
 苦笑して、山口は壱哉の頭を優しく撫でる。
 ずっと忙しかったせいか、こんな風に体を重ねたのは随分久しぶりだった。
 家では一也がいるから、こんな時はホテルに行ったりしていたのだが、最近はその間も惜しいように、壱哉は何とか時間が取れるとこの部屋で構わず求めて来るようになった。
 初めて求められた時は、社長の執務室でこんな事をするのは非常に抵抗があったのだが。
 何となくここでするのにも慣れてしまったのは、ちょっとまずいような気がしないでもない。
 しなやかな髪の感触を心地良く感じながら、山口は壱哉を見下ろした。
 素肌に頬を擦り付けるようにして目を閉じている壱哉の表情は、どこか、一也が甘えて来る時の顔に重なる。
『いいかげん、息子から恋人に昇格させてくれてもいいだろう』
 壱哉はよくそう言うが、壱哉が寄せてくれる気持ちの中には父親に抱く感情も含まれているのは確かだと思う。
 仕事が忙しい中、何とか時間を捻り出して肌を合わせると、壱哉は中々山口から離れようとしない。
 それは、弟が出来た子どもが、親を独占したくて我が儘を言うのと同じなのではないだろうか。
 勿論、もう大人になっている壱哉は、家では一也の『良き兄』として面倒を見てくれている。
 けれど、逆にそれは家では『恋人』らしき事は一切しないと言う事でもあって。
 山口の意向を汲んで、壱哉は、肌を合わせるのはホテル(最近では社長室)に限定してくれていた。
 本当は愛情を独り占めしたいけれど、もう大人になっているからそんな無意識の感情を理性が抑えているのではないか。
 父親に甘えて、時々我が儘を言ったり悪戯などもして、弟に妬きもちを焼きながらも優しく面倒を見て。
 そんな風に、子どもが親と過ごす時間の一つ一つを、壱哉は今ゆっくりと経験しているのかもしれない。
―――そして、僕も‥‥かな。
 壱哉の顔を眺めながら、山口は胸の内で呟く。
 一也が生まれた頃、山口は百合子に育児を全て押し付け、仕事に明け暮れていた。
 休日は一也といてやろうと思っていたのだが、つい仕事を入れてしまったりして中々出来なかった。
 百合子を失い、山口がようやく、家族の為に時間を取るようになった時には、一也はキャッチボールも出来ない身体になってしまっていた。
 そして、我慢する事ばかりを覚えてしまった一也は、同じ年頃の子とは違い、殆ど我が儘を言わない『出来た』子どもになっていた。
 子どもの他愛ない我が儘に呆れたり、罪のない悪戯に振り回されたり。
 そんな、ごく普通の事すら、山口は経験出来なくなっていた。
 しかし。
 壱哉とこんな関係を結ぶようになって、全てが変わった。
 健康になった一也は、無邪気でやんちゃな子どもの顔を取り戻した。
 一也と壱哉、よく出来た二人の子ども達のする事に感心したり呆れたり、そんな他愛ない気持ちを感じる事の出来る日々がとても嬉しくて、幸せだった。
 自分もまた、父親として過ごすべきだった道を、今、ゆっくりと歩いているのだと思う。
 まぁ、壱哉の場合、色々と経験した大人だから、その『悪戯』はシャレにならないものも多いのがちょっと困りものなのだが。
 苦笑した山口は、壱哉に気付かれないように小さなため息をついた。
 壱哉は、理想の父親像を山口に重ねている。
 けれど本当の自分は‥‥妻を失うまで、父親としての役目を放棄していた。
 仕事を口実に、子どもの事を強いて気にかけなかった。
 今の山口しか知らない壱哉は、子どもの為にどんな苦労も厭わない父親として彼を見ている。
 自分を省みなかった父と比べて、これが本当の『父親』なのだと、壱哉がそう思っているのを感じると、時折、居心地の悪い罪悪感に囚われる。
 本当の自分は、そんなに素晴らしい父親ではないのだと、そう言わなければならないと思っていた。
 彼の『父親』として、隠し事をしていてはいけないと思った。
 それなのに、まだ山口は壱哉に言えないでいた。
 真実を告げて、壱哉を失望させたくなかった。
 いや‥‥それによって壱哉に嫌われるのが怖かった。
 壱哉に嫌われたくないと思うのは、彼に対する気持ちの中に父性愛ばかりではない、別の感情があるからなのだろう‥‥。
「‥‥幸雄さん?」
 声を掛けられて気付くと、壱哉が、少し心配そうな顔で見上げて来ていた。
「別に、なんでもないよ。黒崎君、本当に、そろそろ起きないと」
 何もないように笑って見せる。
「‥‥‥そうだな‥‥‥一也も、待ってるしな」
 渋々、と言った様子で壱哉がやっと山口から離れる。
「素直ないい子に、ご褒美だ」
 小さく笑った山口は、壱哉にそっと触れるだけのキスをする。
 山口の方からこんな事をして来るのは本当に珍しくて、壱哉は目を見張る。
 しかし、山口がそんな顔をしたのはほんの僅かな時間だった。
 壱哉の下からするりと抜け出して、身支度を始める山口に、壱哉は小さなため息をついて自分も身支度を整えた。
 やや汗ばんだ体に少し居心地の悪い気持ちを感じながら、山口と壱哉はロビーに下りる。
「‥‥‥じゃあ、車を回してくるから」
「うん、ここで待っているよ」
 山口は、歩いて行く壱哉を見送った。
 今のプロジェクトが一段落したら、一也と一緒に、吉岡も誘って小旅行に行こうと話し合っていた。
 その時に‥‥‥言おうと思う。
 本当の自分は、壱哉が思っているような立派な『父親』ではなかったのだと言う事を。
 そしてもし、それでも壱哉が山口を好きだと言ってくれるなら。
 けじめをつける意味でも、はっきりと告げておきたい。
 山口の中で、壱哉はとっくに、一生、共に歩いて行きたい『大切な人』になっていたのだと言う事を。
「‥‥そのためにも、プロジェクト、上手く進めなきゃね」
 とてもやり甲斐のある仕事、そして良く出来た息子達に、少し我が儘だけれど優しくて繊細な恋人。
 本当に自分は幸せ者だ、と、山口は改めて心の中で呟いた。

END

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ドラマCD・山口編で、いきなり社長室でコトに及ぶのに度肝を抜かれたのですが(しかも、山口から「ここでいい」と言うとは思わなかった)。
壱哉の、「もう少し、あなたを独占していたい」のセリフにクラクラしました。かわいー♪で、それを聞きながら何となく書いてみたのでいつになく短いです。まぁ、今まで山口絡みの話は一本しかupしてませんでしたし(その上あれは一也の話だった)、丁度いいかな、と。
て○○うプレイにも衝撃を受けたので(笑)、その辺りもそのうち書いてみたいです(更に気になるのは、壱哉の「診察台もいいが‥‥」のセリフ。もしかして、診察室借り切ってヤっちゃったりしたんだろうか。気になる‥‥)。