マーキング。


「‥‥‥なに?」
 いつものように、樋口が一方的に話している、他愛のない世間話。
 半ば聞き流していた中に引っかかるものを感じ、壱哉は聞き返した。
「‥‥だから、明日はプール当番で出かけなきゃならないんだ。でも壱哉、明日は朝早く帰らなきゃならないって言ってたから大丈夫だよな」
 樋口は、週末、せっかく来てくれた壱哉を放り出して出掛ける事になるのを気にしていたらしい。
 しかし、壱哉にとっての問題はそこではない。
「‥‥プール当番?」
 そっちを聞き返され、樋口は面食らったような顔をした。
「あ‥‥うん。本当は親が交代でするんだけど、男手が足りないからさ。商店街とかで、学校行事なんかを時々手伝ったりしてるんだ」
 少子化、共働きが多くなり、予算も少ない中で学校行事などの運営は親がかなり手伝っているのだと言う事も以前樋口から聞いた気がする。
 人の好い樋口が手伝いに駆り出されるのも不思議ではない。
 しかし。
「よりによって、プール当番だと?」
「‥‥‥一応俺、泳げるけど」
 ちょっと傷付いたような顔で、樋口が口を尖らせた。
 しかし、壱哉の論点はそこではなかった。
「プール当番と言えば、お前も裸になるんだろう?」
「‥‥‥ちゃんと海パンくらい穿くぞ」
 壱哉の口から『裸』と言われると、変にアヤしく聞こえてしまうのは何故だろう。
「だから!ほとんど裸だろう!お前のその体を他人の目にさらして、変な奴が妙な気を起こしたらどうするんだ!」
 男の裸を見て『妙な気』を起こすのは壱哉くらいのものではないだろうか。
「妙な奴って‥‥大体、子どもしかいないんだぞ?」
「まさか一人だけで見ている訳ではないだろう。教師とか、他の父兄とか‥‥」
「それは‥‥でも、せいぜいお母さんとかでさ‥‥」
「女など、余計信用ならん!」
「‥‥‥‥‥」
 壱哉が、意外にもやきもち焼きだと言う事は次第に判って来た樋口だが、ここまで言われてしまうとさすがに呆れる。
「大体お前は、自覚がなさすぎる。そんなに男好きのする顔をして、体も申し分ないんだから、誰に狙われてもおかしくない」
「‥‥‥‥‥‥」
 少なくとも樋口は、今まで『狙われた』のは壱哉以外には心当たりがないのだが。
「‥‥わかったって。ちゃんとパーカーとか着てればいいんだろう?」
 樋口が、深いため息と共に言った。
「‥‥‥人前で脱ぐなよ、絶対」
 だから、壱哉の口から出ると妙に聞こえるのは何故だろう。
「と‥‥とりあえず、なるべく服、着てるようにするから!だったらいいだろ?」
 半ばヤケのように、樋口は言った。
 そうでも言わなければ、壱哉が何をしでかすか判らない。
 何しろ、後から聞いて目が点になったのだが、樋口の借金を増やすのに人工衛星を使ったり沖合いで○弾頭を爆破したりなどと言うとてつもない事をやったらしい壱哉の事だ。
 下手に怒らせれば、プールを使えなくするだけの為にこの街の水道を止めかねないと思う。
「‥‥‥仕方ないな」
 本当に渋々、と言った様子で、壱哉が頷いた。
 やっと判ってもらえた、と樋口が息をついたのも束の間。
「じゃあ、差し当たっては明日の分まで、たっぷりかわいがってやるからな」
「へ?」
 目が点になっている樋口を、壱哉はその場に押し倒した。
「ちょっ、まだ昼‥‥!」
「心配するな、後でちゃんとベッドでもしてやる」
「ベッドでもって、そん‥‥ぅあ‥!」
 反論の言葉は、慣れた壱哉の愛撫によってあっさりと封じられてしまった。


