ゆうやけこやけ


「なぁ。あさっての日曜日、忙しいか?」
 学校からの帰り道、樋口が言いづらそうにそう口にした時、壱哉はドキリとした。
 今度の日曜は丁度西條が来る日で、壱哉は図書館にでも行って時間を潰そうと思っていた。
 樋口はそんな事情までは知らないはずなのだが、それでも、まるで心を読まれてしまったような気がして落ち着かない。
 そんな内心は顔に出てしまっていたのか、樋口の表情が曇る。
「ご‥‥ごめん。やっぱ忙しいよな。俺とかと違うか‥‥‥」
 赤くなって目を伏せる樋口に、壱哉は酷く悪い事をしてしまったような気がする。
「いや‥‥特に予定はない。家に‥来客があるから、でかけようと思っていたんだ」
「え、黒崎のところも?」
 少し驚いたように樋口が顔を上げた。
「?」
 壱哉の所『も』と言う事は、樋口の家もそうなのか。
「ほら、俺のオヤジ、園芸家だって言ったろ?今度の日曜、ディーラーの人が来るんだって」
 樋口は、面白くなさそうな顔で言った。
「いつもは俺が学校に行ってる間に来てたんだけど。今回は向こうの都合で日曜に来るんだ。子どもがうろちょろしてると邪魔なんだってさ」
 樋口は、小さくため息をついた。
「遊びに行くのも一人じゃつまんないし。だから、どうせなら黒崎と一緒がいいなと思ったんだけど‥‥でも、黒崎、勉強とかで忙しいもんな。ごめん、忘れてくれよ」
 無理に笑っているような樋口の様子に、壱哉は何故か胸苦しくなった。
 家にいられない淋しさは、壱哉には痛い程判る。
 まして壱哉とは違い、父親とも仲がいいらしい樋口なら尚の事だろう。
 壱哉は、小さく苦笑した。
「でかけるつもりだったと言っただろう。どうせ暇だからな、つきあうよ」
 壱哉の言葉に、樋口は驚いたように顔を上げた。
「い‥いいのか?」
「お前から誘ったんじゃないか」
「それは、そうだけどさ」
 樋口は、照れたような、しかしとても嬉しそうな笑顔になった。
「うん‥‥ありがとう」
 樋口が頬を赤らめた時、丁度、いつも二人が別れる曲がり角に差し掛かった。
「あ‥‥じゃあ、あさって。んと‥‥公園の時計塔に九時じゃ早いかな」
「いや。わかった」
 壱哉は小さく頷いた。
「‥‥‥それじゃ、あさって、な」
 はにかんだような樋口の笑顔が、何故かとても眩しく見えた。


 日曜日。
 壱哉は、約束より三十分以上早い時間に公園に来た。
 しかし、時計塔の前にはもう樋口の姿があった。
 妙にそわそわしている樋口は、ジーンズにTシャツ、その上に茶色のチェックのシャツと言ういでたちだった。
 学校で大き目の学生服を着ている時は酷く子どもっぽく見えたが、こうして私服だと、ちゃんと中学生の男の子に見えて不思議だった。
「おはよう、樋口。待ったのか?」
 壱哉が声をかけると、樋口は飛び上がるように振り返った。
 何もそんなに驚く事はないのに、と壱哉はおかしくなる。
「いや‥‥今来たとこだから」
 照れたように言う樋口はとても嬉しそうだった。
 しかし、樋口は三十分以上早く来た壱哉よりも早く来ていた訳で。
 もしかすると、約束の時間より一時間以上前からここで待っていたのではないか、壱哉はそんな気がした。
「なぁ黒崎、朝飯食った?」
 少し上目遣いに訊いて来る樋口に、壱哉は首を振った。
 朝から、西條が来る期待にとても嬉しそうで落ち着かない母を見ているのが嫌で、朝食も食べずに家を飛び出して来たのだ。
「そっか。俺もまだなんだよ。どっかで少しなんか食べる?」
「あぁ。いいな」
 微笑して、壱哉は樋口と連れ立って商店街の方へ歩き出した。
 ―――――――――
 ファーストフード店でゆっくり腹ごしらえを終える頃には、十時を回り、店が開く時間になっていた。
 その後行ったゲームセンターでは、ガンシューティングなど初めてのゲームでもかなりの高得点を挙げる壱哉とは対照的に、樋口は反射神経はいいのに判断ミスが多くてすぐゲームオーバーになってしまったりした。
