Sweet Season
「甘い‥‥よなぁ」 樋口は、少しだけ顔をしかめてコンデンスミルクのかかった苺を口に放り込んだ。 甘い物が嫌いではないが、やっぱり苺はそのままの方がいいような気がする。 いつも花を買ってくれる近所の老婦人が、親戚から送って来た、と大量の苺を差し入れてくれた時、ご丁寧にコンデンスミルクまで付けてくれたのだ。 父親は果物など殆ど食べないから、必然的に残りは樋口が食べる事になる。 そこで、この前壱哉が言っていた事を思い出してコンデンスミルクをかけてみた、と言う訳だ。 しかし、壱哉がこんな食べ方が好きだと言うのは少し意外かも知れない。 育ちがいいせいか、壱哉は買い食いなどした事はないし、駄菓子やスナック菓子などと言うものも殆ど食べないらしい。 きっと大人のようにブラックコーヒーとか飲んでいそうだ、と樋口は勝手に考えていたりしたのだが。 もしかして壱哉は、結構甘党なのではないか。 樋口はそんな事を思った。 「なぁ、黒崎。今日の放課後、時間あるか?」 いつもの通り、にこにこしながら自分の顔を覗き込んで来る樋口を、壱哉は黙って見詰めた。 酷く大人びて冷静なその表情に、樋口以外の生徒なら睨まれていると勘違いしてしまうだろう。 「特に用事はない。どうしてだ?」 壱哉の言葉に、樋口は嬉しそうな顔になった。 「だったら、少しつきあってくれよ。ちょっと寄りたい店があってさ」 「別に、かまわない」 相変わらずそっけない言葉だったが、樋口は嬉しそうな顔になる。 「よかった。じゃ、約束したからな!」 うきうきとした様子で自分の席に戻って行く樋口の後ろ姿を、壱哉は困惑した表情で見送った。 放課後。 「‥‥‥なんだここは」 唖然としている壱哉と言うのは中々貴重かも知れない。 もっとも、あまり表情の変わらない壱哉は余程注意しなければ驚いているようには見えないのだが。 「なんだ、って‥‥喫茶店、見たことない?」 「そうではなくて。お前が寄りたい店と言うのは、ここのことだったのか?」 「そうだよ」 真顔で言い返されると、壱哉としてもそれ以上追求しようがない。 「ほら、いつも俺、宿題うつさせてもらってるだろ?お礼、ってわけじゃないけど、今日は俺がおごるからさ」 「‥‥‥‥」 それで喫茶店、と言うのも少し違う気がする。 妙な顔をしているのをどう思ったのか、樋口はいつものように、壱哉の腕を引っ張るようにして強引に店内に入って行く。 「‥‥‥‥‥」 パステルカラーで統一された明るい店内にはカップルと女学生同士の客が一組ずつ。 男子学生二人が入るには少々抵抗のある店だった。 しかし樋口はそんな遠慮など全くないのか、一番奥のボックス席に堂々と陣取る。 ため息をついた壱哉は、覚悟を決めてその向かいの席に腰を下ろす。 何しろ、喫茶店などと言うものに入ったのは生まれて初めてだ。 「ここの店、ケーキとかうまいんだってさ。それに、コーヒーも紅茶も厳選してるって話」 いそいそとメニューを広げて手渡して来る樋口は、何か勘違いしているのではないだろうか。 「黒崎はなにがいい?」 「なに、と言われても‥‥」 メニューの中で壱哉の知識にある単語は、コーヒーと紅茶の銘柄くらいだ。 戸惑っている壱哉の表情に、樋口は内心でほくそ笑んだ。 「それじゃ、俺が決めてやるよ」 メニューを壱哉の手から取り上げる。 実は、ここに連れて来た時から、壱哉に食べさせたいものは決まっていたのだ。 樋口はウエイトレスに、壱哉に聞こえないように注文を告げる。 「何を頼んだんだ?」 気になるのだろう、少しだけ不機嫌そうに壱哉が樋口を睨む。 「ま、それは来てからのお楽しみ。ここのおすすめメニューだからさ」 「‥‥‥‥‥」 それ以上追求する無駄を知ったのか、壱哉は黙り込んだ。 「しかしお前、喫茶店も初めてなのか?」 「‥‥‥悪いか」 自分の世間知らずを咎められているような気がして、壱哉は更に不機嫌な顔になる。 「そんなこと言ってないって」 樋口はクスリと笑った。 壱哉がこんなにも良く表情を変える事を知っているのは、きっと自分だけに違いない。 そう思うと、とても得をしているような気がする。 「お前はこの店に入ったことがあるのか」 反撃のつもりなのだろうか、壱哉の問いに、樋口はあっさり首を振る。 「はじめてだよ」 「‥‥‥‥‥‥」 「だけど、ちゃんと情報収集はしたんだぞ。