『帰る』場所


 一見しただけで、住む世界が違うのだと知れる高級マンション。
 その最上階に住む人物を、樋口は訪ねていた。
 聞かされたのは相手の苗字だけで、どんな人物なのかも樋口は知らない。
 ただ、その相手を訪ねて、彼の言う通りにしろと壱哉に命じられていた。
 こんな風に服を着て、一人で外に出たのはどれくらいぶりの事だろう。
 そんなに前の事ではないはずだが、樋口には、もう遠い昔のように思えた。
 玄関で名を告げると、いかつい体格のガードマンは部屋に確認してから通してくれた。
 広いエレベーターで最上階に向かいながら、樋口は、壱哉の言葉を思い出していた。
『お前には、結構楽しませてもらったからな。褒美に、借金を帳消しにしてやる』
 笑い混じりの言葉が、樋口にはとっさに理解出来なかった。
『今日、あいつのところに行ったら、後はどこに行ってもいいぞ。自由にしてやる』
 あっさり告げられた開放。
 その言葉をはっきりと理解すると、真っ先に感じたのは困惑だった。
 戸惑いを抱えたまま、樋口は命令通り、このマンションに来たのだ。
 シャツのポケットには、壱哉に渡されたカードが入っている。
『しばらく、生活に困らん程度の金は入っている。好きに使え』
 そう言われて渡されたものだった。
 自由。
 慰み者としての生活からの開放。
 有り得ないと思っていた。
 自分は一生、壱哉の『ペット』として生きる事になるのだと、そう思っていた。
 だから、かも知れない。
 唐突に示された、自由と言う道に対して、嬉しいと感じられないのは。
 もう、壱哉は樋口が必要なくなったのだろうか。
 そう考えて、苦笑する。
 元々、壱哉は樋口を必要としてなどいなかったではないか。
 気紛れに手に入れようと思っただけの、『物』と同じ存在。
 買い取る為の破格の金額も、焼かれた薔薇園も――壱哉にとっては、店で品物に手を伸ばす程度の気分でしかない。
 飽きれば、いつでも捨てられる。
 そんな事は判っていたはずなのに‥‥‥酷く、胸が苦しかった。
 と、エレベーターが最上階に着いた音に、樋口は我に返った。
 汚れ一つないような床に躊躇いを感じつつ、樋口はフロアに踏み出す。
 目的の部屋は、すぐに見付かった。
 と言うより、フロアの全てがその相手の住居らしい。
 インターホンを押すと、誰何される事もなく中に通された。
 部屋で待っていた相手は、壱哉と同じか、やや年上だろうか。
 若いながらも、存在感のある青年は、どこか壱哉に通じる所があるような気がした。
 おそらくは彼も、社会的にはかなりの地位にいる男なのだろう。
 或いは、相当の資産家なのか。
 いずれにせよ、彼もまた、壱哉と同じ世界に住む人間なのだ。
「まず、そこで服を脱いでもらおうか」
 命令する事に慣れた声だった。
 男は、革張りのソファにくつろいだまま、面白そうに樋口を眺めている。
 ずっと裸で、壱哉ばかりか他の人間にも見られていたが、こうして自分から服を脱ぐのを観察されているのは、やはり強い羞恥を感じる。
 しかし、樋口に逆らう自由がある訳ではない。
 樋口は、僅かに震える指で何とか服を脱ぎ落とした。
 恥ずかしさの為に俯きながらも樋口が裸体をさらすと、男は満足気に目を細めた。
「ふ‥‥ん。さすがに黒崎が手元に置くだけの事はあるな。中々いい体をしているじゃないか」
 品定めする視線に、全身を撫で回されているような錯覚を覚える。
 樋口と同じように壱哉を『黒崎』と呼んでいる男。
 しかし、樋口のそれと、彼の言葉とは全く違うものだ。
 彼は壱哉と対等の立場であり、樋口は、昔の記憶を引き摺ったまま、壱哉がそう呼ぶ事を許しているからに過ぎない。
 勿論、自分だけが壱哉を呼び捨てにしているのだと思っていた訳ではない。
 しかし、こうして、対等に付き合っている人間を目の当たりにすると、改めて自分の存在が、壱哉にとっては何の意味も持っていない事を思い知らされる。
「そっちのソファに寝て、孔を広げて見せろ。顔は上げておけよ」
 やっと下された『命令』に、樋口は我に返った。
 言われるまま、男の向かい側のソファに身体を預けた樋口は、頭を背もたれで支えながら、脚を大きく開き、膝を胸元に引き付けるようにする。
 両手を後ろから臀部に回し、窄まりが男の方へ向くように調節する。
 もう、何度となく犯された孔に指を入れると、意思とは全く関係なく身体が震えた。
「ん‥‥‥」
 両手の指で孔を広げると、冷やりとした空気が体内に当たるのが判る。
 窮屈に折り曲げられた形の身体が、少し痛んだ。
「ほう?大分無茶をしていると言う話だったが、それ程でもないな」
