特別な日
今日は、トクベツな日。 ボクにとっては、とても、とても大切な日―――。 六月の第三日曜日。 いつの間にやら定着してしまったこの日は、花が割と売れる日でもあった。 若い母親に洒落た花籠を作ったり、母親のおつかいで来たらしい子供に、小さくて可愛い花束を渡したり。 おかげで樋口は、朝から結構忙しく過ごしていた。 昼を大分過ぎた頃、やっと一段落した樋口は、息をついて店の椅子に腰を下ろした。 今日は、かなり売れ行きが良かった気がする。 普段は花などあまり縁のない人でも、こんな小さなきっかけでいいから、花を飾る楽しさを知ってくれれば嬉しいと思う。 今日はいつになく忙しくて朝食も昼食もろくに食べていなかったけれど、それでも樋口は満足していた。 「さて、と‥‥‥」 大きく息をついた樋口は、勢いをつけて立ち上がった。 比較的安くて手軽に持ち運べるミニブーケの売れ行きが良くて、朝作ったものは殆ど売れてしまった。 これから夕方にかけて、あまり時間のない人にも買ってもらえるように、纏まった数を作っておこうか――そんな事を考えて、ケースにある切花を眺めていた時。 「あの‥‥‥」 おずおずと入って来た小さな影に、樋口は振り返った。 ちょっと大人びていて利発そうなその子供に、樋口は見覚えがあった。 毎月、同じ日に花を買って行ってくれる男性の子どもだ。 何かの時に、その日は奥さんの月命日だと聞いた覚えがある。この前は、母の日に、この子と一緒に墓参りに行く、と花束を買って行ってくれた。 確か、一也と呼ばれていた気がする。 「いらっしゃい。えぇと、一也くん‥‥だっけ?お父さんにあげるの?」 樋口の言葉に、一也はこくりと頷いた。 「今日は、『父の日』だから。父の日って、お父さんにかんしゃする日なんだよね?」 「うん‥‥そうだよ」 見上げて来る真っ直ぐな瞳を眩しく感じつつ、樋口は頷いた。 「お父さん、ぼくが病気だからいろいろ苦労してるんだ。ぼくにできることなんかないけど、でも、お父さん、お母さんみたいに花が好きだから‥‥‥」 「病気って‥‥出歩いてていいの?今、お父さんは?」 「うん、きのう病院に行ったばっかりだからだいじょうぶ。お父さんは今、ねてる。毎日おそくまではたらいてて、つかれてるんだと思う」 「そっか‥‥」 「でも、あんまりおかねがなくて‥‥」 躊躇いがちに開いて見せられた手のひらには、五百円玉と、何枚かの硬貨が乗っていた。 この金額なら、ミニブーケくらいは買える。 しかし、それだけではちょっと寂しいと思った。 小さい体で、父親の為に一人で買い物に来たこの子の気持ちを思うと、精一杯の事をしてあげたいと思う。 「大丈夫、それで充分だよ」 「ほんとう?」 一也は、はにかんだような笑顔になった。 「ああ、本当だよ。どんな花がいいのかな?」 ケースの中の花と、薔薇園にある花を頭の中で組み合わせながら、樋口は訊いてみた。 「白い花。お父さん、白が好きだから」 「白‥‥か」 生真面目なサラリーマン風だった若い父親の姿を思い出した樋口は、白が好きだと言うのに納得した。 けれど、花束として白ばかり、と言うのはやっぱり寂しい気がする。 きっと、互いを深く思い合っているのであろうこの親子に、もっと暖かい色をプレゼントしたいと思った。 「それじゃあ、ちょっとここに座って店番しててくれないかな。今から、花束つくるから」 「うん!」 低い椅子を引っ張り出すと、一哉は嬉しそうに跳び乗った。 足をぶらぶらさせながら店内を見回している一也を微笑ましく思いながら、樋口は店の裏口から薔薇園に向かう。 目ぼしい薔薇は今朝早く店と出荷分とに振り分けてしまったが、それでも全部ではない。 可憐に咲き誇る薔薇をいくつか、彩りを考えながら切って行く。 