 昼になって、セットメニュー二人分を平らげてから三時間程度しか経っていないのに、馴染みの食堂で大盛りの定食を嬉しそうに頬張る樋口に壱哉はちょっと呆れた顔をした。
 それから二人は、川原の堤防の上に座って何となく話をして過ごした。
 列車で二つ向こうの駅まで行けば遊園地や水族館などもある。しかし壱哉は、樋口が大した小遣いをもらっていないのを知っていたから、あまり金のかかる場所に連れて行くのは気が引けたのだ。
 いつも学校で話はしているのだが、こうして休日に私服で会うと、何か特別な気がして、他愛のない話をしているだけで時間が過ぎて行く。
 日が傾き、川を渡る風が少し涼しくなって来た頃、二人は待ち合わせ場所だった公園に戻った。
 しかし、どうもこのまま別れ難くて、二人はブランコの所で何となく話を続ける。
 そのうち、西の空が夕焼け色に染まり始めると、ようやく樋口は思い切ったようにブランコから立ち上がった。
「今日は‥‥つきあってくれて、ありがとな。すっごく楽しかった」
 何を照れているのか、やや頬を赤らめた樋口が言った。
「いや‥‥俺も久しぶりに楽しかった」
 こんな風に、将来の事や面白くない事を全て忘れて遊ぶのは、随分久しぶりな気がした。
 今日は西條が来る日だったから家から出されたが、普段は遊びに行く事など殆ど出来なかった。
 箱入り育ちの母は家の中で静かに過ごすのが一番好きだったから、壱哉が出歩くのを好まなかった。
 家で勉強をしたり、話し相手になる事で母が安心していられるのなら、と壱哉も学校行事以外ではあまり外には出なかった。
 それに、友人と言えば樋口くらいのものだから、一緒に遊ぶと言う事もなかったのだ。
「休日に外で遊ぶなんて事はなかったからな‥‥」
 独り言のように呟く壱哉に、樋口は表情を曇らせた。
 こんな時の壱哉は、いつも、とても寂しそうに見えるのだ。
 と‥‥丁度その時、身じろぎした壱哉を夕日の逆光が包み込んだ。
 真っ赤な眩しい光に包まれ、樋口は一瞬、壱哉がその光の中に消えて行ってしまいそうな錯覚を起こした。
「黒崎っ!」
 樋口は、思わず壱哉の身体を抱き締めてしまっていた。
 壱哉がどこにも行かないように。壱哉が目の前から消えてしまわないように‥‥。
「おい、樋口?」
 戸惑ったような壱哉の声に、樋口は我に返った。
「あ‥‥ご、ごめん!」
 慌てて壱哉から離れた樋口は、耳まで真っ赤になっていた。
「なんか‥‥黒崎が、そのまま消えていっちゃいそうに見えて‥‥」
「?」
 怪訝そうな壱哉に、樋口は更に慌てる。
「あっ、て言うか、その‥‥俺、なに言ってんだろ」
 真っ赤なままの樋口は、居たたまれないように目を伏せてしまう。
「消えていく、か‥‥‥」
「ご、ごめ‥‥‥」
 悪い事を言って怒らせてしまったと思って、こわごわと目を上げた樋口は、儚げにすら見える寂しげな横顔に息を飲んだ。
「もし、俺がいなくなっても‥‥気にする奴なんか、いないんだろうな‥‥‥」
 壱哉の存在など、ただの『物』としか認識していない西條。壱哉が消えたとしても、全く気に留める事などないだろう。
 母は少しは悲しむかも知れないが、きっとすぐに忘れてしまうのではないか。あの人は‥‥自分に都合の悪い事は、綺麗に忘れてしまえる人だから。
 思わず口を突いて出た独り言に、樋口の顔が泣きそうに歪んだ。
「そんなこと‥‥言うなよ」
 僅かに震えている声に、壱哉は驚いて視線を戻した。
「黒崎がいなくなったら、俺は嫌だ。なあ‥‥突然消えちゃったりなんか、しないよな?」
 きゅっ、と壱哉の袖を握り締め、樋口は今にも泣き出しそうな顔で見上げた。
 心の底から案じてくれている表情に、壱哉の胸が大きな鼓動を打った。
 自分を、本当に見ていてくれる瞳が嬉しくて、そして思いつくままに口走ってしまった言葉が、樋口を悲しませてしまった事が悔やまれた。
「‥‥悪かった。冗談だ、本気にするな」
 浮かべて見せた笑顔は、いつもと同じように作れただろうか。
「それなら‥‥いいけど」
