Merry Christmas!


 街の中に、赤や緑や、とりどりの色と光が溢れる日。
 子どもも大人も、訳なく浮ついた気持ちになってしまう、クリスマスイブ。
 ここでも例外なく、家の中はいつにも増して賑やかな雰囲気だった。
「吉岡さんは遅くなるって言ってたから、俺達だけで用意しないとな。一也、手伝ってくれよ」
「うん、ボク、うでによりをかけてつくるから!」
 一也が、新に胸を張って見せる。
 そんな二人に、今日は早めに帰って来た山口が嬉しそうに目を細める。
「七面鳥は、吉岡さんにレシピ教えてもらったから何とかなるとして‥‥ケーキとか、人手、足りないんだよな‥‥‥」
 新が小さく呟いた独り言を耳聡く聞きつけ、一也の表情が僅かに曇る。
「‥‥樋口君も、間に合えば良かったのにね‥‥‥」
 山口のため息に、自分の失言を悟った新が、ばつの悪そうな顔をする。
「まぁ、それだけ樋口君の薔薇が、たくさんの人に愛されてるって証拠なんだから。それに、こうして記念の最新作を置いていってくれたんだしね」
 山口は、傍らの花瓶に、溢れんばかりに生けられた薔薇を見やった。
 明るい黄色に鮮やかなオレンジのグラデーションが入るその薔薇は、今日、とあるイベント会場で最優秀賞を受賞している最新作だった。
 一本の茎にたくさんの花をつけるスプレー咲きとは思えない花の大きさで、まるで、たくさんのキャンドルを灯した燭台のように辺りを明るくしてくれていた。
 『大切な家族』と花言葉をつけると言っていたその薔薇は、樋口が、この家での生活を初めてから作り始めたものだった。
 血は繋がっていなくても、行事の時にはこの家に集まってくる『家族』をイメージしたのだと、見た瞬間にすぐに判った。
 その薔薇の受賞でクリスマスイブにこの家にいられなかったのだから皮肉と言えば皮肉だが、授賞式が終わったらすぐに戻ると言っていた。
 西の方で夜まで行われるイベントだから、どんなに急いでもこのイブには間に合わないけれど。
「まぁ、明日になったら帰ってくるんだし。今日は、僕も頑張って手伝うよ」
 そのために早く帰って来たんだしね、と笑う山口に、新は苦笑した。
 生真面目な山口がそんな事をする訳はないが、多分、早くは帰れそうにない壱哉と吉岡が気を利かせたのだろう。
「じゃあ、山口さん、一也とケーキお任せしていいですか」
「あぁ、一応初めてじゃないから、多分大丈夫だと思うよ」
 腕まくりをして用意を始める山口は、口で言うよりは料理は上手い。
 以前は時間がなくて簡単なものが多かったようだが、それでも一也の食事はバランスが偏らないように苦心していた。
 こうして時間を掛けて作れれば、自分より上手いのではないかと新は思う。
「さぁ、時間もないんだし。頑張ろう」
 山口の言葉に、新と、一也は頷いた。
 大の男が三人、食べ盛りが二人となれば、食事の量はかなりのものだ。
 まして、料理は全然ダメなくせに口が肥えていて、市販の出来合のものでは納得しない我が儘な人間がいるのだ。
 必然的に、こんな日には大量の食事を手作りする事になる。
 夜までの忙しさを思って、新は小さくため息をついた。
 でも、それが何となく楽しいのも確かで。
―――これが、『大切な家族』なんだよな、樋口さん。
 新は、暖かく咲き誇る薔薇に向けて心の中で呟いた。


「‥‥今頃、始まってるのかなぁ」
 授賞式を終え、関係者の通用口から会場の外に出た樋口は、ため息をついて空を仰いだ。