ここ、最近できたんだけど、女の子の人気ナンバーワンなんだからな」 どこからの情報だとか、女の子に人気の店に何故壱哉と入るのかとか、即座に片手では足りない程の疑問が頭に浮かぶ。 どれから言おうかと壱哉が頭の中を整理していると。 楽しげに壱哉を眺めていた樋口が、ふと、視線を上げた。 その先を辿ると、銀の盆を持ったウエイトレスがこちらにやって来る。 そして、盆の上に乗っているのは、普通よりは小ぶりなイチゴパフェと、コーヒーフロートだった。 「はい、黒崎」 樋口は、自分の前に置かれていたイチゴパフェを、さも当然のように壱哉の前へ置く。 「なんだ、これは‥‥」 「イチゴパフェ。知らない?」 「そうではなくて‥‥‥」 「ここのはおすすめなんだ。イチゴもとれたて使ってるし、他の素材もいいのを使ってるんだって」 「いや、だから‥‥‥」 言いかけて、壱哉はため息をついた。 いっそ無邪気な顔で見上げて来る樋口を見ていると、ぐだぐだと理屈を並べるのが馬鹿らしくなって来る。 それ以上の追求を諦め、壱哉は目の前に置かれた物体に注意を向けた。 壱哉も、目の前の『イチゴパフェ』に興味を惹かれているのは紛れもない事実なのだから。 これでもかとばかりに豊富に使われた苺とクリームのコントラストは見事だし、本物のバニラビーンズを使っているらしいアイスクリームが惜しげもなく乗せられている。 何故か嬉しそうな樋口の視線に少し居心地の悪さを覚えつつ、壱哉は小さなスプーンを手に取った。 真っ赤な苺と白いクリームを一緒に掬い、口に運ぶ。 「‥‥‥‥‥‥」 美味い、と素直に思った。 真っ白いクリームはくどくなく、甘過ぎもせず、瑞々しい苺の持ち味を損なわない上品な味だ。 アイスクリームも、贅沢な程のバニラの風味がふわりと香る。 苺と一緒に口に入れると、それはどこか、懐かしいような甘さに変わった。 苺と生クリームとバニラアイス、それだけの組み合わせだったが、素材の良さの為か、そのシンプルさがかえってそれぞれの美味しさを引き立て合っていた。 一気に半分以上食べてしまった頃、ふと、顔を上げた壱哉の視線が樋口のそれにぶつかる。 樋口は、ずっと壱哉を見ていたのだろうか。 夢中になって食べていた自分が、急に気恥ずかしくなる。 照れもあって、壱哉はつい、仏頂面になってしまった。 しかし樋口は、酷く嬉しそうに笑った。 「よかった、お前が気に入って」 まるで自分の事のように、樋口は満面の笑みを浮かべる。 どう返せばいいのか判らなくて、壱哉は反射的に樋口から目を逸らす。 彼の笑顔が嫌ではないはずなのだが、時々、居心地が悪くなってしまう事があるのだ。 しかし樋口はそんな壱哉の態度を気にした様子もなく、自分の前のコーヒーフロートに視線を移す。 「こないだのイチゴもそうだけどさ、このコーヒーフロートも飲み方って色々あるんだよな」 「‥‥‥?」 「べつに、何も考えないで飲んでいいんだけどさ。よくあるのが、最初に下のコーヒーを半分くらい飲んで、それからアイス半分食べて、最後にアイスを混ぜて飲むと一つで三つの味が楽しめるからお得、ってやつ」 お得、と言われても今ひとつピンとこない壱哉である。 「あと、変わったやつだと、アイスを溶かさないようにさっさと食べて、それからじっくり下のコーヒーを飲む」 「‥‥それは、一緒になったメニューを頼む意味がないんじゃないか?」 「だろ?やっぱりそう思うよなー」 樋口も同意見なのか、うんうんと頷いている。 で、樋口の前のグラスを見ると、『お得』パターンらしく半分ほどに減ったコーヒーにアイスが溶けて、カフェオレのような状態になっていた。 ストローでかき回すと、透明な氷が澄んだ音を立てる。 「なぁ。こんなふうに、一緒に店に入るの、はじめてだよな」 「あぁ‥‥」 今まで何度か一緒に帰ったりした事はあるのだが、途中で道が分かれる為にそう長い時間ではなかった。 早く帰らなければならない訳ではなかったが、誰かとどこかに寄る、と言った発想は最初から壱哉にはなかったのだ。 「へへ‥‥‥」 また嬉しそうに樋口は笑った。 ここに入ってから、樋口はずっと上機嫌だ。 一体何が楽しいのだろうと思う。 「‥‥俺の顔がおもしろいか?」 しかし、そう問われた樋口はきょとんとした顔になる。 「黒崎の顔は、『おもしろい』って言うんじゃないだろ。