 男が、目を細めて笑った。
 露わにさらけ出された体内と、その上の性器まで他人の視線にさらしている事実に、身が竦むような羞恥を感じる。
「かなり太いものでも大丈夫だと聞いているが、どの程度なんだ?」
 ストレートな問いに、樋口は思わず赤くなる。
 しかし、誤魔化す事は許されない。
「バイブ‥‥二本、入れた事があります‥‥‥」
 言いながら、自分でも恥ずかしい言葉だと思った。
 それなのに、腰から背筋にかけて熱いものが走る。
 広げた場所が、物欲しげにヒクつくのが自覚出来る。
 その様を全て男に見られていると思うと、恥ずかしさで全身が熱くなった。
「今まで、同時に何人くらい、相手にした事があるんだ?」
 楽しげな声が投げられる。
「‥‥五人、です‥‥‥」
 以前、壱哉が連れて来た男達に、気絶するまで犯された時の事を思い出す。
 壱哉は全く触れてはくれず、ただ、男達に犯される自分を眺めているだけだった。
 それなのに樋口は、壱哉ではない、他の男達の手で悶え狂った。
 壱哉の冷たい視線すらも快楽を煽り立て、声が枯れる程喘ぎ続けた。
 そんな事を思い出し、樋口の全身に熱が広がる。
 黙って樋口を眺めている男の視線が、壱哉のそれに重なる。
「ぁ‥‥‥」
 ぞくり、としたものが背筋を駆け上がる。
 露わにさらされたものは、明らかに固さを増しつつあった。
「なんだ、見られているだけでも感じるのか?大した淫乱だな」
 呆れたような声が壱哉の言葉に重なる。
 恥ずかしいのに、樋口の身体は、どんどん熱くなって行く。
 指で広げている場所の奥が、激しく突き上げられる感覚を思い出して疼く。
「ぅ‥‥‥」
 樋口は、切なく疼く身体を持て余しながら男を見上げた。
 快楽に濡れた瞳は、まるで誘っているようで、酷く嗜虐心を煽る。
 薄く笑った男は、戸棚から何かを取り出した。
 近寄って来る男の手にあるものを見て、樋口の顔が引きつる。
 それは、女の腕程もあろうかと言う太い張り型だった。
 しかも、毒々しい色をした表面には大きな疣がいくつも並んでいる。
 いくら慣れていると言っても、これは無茶な太さに見えた。
 樋口は、思わず、縋るような視線を男に送る。
 しかし、それに返されたのは楽しげな笑みだった。
「無理な太さではないだろう?‥‥まぁ、無理でもお前に拒否権はないが、な」
 笑った男は、張り型にローションを垂らした。
 高級そうな調度が並ぶ部屋と、毒々しい色をした淫具のアンバランスさに眩暈を起こしそうになる。
 男が押さえるように太股に手を掛けると、樋口の身体が反射的に竦んだ。
 そんな反応が面白かったのか、男は喉の奥で笑った。
「せいぜい、力を抜いていろ」
 そう言うと、まだほぐれたとは言い難い場所に張り型を捻じ込んで行く。
「いっ‥‥あ、うあぁぁぁっ!」
 殆ど慣らしていない場所が押し広げられて行く痛みは激しかった。
 逃げようにも、狭いソファの上ではろくに身動きも取れない。
 あまりの痛みに目の前が赤くなる。
 息が詰まり、自分が悲鳴を上げているのかどうかも判らなかった。
 男は、口で言うよりはそっと張り型を差し込んで来るが、痛みが軽くなる訳ではない。
 引き裂けそうな激痛と、息が出来なくなるような圧迫感。
 苦し紛れの涙が流れているのも、樋口は気付かなかった。
 それでも必死に、身体の力を抜こうと努めていると、突き入れられる動きが止まった。
「う‥‥‥」
 痛みと圧迫感に慣れようと、樋口は浅い呼吸を繰り返す。
 両手で支えている太股が、汗で濡れているのが自覚出来た。
「随分、黒崎に仕込まれたんだな。痛みだけでイけるのか?」
 からかうように、男が言った。
 その言葉通り、激痛しか感じていなかったはずなのに、樋口のものは固さを増し、頭を擡げていた。
「あ‥‥‥」
 恥ずかしさと情けなさに、樋口は身を竦めた。
 しかし、男の視線が注がれているものは熱を増し、あまつさえ先走りすら滲ませる。
「遠慮はいらないみたいだな‥‥」
 男が、楽しそうに目を細めた。
 ―――――――――
 ふと、足を止めた樋口は、自分の出て来た高級マンションを一度振り返った。
 あの男は、樋口を直接犯すと言うよりは、苛んでその反応を楽しんでいるらしく、太い張り型を自分で動かさせられたり、バイブを入れながら、乳首を自分で弄るだけでイかさせられたり、果てはペットボトルを入れられた状態で咥えさせられたりした。
 限界近くまで苛まれたせいか、まだ腰に重怠い痛みがわだかまっている。
 正直、歩くのも少し辛いのだが、あのままあそこにはいたくなかった。
『お前、黒崎に捨てられそうなんだって?』