 樋口は、自分が壱哉の袖を握り締めていた事に気付いて、慌てて手を離した。
「最後に、嫌な思いにさせてしまったな」
 労わるような壱哉の言葉に、樋口は首を振った。
「そんなことない!俺、本当に楽しかったし‥‥それに、こうやって休みの日に黒崎と会うの初めてだったから、ものすごく嬉しかった」
 樋口の言葉に、壱哉は淡く笑った。
 少しだけ照れたような、そして嬉しそうな笑みに、樋口は目を奪われた。
 綺麗だ、と素直に思った。
 凛として、強くて綺麗で‥‥でも、どこか脆い硝子細工を思わせるような笑みだった。
 自分がこんな事を思うのはおこがましいのだろうけれど、それでも、壱哉がこうして笑ってくれるように、何かしたいと思った。
「なぁ‥‥また今度、休みの日に都合が合ったら、こうやって一緒に遊ぼうぜ」
 気付けば、樋口はそう言っていた。
「樋口‥‥‥」
 壱哉は、少し驚いたように目を見開いた。
「な‥‥?」
 重ねて言われ、壱哉は言葉を飲んだ。
 壱哉は、普段は母に止められるから休日に遊びに行ったりは出来ない。
 樋口も、いつもの休日は親の手伝いをさせられていて、遊びに行っている暇がないといつもこぼしていた。
 そして、卒業してしまえばきっと、会う事などなくなってしまう。
 だから、こんな機会がまた来るとは思えない。
 壱哉は、出来ない約束を無責任にするのは嫌いだった。
 しかし。
「そうだな‥‥。また遊べるといいな」
 どこか縋るような樋口の瞳を見た時、壱哉は自然にそう言っていた。
 壱哉が言った途端、樋口の顔が何とも言えない笑みに変わった。
 その笑みを見た壱哉は、じんわりと胸が温かくなった気がした。
 不思議に心地良い胸の高鳴りを感じながら、壱哉は樋口を見詰めた。
「な、なに‥‥?」
 まじまじと見詰められ、樋口は戸惑ったように赤くなった。
「‥‥いや。本当に、今日は楽しかった」
 真っ赤な夕空は、ゆっくりと青紫色へと変わり始めていた。
「結構遅くなったな。お前も、あんまり遅くなるのはまずいだろう」
 空を見上げた壱哉の言葉に、樋口も慌てたように時計を見た。
「あ、ほんとだ!」
「‥‥また、『今度』もあるんだからな」
 小さく付け加えられた言葉に、樋口の動きが止まる。
 しかし壱哉は、何事もなかったような表情で数歩、樋口から離れる。
「じゃあな、樋口」
「あ‥‥うん、また明日!」
 小さな子どものように手を振る樋口に苦笑した壱哉は、軽く手を上げて背を向けた。
 樋口は、いつものように、壱哉の姿が見えなくなるまで、ずっと見詰め続けていた。
『また、『今度』もあるんだからな』
 これから、受験などに追われるようになったら、きっとそんな時間など取れなくなってしまうだろう。
 けれど、壱哉がそう言ってくれた優しさが、樋口の胸の中に暖かく広がった。
「また、今度な‥‥黒崎」
 樋口は、もう見えなくなってしまった後姿に、そっと呟いた。


END

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ナツミ様から頂いたリクは「校舎でH」かこっちかどちらでも、との事だったのですが、「休日に壱哉を遊びに誘うちゅうひぐ」はともかく、「ふとした瞬間に何故かときめく二人」とゆーのは、リクでもない限りぜっっったいに書かないだろうなと思ったので、こっちも書いてみました。それにしても、相変わらずうまいタイトルが思いつかないです(泣)。
しかし。多分ナツミ様は、もっといちゃらぶっぽいものをイメージなさっていたと思いますし、私もそのつもりで書いていたのに‥‥何故こんなに湿っぽい話になってしまったんだ?!しかも、「ときめく」と言うお題がまるっきり入ってないし。おかしい。それにしても、こんな会話を交わしていて、十年後鬼畜ED迎えたりしたらイタいですよねぇ‥‥(←他人事かい)。
ものすごーくどんよりした(笑)ラストになってしまいましたが、こんなんでもよろしければお持ちください。