煙草


 樋口が薔薇園の再建に没頭している間、壱哉はどうしてもこの町を立ち去り難く、週の数日だけ本社に戻る事にして、普段はこの街で過ごしていた。その分仕事や細かい雑用に取られる時間は多くなり、結局、樋口に会う時間は中々取れなかった。
 この分だと、不本意ながら、都心の本宅に戻らなければならない日もそう遠くない気がする。
 そんなある日、気晴らしに何となく公園を訪れた壱哉は、ベンチに樋口を見付けた。
 足を組み、ベンチの背もたれに腕をかけて無邪気に遊ぶ小さな子供達を眺めている。
 ぼんやりとしているのか、樋口は壱哉に全く気付かないようだった。
「樋口‥‥‥」
 ほんの小さな、独り言のような呟きだったはずなのに、それはしっかりと樋口に聞こえていたらしい。
 弾かれたように顔を上げた樋口は、すぐに壱哉の方を向いた。
 呼ぶつもりではなかったから、壱哉の方がどうすればいいか判らず立ち竦んでいた。
 驚いたように壱哉を見た樋口の表情が、とても柔らかなものになる。
「ここ、座れよ」
 樋口が、自分の隣を示した。
「‥‥‥あぁ」
 言われるまま、樋口の隣に腰を下ろしたものの、壱哉は何を言えばいいのか判らない。
 そんな壱哉の内心がすっかり判ってしまった樋口は、苦笑した。
「今日は花屋の方が休みだから、スタッフの人にも休んでもらってるよ。いつもこき使ってばっかりじゃ、悪いからな」
 樋口は、子供達を眺めながら、独り言のように口を開いた。
「お前とここで会った事、あったよな。俺‥‥休みの時は、ここにいる時が多かったんだ」
「‥‥‥‥」
「なんていうかな‥‥ここって、いろんな人が来るだろ?そんなのを眺めてると、なんとなく気が紛れるんだ」
 父親が死んでから、ずっと一人で新種に取り組んでいた樋口は、きっと人恋しい時があったのだろう。
 子供達よりももっと遠くを眺めているような樋口から、壱哉は目を逸らした。
「そう言えば‥‥タバコはやめたのか」
 ふと、思い付いて訊いてみる。
 ずっと以前見た時、樋口の手には煙草があった。
 学生時代と大して変わらないと思っていた樋口が、初めて『大人』の顔をして見えて、時間の流れを強く感じたものだった。
 あの時、薔薇が咲くまでやめると言っていた覚えがあるが、新種は一度完成したはずだ。
「あぁ‥‥」
 壱哉の言葉に、樋口は笑った。
「薔薇園を元通りにするまで‥‥と言いたいところだけど、やめたよ。本当に」
 樋口は、いっそさばさばとした口調で言った。
「元々、たまに喫う程度だったんだし。身体に悪い事はわかってたからな」
 樋口は、どこかほろ苦いような複雑な笑みを口元に刻んだ。
「あの時言っただろ?なんとなく寂しい時なんかは、タバコ喫ってると気が紛れる、って」
 そう言えば、そんな事を聞いたような気がする。
 樋口は、黙って見詰める壱哉を、どこか照れくさそうに見た。
「今は‥‥さ。どうにもならないほど寂しい時なんか、なくなったから」
「え‥‥‥」
 きょとんとした壱哉を見詰める樋口の顔は、少しだけ赤くなっているようだった。
「だって‥‥お前が、いてくれるだろ。そりゃあ、いつも一緒にいる訳じゃないけど、俺はもう独りなんかじゃない。だから‥‥もうごまかさなくてもいられる」
 相変わらず、樋口の言葉は恥ずかしくなるくらいストレートで。
 壱哉は、思わず、鼓動が早くなるのを自覚した。
「お前に中々会えなくて寂しい、って言うのはあるけどさ。でも、もう二度と会えなくなる訳じゃない。親父が死んでからずっと独りだった時とは違うよ」
 臆面もなくそう口にする樋口に、壱哉は苦笑した。
 胸の高鳴りを誤魔化すように、樋口から視線を逸らす。
「そんな事を言っておだてても何も出ないぞ」
 いつものように気のない表情をして見せるが、樋口は何も言わずに小さく笑った。
 多少の憎まれ口を叩いても、樋口の事だから全部見透かされているのかもしれない。
 この街で十年ぶりに会った時と、いや、子供の頃と何も変わらない、陰りのない笑顔。
 少し前まで、苛立ちと居たたまれなさを感じていたその笑顔は、今はこんなにも暖かく胸を満たしてくれる。
「‥‥相変わらずだな、お前は」
 つい、本音が口に出た。
「なんだよ、相変わらずって?」
 案の定、自覚のない樋口は怪訝そうな顔をしている。
「教えてやらん」
 そう言って、壱哉は空を見上げた。
 吸い込まれそうなくらい、青く澄み切った空だった。

END

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ゲーム内の個別のエピソードを元に話を書いてみようか、と思い立ちまして。なんか、読み直してみるとさりげなくイチャついているよーな‥‥。なんで、普通の話を書くと樋口攻のような話になってしまうんだろう?不思議だ。
ウチの場合、樋口ラブEDでは樋口が自分の気持ちに忠実、新ラブEDでは壱哉が自分の気持ちに忠実、と言う感じです。
ラブEDの樋口には、恥ずかしく思えるくらい、いっぱいの愛情を壱哉に注いで欲しいんですよね。あ、でも大型犬EDでも同じか(爆)。