 もうすっかり暗くなった空には、満天の‥‥とは行かないけれど、かなりの数の星が瞬いていた。
 この都会でこれだけの星が見られるのは、かなり珍しいのではないか。
 なんだか、空もクリスマスイブに合わせてくれているようにも思える。
 夜空を見上げながら吐く息が白い。
 今日は酷く冷え込んでいたけれど、そのおかげで空気が澄んで、この星空を見られたなら悪くはない気がした。
 あの暖かい家でも、同じ星空は見えているのだろうか。
 こんな日に仕事を入れてしまった事に、多少なりと心が痛む。
 授賞式なら代理を立てても良かったのだが、父の代から世話になっていた人の頼みで、どうしても断れなかったのだ。
 イブに家を空けると話した時の、新や一也の残念そうな顔が思い出される。
 忙しい面々が、『家族』でまとまった時間を過ごす事は本当に難しくて。
 『家族』で過ごす時間もプレゼントのひとつ、と考えている樋口としてはとても申し訳なかった。
 せめてもの詫びに、受賞作でもあり、みんなとの時間をイメージして作った薔薇を置いて来たけれど。
 あれでクリスマスプレゼント代わりと言ったら怒られるだろうか。
 実の所、出発直前まで忙しくて、プレゼントなどそろえている時間がなかったのだ。
「‥‥‥なんか俺、親父と同じ事やってるな‥‥‥」
 思わず苦笑してしまう。
 樋口が子どもの頃、あまり裕福ではなかったせいもあり、父からクリスマスプレゼントだと新種の薔薇を渡された事があった。
 あの頃はゲームやおもちゃを買ってもらう同級生が羨ましくて、かなり怒ってしまった記憶がある。
 でも本当は、父の作る薔薇はとても綺麗だと思っていたから、口で言う程嫌ではなかったのだ。
 その父と同じ事をしている自分に、何とも言えないこそばゆいものを感じる。
 そんな事を考えていた樋口は、近付く影に気付くのが遅れた。
「樋口崇文様、ですね」
 声を掛けて来たのは、ダークスーツに黒いサングラスの怪しい事この上ない男だった。
「はい?そうですけど‥‥‥」
 怪しいと思いつつ、正直に答えてしまうのが樋口である。
「樋口様をお連れせよとの命令を受けました。一緒に来ていただけますか」
 気付けば、同じダークスーツに黒サングラスの男が更に二人、樋口を囲んでいた。
「あ、あの、俺、明日の朝一番の飛行機で帰らなきゃならないんだけど‥‥」
「問題ありません。樋口様のお荷物は既に回収済みです」
 男は、全く気にする様子はなく、暗い方に向けて片手を上げた。
「え?え?」
 訳が判らない樋口の目の前に、静かに黒塗りのBMWが横付けされた。
 樋口に声を掛けた男が、恭しく後部ドアを開く。
「あ、あの‥‥?」
 状況が判らずうろたえている樋口は、半ば押し込まれるようにBMWに乗せられた。
「飛ばしますので、ベルトをお締めください」
「あの、これは‥‥っ」
 聞きかけた樋口は、いきなりの急加速に舌を噛んで黙り込む。
 柔らかいシートに身体が沈み込むような加速に、樋口は慌ててシートベルトを締めた。
「こちらB班。ターゲットを確保した」
《A班よりB班へ。了解した。計画通り、プランAを実行せよ》
「B班了解。プランAを実行する」
 何故こんな高級車に無線などが付いているのかと言う疑問はともかく。
 会話だけ聞いていると、まるで別世界のようである。
 もしかして自分は‥‥‥誘拐でもされたのか?