店に戻ると、樋口を見た一也が驚いた顔をする。 「すごいや、そんなにいっぱい!‥‥でも、バラって高いんでしょ?」 値段を気にしているらしい言葉に、樋口は苦笑した。 「この薔薇は、いいんだよ。一人で買いに来てくれた一也くんと、働き者のお父さんに俺からプレゼント。今日は『父の日』だからな」 「あ、ありがとう!」 満面の笑みを向けられ、樋口は照れた。 薔薇の出荷を商売にしているのだから、薔薇には不自由していないのに、こんなに喜ばれるとかえって困ってしまう。 「いや‥‥いつも、花買ってもらってるし。それに、この薔薇も、花が好きな人の所に行くのは喜ぶと思うよ」 照れ隠しのように言いながら、樋口はケースの中の花も合わせて花束を作って行く。 淡く緑の混じった大輪の白い薔薇を中心に、淡いオレンジや黄色の小さい薔薇を組み合わせ、アルストロメリアやかすみ草を添える。 子どもの手には少し大き目の花束は、とても暖かい彩りに仕上がったと思う。 可愛いラッピングと二重にしたリボンを掛けて、樋口は一也の前にしゃがみこんだ。 「はい、できたよ」 「うわぁ、ありがとう。すごいや!」 笑顔になった一也は、椅子から滑り降りると、ポケットから、貯めていたのであろう小銭を取り出した。 「いくらですか?」 大人びた口調に笑いそうになるのを堪えつつ、樋口は小さな手のひらから硬貨を一枚つまんだ。 「五百円になります。消費税はおまけするよ」 「え?!でも、こんなに大きな花束なのに‥‥‥」 「いいから。早く、お父さんに持って行って、驚かせてあげなよ」 樋口の、暖かな太陽のような笑顔に、一也はそれ以上色々言うのが悪いような気持ちになって来る。 頷いた一也は、そっと、細心の注意を払って花束を受け取った。 「ありがとう、おにいちゃん!」 ぺこり、とひとつ頭を下げて、一也は店を出て行った。 「気をつけてね!」 ちょっと心配で、店の外まで出て声を掛けると、足を止めた一也は振り返って、嬉しそうに手を振った。 店に戻った樋口は、大きく息を吐き出した。胸の中が、とても暖かくなっている気がする。 あんな姿を見ていると、やっぱり、花屋を開いていて良かったと思う。 ここから花を買って行ってくれた人が、少しでも喜んでくれたなら嬉しい。 だから自分は花屋を続けたいし、ずっと愛されるような素晴らしい花をつくりたいのだ。 樋口は、改めてそう、心の中に呟いた。 ボクには少し大きい花束をもって、家にかえるまでの道は、ちょっと遠かった。 でも、だいじょうぶ。がんばれる。この、きれいな花が元気をくれるような気がするから。 花屋のおにいちゃんが、店の外まで出て声をかけてくれたとき、体がとてもあたたかくなったようなかんじだった。 この、大きな花束は、おにいちゃんが『さーびす』してくれたんだと思う。だって、五百円で買えるのは、店にならんでいたもっと小さな花束のねだんだったんだ。 やさしいおにいちゃんでよかった。 ボクと、花屋のおにいちゃんからだ、っていったら、お父さんはなんていうだろう? ちょっと、どきどきする。 はやくもってかえって、お父さんにみせてあげよう。 |
END |
父の日記念。柄にもなくほのぼのを目指してみました(笑)。『父の日』のブーケとかを小さな花屋の店先で見掛けて、ふっと思いつきました。
日ごろ書いてない山口を書こうと思ったのに、昼寝をしているだけで出番がありませんでした。しくしく。
本当は一也が主役のはずだったんですが、気付けばどー見ても樋口の話になってしまった‥‥‥なんでだ(汗)。
最初と最後に一也を主役で書きたいんだよー、と悪あがきしてるのが見えます。ショタ好きなので、ついつい一也の口調がお子様に偏ってしまってるし。難しいなぁ。