Sweet Strawberry
抜けるような青空の下、壱哉達のクラスは郊外の苺園に遠足に来ていた。 何棟もあるハウスの中には、真っ赤な苺がたわわに実っている。 規定の時間までは食べ放題とあって、生徒達は遠慮なく熟した苺を口に運ぶ。中には、口一杯に頬張って、それでも手に苺を山と持っている食いしん坊もいた。 しかし、壱哉はいつものように、あまり興味なさそうな顔で一人、目立たない片隅からクラスメート達の喧噪を眺めている。 すると、これまたいつものように、目敏く見付けた樋口が近寄って来た。 「黒崎、こんなとこにいたのか。早く行こうぜ」 「いや、俺は‥‥‥」 反論する間もあればこそ、樋口は壱哉を引っ張るようにして一番端のハウスに向かう。 「へへ、ここのイチゴの出来が一番いいんだ」 どこから聞き込んだ情報なのか知らないが、確かに、実る苺は他の棟より大粒で、色もいいようだ。 「ぐずぐずしてると時間、終わっちゃうからな」 嬉しそうに頬張る樋口につられ、壱哉も真っ赤な苺を口に入れる。 「な?うまいだろ?」 「あぁ‥‥‥」 確かに、文字通りもぎたての苺は瑞々しく、甘い。 育ちの為か、不本意ながら口の肥えている壱哉を充分満足させるに足る味だった。 「こんなに新鮮なイチゴ、いつもは食べらんないもんな」 嬉々として次々に苺を頬張る樋口は、童顔な事も手伝ってとても中学生には見えない。 壱哉に対して向けられる、屈託のない笑顔もいつもの事だった。 どちらかと言えば無表情で近寄りがたい壱哉に対して、樋口は旧知の親友のように振る舞う。 実際には、こんなに親しく付き合うようになってまだ半年程度のはずなのだが。 「ほら。これ、うまそうだぜ」 あまり手の進まない壱哉に気を遣ったのか、樋口は形も良く、大粒の苺を何粒かつんで手渡して来る。 「あ‥‥‥」 樋口を見れば、にこにこと嬉しそうにしながら自分も負けじと苺を口に放り込んでいた。 少しだけ、くすぐったいような気持ちを感じながら大粒の苺を口に運ぶ。 何故だろう、それは、今まで食べたどれよりも美味しく感じられた。 親の影響で樋口も植物に詳しいから美味い苺が判るのだろうか、などと壱哉は思う。 そんな事を考えていると、まともに下から覗き込まれ、壱哉は我に返った。 「なあ。もしかしてお前、イチゴ嫌い?」 唐突な言葉に、壱哉は戸惑ったように瞬きした。 「いや。そんなことはないが」 「そうか?なんか、あんまり食べてないからさ」 嫌いなものを無理に食べさせているとしたら悪い、そんな内心が容易に読み取れる。 「嫌いじゃない。ただ‥‥こんな風にそのまま食べたことはあまりなかった」 「あぁ‥‥‥」 合点したように樋口が頷く。 「イチゴって、人によっていろんな食べ方するからな。そのまんまじゃなきゃダメ、って奴もいるし。そう言えばあいつは‥‥‥」 と、樋口はクラスの中で一番体格が良く、喧嘩っ早い少年の名を口にする。 「イチゴはへたを全部取って、それから砂糖かけて、一つ一つつぶしてから牛乳かけて食べるんだって。だからあいつ、イチゴスプーン持ってきたんだぜ?」 普段の大雑把な様子とその習慣とのギャップに、壱哉は思わず苦笑してしまった。 「俺はこのまんまで食べるのが多いかな。お前、もしかしてコンデンスミルクかける方?」 「‥‥あぁ。普段、あまり食べないが」 壱哉の中に愛する男の面影を見ている母は、菓子など子供っぽいものを殆ど与えなかった。せいぜい、たまに父が母に贈って寄越す高価な茶菓子を口にする程度だ。 そんな壱哉が、どこか子供っぽい甘さを口に出来るのが、苺にコンデンスミルクをかける時だった。 母がそうやって食べるのが好きだったから、いつしか壱哉も真似するようになっていた。 普段甘い物など殆ど食べられないせいか、その味は壱哉の中に強い印象を残していたのだ。 黙り込んでしまった壱哉の横顔は、どこか寂しそうにも見え、樋口はそっと視線を外した。 家族の事を考えている時、壱哉はいつも寂しげな顔になる。しかも、当人は全くそれに気付いていないらしいのだ。 「あ!あと二十分で終わりだぞ!」 それ以上壱哉の表情を見ていたくなくて、樋口は殊更に大袈裟な声を上げてみせた。 我に返ったように、壱哉が樋口に視線を戻して来る。 その顔は、いつもの無表情に戻っていた。 「たしか、ここで食べるのと、一パック分は持って帰っていいんだ。俺、パックもらってくるから、ここにいろよ」 「いや、俺は別に‥‥」 持ち帰る気などない、そう言う間もなく、樋口は走って行ってしまう。 「‥‥‥‥」 小さくため息をついて、壱哉はハウスの中を見回した。 鮮やかな緑の葉の間からは、まだ数え切れない程の真っ赤な苺が覗いている。 ガラス越しの柔らかな光を受け、それらはまるで宝石のように輝いている。 苺狩りなど、子供っぽい遠足に来るのは、本当は気が進まなかった。同級生達のように、無邪気に喜ぶ性格ではない事は自覚していた。 だからここに着いてからも、面白くなくて片隅にいたのだけれど。 淡い笑みが、壱哉の口元に浮かんだ。 今日もまたいつものように、樋口に強引に引っ張って来られた。 別に苺など食べなくていいと思っていたのに、押しつけがましい程強引に食べさせられた。 けれど、何故か、不快には感じなかった。 いや、思っていたより本当に美味しかったと思う。 そう感じた自分が、少しだけ意外だった。 ガラスの向こうに、樋口が走って来るのが見える。 あんなに気が進まなかった遠足のはずなのに、今はそう悪くないような気がしていた‥‥。 |
END |
社長の幼きみぎりのでっち上げ話その1です。だって、樋口ってなんか妄想をかき立てるセリフばっか言ってくれるんですもん。
数カ所で出て来る社長の昔の様子なんかも、今程ひねこびて複雑骨折してなくてカワイイし。きっとこんな事があったんだろう、と過去を捏造してみました。