 樋口には大した価値はないとしても、壱哉の知り合いとしてなら話は違ってくる。
 企業グループのトップとなれば敵もいるだろうし、良からぬ事を考える者もいるだろう。
 しかし樋口は、どんな事になろうと壱哉の足を引っ張る事だけはしたくなかった。
「‥‥俺なんかさらったって、何の‥‥‥」
 価値もないぞ、そう言おうとした時、無線に慌ただしい声が飛び込んで来た。
《C班からA班へ緊急連絡!国道で接触事故が発生、環状線の半分以上が大渋滞となる見込みです》
《D班からA班へ!市内中央部全域において、酒気帯びその他の検問・パトロールが行われています!》
《‥‥A班よりB班へ。プランCに変更する。すぐに進路を変更せよ》
「B班、了解しました!大至急、ポイントDに急行します!」
《頼むぞ、B班。各班、この任務が終われば休暇と、特別ボーナスだ!この分なら、今日のうちに家に帰れるぞ!》
《はいっ、これで息子にゲーム機を買ってやれます!》
《今日のうちに帰れれば、妻に言い訳しなくて済みます!》
《これで家族十五人の正月を乗り切れます!》
《今年こそは彼女に殴られなくてすみます!》
《よしっ、各班、ターゲットの受け渡しまで気を抜かずに頑張るぞ!》
《おおおーっ!》
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 良からぬスパイ戦のような雰囲気が、いつの間にか男の悲哀を感じる話になっていて、樋口は言い掛けた言葉を飲み込んだ。
 ここで樋口が何かしたら、彼等が早く帰る計画が駄目になってしまうではないか。
 だから樋口は、後部座席で小さくなった。
 そんな様子に気付いているのかいないのか、ハンドルを握る男もまた、盛り上がっていた。
「俺の腕に、みんなの帰る時間が掛かってるんだ。‥‥ふっ、かつて西部爆走連合総長を務めた走りを見せてやる!」
「ぇ‥‥うわあぁぁっ!」
 今まででもかなりのスピードだったのに、男は更にアクセルを踏み込んだ。
 しかも、あろう事か幹線道路ではなく細い道が入り組んだ住宅地の方へ突っ込んで行く。
 この巨大な黒塗りの高級車が、どうして車幅より細い露地を暴走出来るのか、樋口は斜めに傾きながら頭を痛めた。
 あまりにも怖くて、窓の外は見られない。
「うおぉぉっ、まだまだぁっ!」
「うわああぁぁぁぁぁ‥‥‥」
 更に強くシートに身体を押し付けられ、樋口は思わず悲鳴を上げた‥‥‥。


 三人の頑張りによって、吉岡と壱哉がいつものように遅く帰る頃には、広めのダイニングには料理が全て並んでいた。
 大きな七面鳥の丸焼と、フルーツをたくさん飾り付けたケーキ。
 他にも、サラダや野菜を煮たもの、チーズなどの前菜、シャンパンと子ども向けの炭酸の瓶。
 そして、部屋の隅に置かれた本物のモミの木のツリーと、壁にもテープやら星やらの飾り付けがされていて、暖かくも賑やかな雰囲気だった。
「‥‥すごいな。新も、一也も頑張ったな?」
 壱哉の言葉に、新と一也は顔を見合せて笑った。
「俺ももう少し早く帰れれば手伝えたのにな‥‥‥」
 壱哉の呟きに、吉岡と山口の表情が微妙にひきつる。
 何しろ、この前の休みの時に、壱哉が料理にチャレンジして台所を再起不能にし、改築が終わったばかりなのだ。
 何故、高々ハンバーグと目玉焼きを作るだけだったのに台所が壊れるのか。
 ある意味で特異な才能であろう。
「さぁ、黒崎君もおなかがすいたろう?僕たちもおなかぺこぺこなんだ。早く食べよう?」
 山口の言葉に、壱哉は頷いて、テーブルに着いた。
 それを合図にしたかのように、各々、テーブルに着くと、賑やかな夕食が始まった。
 ―――――――――
 夕食を終え、一也には『お父さんとお兄ちゃんと吉岡くん』からプレゼントが渡された。
