君の生まれた日


 仕事が一段落し、壱哉はため息をついて椅子に沈み込んだ。
 会社での仕事が終わらず、家で夕食後もまた仕事をしていたのだ。
 何の気なしに時計の日付を見た壱哉は、ふと、思い出す。
 そう言えば今日は、樋口の誕生日ではなかったか。
 十年ぶりに再会した時に吉岡に調べさせたデータでは、確かそうだったはずだ。
「あいつの‥‥生まれた日、か‥‥‥」
 壱哉は、あまり『誕生日』と言うものにいい印象はない。
 しかし、樋口の生まれた日ならば、祝ってもいいように思えた。
 十年前から自分を見ていてくれて、そして、何もかも許して‥‥救ってくれた、樋口。
 樋口がいなかったら、こんな穏やかな気持ちでいる自分はなかっただろう。
 ‥‥もっとも、『祝う』と言っても何をすればいいのか全く思い付かなかったが。
「樋口‥‥‥」
 なんだか、無性に樋口に会いたくなった。


 結局、外せない仕事が入っていたために、ここに来られたのは土曜日の夕方になってからだった。
 店を訪ねると、いつもと同じように樋口がいる。
 そんなに長く会っていなかった訳でもないのに、とても久しぶりのような気がした。
「いらっ‥‥あ、黒崎!」
 店に入ると、他に客がいなかったため、樋口は素の笑顔になる。
「忙しかったんだろ?今日も、大丈夫なのか?」
「あぁ‥‥明日の夕方まではこっちにいられる」
「そっか!あ、じゃあ、そろそろ店、閉めるよ。夕飯、外で一緒に食おう」
「あぁ‥‥‥」
 樋口の笑顔が何故か眩しく感じて、壱哉は頷くしか出来なかった。
 ―――――――――
 外で夕食を済ませ、壱哉達は家に戻ってきた。
 茶の間でくつろいでいると、何だかとても、落ち着く気がした。
「わざわざ来てもらってるのに、おごってもらっていいのかなぁ」
 言ってはなんだが、壱哉にとってはタダ同然の金しか払っていないのに、しきりに気にする樋口は相変わらずだった。
「あの程度の金、タダのようなものだ。それに‥‥‥」
 言いさして、壱哉は、口籠もる。
 言おうと思っていた言葉が、どうにも気恥ずかしいような照れくさいような感じがして、口に出せない。
「なに?」
 見詰めてくる樋口の視線に、柄にもなく頬が赤らむのを感じる。
「‥‥‥お前の、誕生日に間に合わなかった」
 壱哉の言葉に、樋口はぽかんと口を開けた。
 が、その表情が、満面の笑顔へと変わって行く。
「黒崎‥‥覚えててくれたんだ」
 覚えていた訳ではないのだが、そうも言えず、壱哉は曖昧に言葉を濁す。
「ありがとう‥‥すごく、嬉しいよ」
 照れたように笑う樋口の頬は赤く染まっていた。
「‥‥俺は、誕生日の祝いとか、よくわからないから‥‥プレゼントとか、思いつかなかったんだ」
 壱哉の言葉に、樋口は首を振った。
「何も、いらないよ。黒崎が俺の誕生日覚えててくれて、こうして、会えただけで嬉しい」
「だが‥‥‥」
「あ、それなら‥‥‥」
 言い掛けた樋口は、しかし、首を振った。
「いや、なんでもない」
「なんだ」
「なんでもないって」
「欲しいものがあるなら、遠慮せずとも‥‥‥」
「いいんだ。今は、黒崎が目の前にいてくれるだけで」
 ストレートな言葉に、壱哉は言葉を呑む。
 似たような言葉を愛人達から聞かされた事はあるが、樋口の言葉は本当に心からのもので、胸に響いた。
「黒崎が、こうして来てくれるのが、一番のプレゼントだよ」
 そっと、躊躇いがちに樋口が手を添えてきた。
 とても暖かい樋口の手に、壱哉の手も熱を持つ。
「樋口‥‥‥」
 どちらからともなく、唇を寄せる。
 久しぶりの口付けは、とても甘かった。
 ―――――――――
 差し込んでくる朝日に、樋口は目を覚ました。
 ベッドの傍らには、壱哉が眠っている。
 樋口が身を起こしても、全く目覚める気配はない。
 疲れているのだろうし、昨夜は夜中過ぎまで起きていたから当然だろう。
 何となくなし崩しに『した』けれど、どちらかと言えば色々喋っていた時間の方が多かった気がする。
 こうして寝顔を見ると、本当に学生時代と変わらないと思う。
 頭が良くて、何でも出来て、でもとても優しくて、不器用で。
 この寝顔を、こんなに近くから見られるのがとても嬉しかった。
 壱哉の顔を見ていた樋口は、誰がいる訳でもないのに、辺りを見回した。
 そして、思い切ったように口を開く。
「‥‥‥壱哉‥‥‥」
 小さく呼んで、慌てて、壱哉が目を覚まさないか寝息を伺う。
 幸い、深く眠り込んでいるらしい壱哉は気付いた様子はない。
 思い切って呼んだ名前に、何となく気恥ずかしくなって、樋口は赤くなった。
 プレゼント、と言われて、名前で呼び合いたい、そう言おうかと思った。
 でも、やっぱり、やめた。
 あの薔薇が一杯に咲いてから。
 最初に決めていた通り、それまで我慢しようと思った。
 父が追い続けていた夢を、壱哉が取り戻してくれた夢を、ちゃんと叶えてから壱哉に言おう。
 ずっと、出会ったあの日から想い続けていたのだと、そう言おう。
「‥‥それまで、がんばらなきゃな」
 植物の生長が早くなる事はないけれど、やらなければならない事はたくさんあるのだ。
 今日は夕方まで壱哉がいてくれるから、眠っている間に仕事を済ませてしまおう。
 樋口は、壱哉を起こさないよう、そっと起き出した。
 待っていてくれる人がいる幸せを噛み締めながら、樋口は部屋を出た―――。


END

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樋口の誕生日もほったらかしてDFFにうつつを抜かしていたので、さすがにマズいなと突貫工事。‥‥しかし、へたれなのばらばっか書いている(←あっ)せいか、壱哉様が珍しくおとなしいです。
タイトルは相変わらず思いつかず。こうやって強引に決めて、後で「この話のタイトルにすれば良かった」と後悔するんですよ(苦笑)。
樋口は受攻どっちにも取れるように書きたかったので、えちシーンはばっさり切りました。おかげで短いです。でもって、最後、ちょっと落ちてないです。本当は、樋口からキスさせようと思ったのですが、キスされたら、絶対壱哉様は起きます。超熟睡してても。でもって、起きたが最後、絶対第二ラウンド突入します。えぇもう、絶対。なので、これも却下しました(苦笑)。