チョコと、薔薇と…


 それは、ふとした会話から始まった。
「ちょっとなー。今年は計算違いで。自然相手だから仕方ないんだけど」
 樋口曰く、今年は冬の気温がずっと高くて、薔薇の生育が大分進んでしまったのだと言う。
 3月に入ると転勤や卒業式などで薔薇の需要は増えるから、それを狙って育てていたものが、大幅にずれて今咲き始めているらしい。
 冷房でもかければどうだ、と言ったら、呆れた顔をされた。
「高い薔薇のハウスには冷房設備もあるけど。大半の薔薇は露地だし、それに、いくらで売るんだよ?」
 学生などが一輪、二輪買っていくような薔薇は、極力、咲く数を多くして単価を安くしているのだと言う。
 実の所、樋口がそこまで考えて薔薇を育てていたとは思わなかった壱哉は、正直、新鮮だった。
「まぁ、四月を狙ってたやつも前にずれてるから三月は何とかなるんだけど。二月って、特別、薔薇が売れるイベントないんだよなー」
 樋口は、壁に掛けられたカレンダーを見やった。
「あんなにたくさんの薔薇を売れ残りで処分するのは、やっぱりかわいそうでさ‥‥」
 ため息をつく樋口に、壱哉もカレンダーへと視線を向けた。
 薔薇の販売の事は良く判らないが、何か役に立てる事はないかと頭を巡らせる。
「‥‥バレンタインデーはどうなんだ」
「そりゃあ、あるけど。あれってチョコを贈る日じゃないか」
「店で、チョコレートに造花をつけてるところがあるだろう。あれを生花にすればいいんじゃないのか」
 壱哉の言葉に、樋口は、少しの間考えているようだった。
 が、すぐにその表情が明るくなる。
「それ、いいアイディアだよな!少しでも多く売れるんなら、無駄にならないし!」
 樋口は、嬉しそうに壱哉の手を握った。
「ありがとな!やっぱりお前、頭いいよな!」
 満面の笑みが、学生時代のそれに重なり、一瞬、あの時間に戻ってしまったような錯覚にとらわれる。
 しかし、壱哉がそんな感傷にとらわれている間に、樋口は早速どこかへ電話したりし始める。
 すっかり置いて行かれた形の壱哉だが、樋口の役に立てたと思えば、そんなに腹は立たなかった。