 新には、山口と吉岡から心ばかりの気遣いが渡され、そして壱哉は「夜のサービスでいいか?」と耳打ちして殴られた。
 そんな時、吉岡の携帯が小さく鳴る。
 一言、二言喋った吉岡が、そっと壱哉に耳打ちした。
 頷いた壱哉が、立ち上がる。
「一也、もう一つプレゼントをやろう」
「え‥‥まだあるの?」
 驚いたように一也が壱哉を見上げた。
 事情の判らない山口と新も首を傾げる。
 促されて外に出ると、玄関前に、黒塗りのBMWが物凄い勢いで急停止する所だった。
 後部ドアから、黒スーツとサングラスの運転手に半ば抱え出されるようにして降りて来たのは‥‥‥。
「樋口さん?!」
 新が唖然とした声を上げた。
 そこで、我に返ったらしい樋口は、茫然と辺りを見回した。
「ここ‥‥家?俺、いつの間に‥‥?」
 まだ微妙に状況を把握しきれていない樋口の手を、小さな手が握った。
「おかえりなさい。メリー・クリスマス!」
 満面の笑顔で見上げてくる一也に、樋口はやっと、家に帰って来たと言う実感が湧いてきたらしい。
「あぁ。遅くなったけど、ただいま。メリー・クリスマス!」
 笑って見せた樋口に、一也が嬉しそうに飛びついた。
「‥‥家族みんなが揃うこと。確かに、最高のクリスマスプレゼントだね」
 抱き合う一也達を目を細めて見詰め、山口が呟いた。
「ふむ‥‥十時半か。あそこからの距離を考えれば、上出来だな」
 壱哉が、時計に目を落としながら言った。
「はい。やはり、某国の最新装備である、ターボ付き戦闘ヘリを使ったおかげでしょう。直接本社のヘリポートに降ろす事はできませんでしたが、それでも早かったようですね」
 事もなげな吉岡の言葉に、山口が目を剥いた。
 しかし主従は、そんな反応も全く意に介さず会話を続ける。
「予想より早かった分、ボーナスに上乗せしておくか」
「それがよろしいでしょう。このクリスマスイブに捜査班と工作班を総動員したのですから」
「‥‥‥‥‥」
 この二人の‥‥いや、特に壱哉の感覚は、未だに付いて行けない所がある。
 改めてそう認識してしまった山口である。
「お父さん、お兄ちゃんも吉岡くんも、早く入ろうよ!二次会だよ、二次会!」
 どこでそんな言葉を覚えたのか、一也が樋口の手を引きながら玄関で手を振った。
「あぁ、そうだな。そろったところで、飲み直しだ」
「簡単なものでしたら、つまみはお作りしますよ。あぁ、樋口さんの好きなとんかつなら、すぐにでも」
「あっ、すいません、吉岡さん。昼から何も食べてないんで、腹がペコペコなんです」
「ふーん‥‥だから、冷蔵庫に豚肉があんなにあったんだね?僕はてつきり、明日の用意だと思ってたけど」
「今の樋口さんだったら、二、三人前くらい食べられそうな勢いだなぁ」
 てんでに好きな事を言いながら、暖かい家へと入って行く彼等の頭上には、樋口が見上げたのと同じ、綺麗な星空が広がっていた―――。

END

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なんと言う事はない話です。はっはっは(←ヤケ)。らぶらぶハーレムED前提ですが、なんだか樋口な話に。要は、己と『家族』の満足のためだったら金と手間を惜しまず、社員をよりによってクリスマスイブに駆り出す壱哉様を書きたかっただけです(笑)。
しかし、己のクリスマスへのイメージの貧困さに涙が出ました。クリスマスと言えば丸鳥ではなく鳥の足の唐揚げで育ちましたから。えぇ。
書きながらふと思いましたが、壱哉様と吉岡はこう言うシーンでも背広なんでしょうねぇ。山口さんはポロシャツくらいになってそうですが。背広姿でご家庭のクリスマス‥‥‥うーむ(笑)。
蛇足ですが、捜査員の皆様方は何があろうと黒スーツに黒サングラスです!(力説)夜の車の運転時は外すにしても、外で人目に触れる場所では素早くサングラスを着用するのですよ!!