 行為を終え、部屋を出ようとした時に掛けられた言葉。
 強いて頭から追い出していた事を思い出させられ、樋口は息を詰めた。
『お前の身体、悪くないからな。ここに置いてやってもいいぞ。どうせ、行く場所はないんだろう?』
 男の言葉は、酷く優しく聞こえた。
 実際、男は乱暴な事を言いながら、樋口の身体を壊すような無茶はしなかった。
 太いものを突き入れるのだって、言葉とは裏腹に、慎重に慣らしながら入れていた。
 この男なら、自分をもっと見てくれるのだろうか。
 ずっと‥‥側に置いてくれるのだろうか。
 しかし、樋口は首を振った。
 残念そうな顔をする男の反応が、本音なのか見せ掛けなのか樋口には判らなかった。
 そして樋口は、逃げるように男の部屋を出たのだ。
「‥‥‥‥‥」
 小さくため息をついて、樋口は歩き出した。
 しかし実際、行く場所がないのは確かだった。
 壱哉は、もう樋口に飽きたのだろう。だから‥‥『捨てた』のだ。
 家と薔薇園があったあの場所は、もう舗装され、ビルの敷地になってしまっている。
 渡されたカードが使えたとしても、何かしたい事がある訳でもない。
 もう‥‥自分には、二度と薔薇を作る事は出来ない。
 もう、あんな純粋な気持ちで植物に接する事など出来はしない。
 自分は、どうすればいいのだろう。
 いや――どうしたいのだろう。
 自分の気持ちも判らないまま、樋口はおぼつかない足取りで、街の中へと歩いて行った。
 ―――――――――
 インターホンが鳴り、壱哉は本から顔を上げた。
 今日は、吉岡は壱哉の代理で出張しているから、この家には壱哉しかいない。
 ドアを開けると、そこに立っていたのは樋口だった。
「どうした。自由になって、改めて恨み言でも言いに来たか?」
 からかうような壱哉の言葉に、樋口は思いつめたような表情になる。
「ごめん、黒崎。もう‥‥俺なんかいらないんだってわかってる」
 僅かに震えているような声に、壱哉は目を細めた。
 樋口は、真剣な表情で壱哉を見詰める。
 そして樋口は、思い切ったように口を開いた。
「でも‥‥俺には、ここしか帰る場所、ないんだ。黒崎‥‥頼む」
 『帰る』と言うのか。
 金で買われ、一方的に陵辱され、人間以下として扱われた、この場所に。
「‥‥ふ‥‥‥」
 壱哉の口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「黒崎‥‥?」
 不安そうな顔になる樋口の耳元に、壱哉は手を伸ばした。
 少し癖のある柔らかい髪をそっと漉いて、その感触を確かめる。
「本当に‥‥お前は、馬鹿な犬だな」
 そのまま頭を引き寄せて、口付ける。
 最初は軽く触れるように、しかしすぐに、噛み付くように、貪るように口内を蹂躙する。
「ん‥‥ふ‥‥‥」
 息も出来ないような激しい口付けに、樋口の瞳に、うっとりと霞がかかる。
 壱哉がキスしてくれるのは、本当にもう、忘れてしまうくらい久しぶりの事だと思う。
 やがて、やっと解放された時には、樋口はもう膝から力が抜けてしまっていた。
 樋口の身体を抱き止めた壱哉は、薄く笑いながら耳元に唇を寄せる。
「‥‥お前がそのつもりなら、死ぬまで慰み者にしてやる。もっと酷くいたぶってやるよ」
 残酷にも聞こえる言葉は、むしろ愛の囁きに似ていた。
「そうだな‥‥まず、あいつの所で何をされたか、全部説明しろ。‥‥‥同じように、いたぶってやるから」
「‥‥‥うん‥‥」
 あの行為を、今度は壱哉の手でされるのだと思うと、樋口は、身体の奥が熱く疼くのが判った。
 自由にすると言った壱哉の言葉は、果たして本音だったのか。
 或いは、樋口を試していただけだったのか。
 樋口には、判らなかった。
 しかし、壱哉がまた、側に置くと言ってくれただけで、満足だと思った。
 自分の『帰る』場所は、ここしかないのだから。


END

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こうしてわんことご主人様は、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
‥‥‥30000HIT記念でこんなネタってどーよ?とか思いつつ、まぁウチの基本は鬼畜EDだし、そこはかとなくオチがついた風味だからいいかなぁとか。
いつものウチのいぢめ方と違うのは、この前ハマったとある18禁サイトの影響だったり。あ、ペットボトルは一度やってみたかったんで。‥‥まぁ、初っ端からそれで飛ばすのはどーかなと思ったのでさらりと流しましたが(笑)。
タイトルの上に着けたラインが何となくお祝い風(爆)。