どっちかっていうと『きれい』って言うんだと思うし」 「‥‥‥‥‥」 いきなり『きれい』などと言われて、壱哉はどう反応していいのか判らない。 樋口の方は、うっかり口走ってしまった自分の言葉に、壱哉が怒ったのではないかとその表情を伺ってくる。 「何を言っている‥‥‥」 ため息をついて、壱哉は目の前のパフェに再び取り組む。 「ごめん。でもお前、俺から見ても格好いいと思うぜ。見かけばっかりじゃなく、勉強はできるしスポーツだって成績いいし」 話を逸らすつもりなのか、樋口はそんな事を言いだした。 「俺も、体力にだけは自信あるんだけどな。小さい頃からオヤジにこき使われてたから。花育てるのって、きれいなイメージと違って体力勝負なとこあるんだぜ」 そうなのか、と壱哉は単純に感心する。 少なくとも、人恋しさから鉢花を買って来ては世話をしすぎて枯らしてしまう母を見ている限りでは、そんな事を考えもしなかった。 「でもなー、体力だけじゃ成績が良くなるわけないし」 樋口は、本気で嘆息している。 それから、二人はしばらく他愛ない話をして過ごした。 もっとも、壱哉はいつものように最低限の言葉しか口にせず、自分の事は話したがらない。 樋口が半ば一方的に喋っている状態で、お世辞にも話が弾んでいるとは思えなかったのだが。 それでも樋口は嬉しそうに顔をほころばせたまま、次から次へと色々な話を続けた。 ――――――――― 「じゃ‥な。黒崎」 いつも別れる曲がり角で、樋口は名残惜しそうに足を止めた。 「あぁ」 いつもと同じ、無表情な視線を返して来る壱哉に、樋口は少しだけ残念そうな顔をした。 しかし、小さくため息をついた樋口は気持ちを切り替え、いつもの笑顔になる。 「また、一緒に帰ろうぜ」 「‥‥あぁ。そうだな」 素直な答えが返って来た事に少なからず驚いて、樋口は壱哉の横顔を見上げた。 その表情に、微笑が浮かんでいるように見えたのは樋口の錯覚だったろうか。 「じゃあな」 軽く手を上げ、壱哉は自分の家の方へと歩き始める。 その後ろ姿を、樋口はいつものようにずっと見送った。 今日も壱哉がその視線に気付いてくれる事はなく、彼はずっと向こうの曲がり角に消える。 ふと、さっきまでの時間を思い出した樋口は、笑みを浮かべた。 宿題をうつさせてもらっている礼、それは口実だった。 ただ一緒に帰るだけではなく、たまには壱哉とゆっくり話したいと思っていた。 本屋に誘えば来てくれそうだったが話は出来ない。育ちが良さそうな壱哉をゲーセンなどに誘うのは気が引けた。 そう思っていた矢先の、あの苺狩りだった。 壱哉は結構甘党ではないかと思ったから、喫茶店に誘おうと考えたのだ。 学校で公式に禁止されている訳ではないし、遅くならなければ大丈夫なはずだった。 だから、クラスの女の子などに色々訊いて、評判のいい店の情報を仕入れた。 喫茶店を前にして嫌だと言われたらどうしようかと思っていたのだが、好奇心が勝ったのか壱哉は素直に頷いてくれた。 そう長くはなかったけれど、樋口にとっては楽しい時間だった。 喫茶店は初めてらしい壱哉が色々な表情を見せてくれるのは嬉しかった。 イチゴパフェも、すぐに食べてしまったから気に入ってくれたのではないか。 そこまで考えて、樋口はクスリと笑った。 酷く大人びて端整な顔立ちをした壱哉と、女の子が頼むようなイチゴパフェの取り合わせのギャップがおかしくて。 最初は笑いそうになるのを堪えていたけれど、そのうち、滅多に見られないような子供っぽい顔で食べている壱哉に、樋口まで楽しくなった。 樋口のように、壱哉も少しは楽しんでくれたのではないかと、そう思うのは自惚れだろうか。 もう一度、壱哉が行ってしまった方を見詰める。 「また明日‥‥な」 もう見えなくなってしまった親友に向けて、樋口はもう一度、呟いた。 |
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社長の幼きみぎりのでっち上げ話その2です。イチゴにコンデンスミルクかけて食べるのは結構甘党ではないか、と妄想が膨らみ、練乳掛け苺→苺ミルク味→苺パフェ、と変換されてこの話が出来上がりました。
意外に樋口の方は甘党ではないんではないかと思ったんですが、どうなんでしょう。
しかし、基本的に樋口は受けのつもりで書いてるんですが、読み直すとどー見ても壱哉の方が受けっぽいなあ。