 二月十四日。バレンタインデー。
 壱哉は、仕事を早めに切り上げて樋口の店の近くに来ていた。‥‥とは言え、出掛けに色々あって既に夕方近くだったが。
 明日は休日だし、ここの所忙しかったから、午後早めにここに来るくらいはいいだろう。
 そんな言い訳を吉岡にしたものの、要は何となく気になってしまったのだ。
 生花を添える都合上、販売はバレンタイン当日になる。
 実際の販売量は判らないが、当日の需要がそんなにあるかと言えば微妙なところだと思う。
 しかし樋口の事だ、薔薇が余計に売れると言うだけで、チョコレートの在庫を抱え込む事になるかも知れないなど考えていないだろう。
 自分のちょっとした言葉で、樋口が損をするのは気が引けた。
 そう、思ったのだが。
 ぽつり、ぽつりと樋口の店から出てくる客は、殆どが小さな袋を持っていた。
 そう大きくない包みと、袋の隙間から覗く薔薇。
 どうやら、売れ行きは順調らしい。
 ガラス張りの店内を覗くと、樋口が、女性客に赤いラッピングのチョコレートと真っ赤な薔薇を袋に入れて渡しているのが見えた。
 更に、その後ろで同じ品物を手にして待っていたのは何故か男性だった。
 眺めているうち、壱哉は次第に面白くなくなってくる。
 仕事上の笑顔なのは判るが、これではまるで‥‥‥樋口がチョコレートを何人もに渡しているようではないか。
 女に渡すのも気に入らないが、男に渡すなど益々気に入らない。と言うか許せない。
 苛立ちを抱えながら、壱哉はずかずかと店内に入って行く。
「いらっ‥‥あ、壱哉!」
 丁度、店内に客はいなくて、ドアの開く音に顔を上げた樋口は素の笑顔になる。
「おかげで、ほとんど薔薇が売れたよ!ありがとな!」
 心底嬉しそうな樋口に、多少なりと苛立ちが軽くなる。
「なんかよくわかんないけど、今年は、男からもチョコレートやるんだって。だから、結構男の人が買っていってくれてさ」
 樋口の言葉に、壱哉はチョコレートを受け取っている客の事を思い出し、再び仏頂面になった。
「お前、どれだけチョコレートを配ったんだ」
「配ったって‥‥薔薇と一緒に売ったんだぞ。数は‥‥まぁ、それなりに」
 壱哉の機嫌が何故か悪い事に気付いてか、樋口は言葉を濁す。
「残りのチョコレート、俺が全部買う」
「はぁっ?」
 壱哉の言葉に、樋口は目を丸くした。
「ほとんど売れちゃったけど‥‥十個くらいはあるぞ?」
「何十個でも買ってやる。これ以上お前に、チョコレートをばらまかれてたまるか」
 この言葉で、何故壱哉が不機嫌なのか判ってしまった樋口は、がっくりと肩を落とした。
「だから、あげたんじゃなくて品物として売ったんだって言うのに‥‥‥」
「似たようなものだろう」
 似てない。
 全然似ていない。
 しかし、既に目が据わっている壱哉に、何を反論しても無駄な気がした。
 そもそも、このアイディアを言い出したのは壱哉のはずなのに、何故こうなるのだろう。
「まさかお前、男に言い寄られたりしなかったろうな?チョコレートを渡されたりもしてないな?」
 ジェラシーモードに入ってしまった壱哉の思考はとどまるところを知らない。
 男に言い寄る男など、樋口は壱哉以外、誰も知らないのだが。
「何もなかったって!チョコだって、女の子にももらってない!」
「本当だろうな‥‥‥」
 と、壱哉は樋口のシャツをたくし上げようとする。
「ちょっ、なんでそうなるんだよ?!」
「本当かどうか、身体に聞くのが一番だろう」
 それは『身体に聞く』意味が違う。
「大体、まだ店を閉める時間じゃないって!こんなに花、残ってるし‥‥‥」
「心配ない。店番は呼んだ」
 その時、音を立てて店の扉が開いた。
 どう見ても男に迫られている格好の自分に、樋口は慌てて抜け出そうとしたのだが。
「失礼します。社長、お呼びですか」
 いつの間に呼びつけたものか、入って来たのは、いつもこんな時には店を手伝ってくれる黒サングラスと黒スーツの男だった。
 客ではなかったのは助かるが、この男には壱哉に迫られている(下手をすればもろに倒されている)時ばかり見られているのは複雑だった。
 しかし、壱哉はそんな複雑な男心になど全く気付いていない。
「閉店まで店を任せる。売れ残りなど出したら許さんからな」
「‥了解しました」
 一呼吸置いて答えた男の表情が微妙に引きつっていたように見えたのは、樋口の気のせいだろうか?
「これでいいだろう」
 答えも待たず、壱哉は、樋口を引きずるようにして店の裏口から母屋へと向かう。
 もう、どうにでもなれ。
 逃げ道を全て塞がれてしまった気のする樋口は、半ば諦めの心境に達していた。


 その後。
 あまりにもしつこい壱哉の言葉に、さすがに樋口が怒ったものの。
 自分の分のチョコレートが用意されていなかった事に壱哉がへそを曲げ、結局樋口は宥める側に回る事になった。
 その上、気を利かせた調査員が、残っていたチョコレートも含めて全て売ってしまい、壱哉は更に不機嫌になってしまった。
 挙げ句、八つ当たりと楽しみを兼ねた壱哉の行為に、樋口は足腰が立たなくなるくらいの状態になってしまい、日曜日の夕方までベッドから起きられなくなるのだった‥‥‥。


END

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タイトルが思いつかずに十分くらいパソの前で固まっていたり。でもって段々面倒になってきて適当になってしまった。いつものことですが。
花屋がチョコ売って問題ないのかどうかは定かではないです。そこがダメだとこの話成り立たないので(苦笑)。でも確か、加工品(お菓子なんかですね)を仕入れてそのまま販売する分には届け出とかはいらなかったと記憶してますが。
しかし最近、じぇらしーもーどの壱哉様ばっか書いている気がする‥‥‥(汗)。