 翌日。
 壱哉を送り出して、樋口は深いため息をついてしまった。
 結局昨日は、午後は何も出来なかったし、夕食の後も壱哉としてしまって‥‥‥。
 おかげで、寝不足ではないはずなのに、朝から疲れ切ってしまっていた。‥‥まぁ、丸半日以上ヤりまくってしまった状態なのだから無理もないかも知れないが。
「あー‥‥これで炎天下、ってのはつらいなぁ‥‥‥」
 思わずため息をついてしまった樋口であった。
 ―――――――――
 とりあえず、樋口は頼まれた小学校へと出掛けて行った。
 何かあった時の為に、一応水に入れる格好はしなければならない。
 樋口は、壱哉がうるさく言っていたから、水着に長袖のパーカーを羽織っていた。
 おそらくこの場に壱哉がいたら、下も何か穿け、と騒いでいたろうが、勿論、樋口にそんな自覚は全くなかった。
 疲れた体に直射日光は結構キツかったので、建物の陰に座って様子を眺めていたのだが。
 父兄ではないものの、『花屋のおにいちゃん』として好かれている樋口が、黙って放って置かれるはずはない。
「ねえ、おにいちゃんも泳ごうよ!」
 早速、やんちゃな男の子が樋口の手を引く。
「いや、俺は仕事だから‥‥‥」
「あら、かまいませんよ?」
 同じく当番の母親二人が、にこやかに言った。
「一緒に遊びながら見ていてくだされば助かりますわ」
 日傘に帽子に長袖長ズボンと言う重装備で、母親達は日陰から樋口に手を振った。
「けど、いくらなんでも‥‥って、うわ‥‥!」
 渋る樋口に業を煮やしたのか、数人の男の子達が寄ってたかって樋口をプールに引きずり込んだ。
 樋口は、派手な水飛沫を上げてプールに落っこちる。
 少し水を飲んでしまったのか、咳き込みながら樋口は水から顔を出す。
「おまえらなぁ‥‥」
 樋口は、すっかり濡れてしまったパーカーをプールサイドに放り投げると、自分を引きずり込んだ子ども達を追いかけ始める。
 その足を水中から掬う子どももいれば、背中からのしかかる子どももいて、樋口は組んずほぐれつの大騒ぎに巻き込まれてしまった。
 どう見ても、同レベルで遊んでいるとしか思えない光景である。
 はしゃいでいる子ども達と遊ばれている樋口を微笑ましく見守っていた母親達の顔が、ふと、引きつった。
「あれ?おにいちゃん、虫にさされたの?」
 女の子の一人が、不思議そうに樋口を見上げた。
「へ?なんで」
「あー、ほんとだ!おにいちゃん、せなかいっぱいさされてる!」
 やんちゃな男の子の声に、『虫さされ』の正体が判ってしまった樋口は、耳まで真っ赤になった。
 そう言えば、昨夜、壱哉はしつこく背中にキスをして来た。
 壱哉の事だから、これは絶対わざとに違いない。
「ばかねぇ。キスマークかもしれないんだから、こういうのはだまってなきゃ」
 ませた口調で言う女の子に、樋口は思い切り水を吸い込んで噎せてしまった。
「むっ、虫さされに決まってるだろ?!ほ、ほら、ここんとこ暑くて、つい裸のまんま寝ちゃっててさ‥‥‥」
 しどろもどろに言い訳しながら、裸で寝ていると言うのも何となくまずい気がしたが、今更取り消しもきかない。
「なんだよ、おにいちゃん、こどもだなぁ」
「あ、あはは、そうなんだよなぁ‥‥‥」
 子どもに『こども』と言われてしまった情けなさも、何とかごまかせたと思えば気にならなかった。
 気紛れな子ども達はそれっきり忘れてしまったらしく、午前中いっぱい、樋口は体のいい遊び相手になっていた。
 が。
「きいたわよ、崇文ちゃん!今の若い子は、ずいぶんと積極的だねぇ」
「気をつけろよ、そう言う娘はやきもち焼きだからなぁ。怒らせると何をするかわからねえぞ?」
「崇文ちゃんのそんな話が聞けるとはねぇ。長生きはするもんだわ」
「‥‥‥‥(汗)」
 その後しばらく、樋口は奥様方や近所のおばちゃん、おやじさん達などから、必ず『情熱的で独占欲が強い彼女』の話をされるようになってしまった。
 まさかストレートに『男です』と言う訳にも行かず、黙っていると更に話に尾ひれがついて、凄い噂になっているらしかった。
 まぁ、それらが直接樋口の耳に入らないのがまだましだったが。
 プール当番の事など、もう二度と口にはするまい。
 樋口がそう心に決めたのは、言うまでもなかった。


END

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‥‥‥えーと。なんてタイトルだろうと自分でも思いますが、これでも夏のお土産です(笑)。夏コミで、とある方の同人誌(あがけではないです)のオチを見た時に浮かびました。
つか、樋口は絶対、キスマークなんか付けられても気付かないのではないかと。壱哉様も独占欲、強そうだもんなぁ。
ある意味、ウチにしては珍しく季節に合った話(爆)。