首輪


 上機嫌な様子で入ってきた壱哉の後ろから、吉岡が姿を現した。
 その手には、大きな鏡があった。洋服売り場などにある、全身を映し出せるようなそれだ。
 不審に思う樋口の視線を、壱哉は無視する。
 吉岡は、鏡を部屋の片隅に据えると、壱哉に一礼して出て行った。
 樋口は、壁際で毛布を身体に巻き付けたまま、どこか落ち着かない様子で視線を迷わせている。
 少し前から、樋口は衣服を与えられていなかった。
 寒い訳ではないのだが、裸のままでいる事にはまだ少し抵抗があって、樋口は毛布にくるまっている。
 壱哉は、薄く笑うと、樋口の前にしゃがんだ。
 床に座っている樋口の方が視線が低くて、壱哉を見上げるような格好になる。
「お前も、ずいぶん聞き分けが良くなってきたからな。今日は、褒美をやろう」
 どこか、嬲るような響きを帯びた口調は、何か不穏なものを感じさせた。
 身を硬くしている樋口に、壱哉は喉の奥で笑った。
 壱哉は、手にしていた薄い箱から、何かを取り出す。
 目の前に取り出されたのは、犬がするような首輪だった。
 真っ赤な革に、銀色の鋲が光っている。
「お前には、赤が似合うと思ってな」
 楽しげな壱哉の視線に、一瞬、頭の中が真っ白になる。
 全てを失い、買われて来てからは、『人』ではなく、獣か物のように扱われてきた。
 仕方がないのだと、とっくに諦めてはいたけれど、それでも――こんな形で思い知らされるのは、やりきれない自己嫌悪を覚える。
「ほら、おとなしくしていろよ?」
 わざとペットに言うような口調で言って、壱哉は首輪を樋口の首に回した。
 なめし革が首筋に触れ、樋口は反射的に身体を震わせた。
 首輪に挟み込まれてしまわないように、柔らかい髪をかき上げる壱哉の仕草はとても優しくて、かえって樋口は、振り払いたいような衝動を覚える。
 そんな横顔を楽しむかのように、壱哉はゆっくりと、殊更に優しく樋口に触れる。
 多少動いても絞まらない程度の緩さでベルトを留め、細い鎖を繋ぐと、壱哉は目を細めた。
「‥‥‥思った通り、良く似合うぞ」
 壱哉は、樋口の腕を掴むと、力ずくで立ち上がらせる。
「ほら‥‥お前も、そう思うだろう?」
 長い姿見の前に立たせられ、樋口は息を詰めた。
 真っ先に目を射る、鮮やかな赤い首輪。
 そして、それ以外は何一つ身に着けていない裸体をさらしている。
 樋口の後ろに立った壱哉はいつもと同じ、一分の隙もないスーツ姿で、それがより、自分だけが裸である羞恥を強く感じさせる。
「ふふ‥‥‥これでようやく、『飼い犬』らしくなったな」
 鎖を手元に引き寄せ、壱哉が後ろから、樋口の耳元に唇を付けるようにして囁いた。
 嬲るような視線が、鏡の中の樋口に注がれている。
「あ‥‥‥」
 樋口は、ぞくり、と身を震わせた。
 『犬』なのだ、自分は。
 壱哉に飼われているペット。
 首輪以外、何も身に付けていない獣――。
 鏡から目を逸らしたいのに、まるで竦んだように動けない。
 そんな樋口に、壱哉は喉の奥で笑った。
「くく‥‥嬉しいだろう?お前は、浅ましい『犬』なんだからな」
「ち‥が‥‥‥」
 弱々しく首を振る樋口に、壱哉は目を細めた。
「何が違う?ほら‥‥何もしてないのに、固くなって来てるじゃないか」
「‥‥‥っ」
 その言葉通り、樋口のものは明らかに熱を持ち始めていた。
「ちが‥‥う‥‥‥」
 これは、壱哉の声が耳元を擽るから。
 ずっと、壱哉が来てくれなかったから。
「期待してるんだろう?首輪でつながれて、俺のペットとして扱われるのを」
 違う。
 そんな事は考えていない。
「いつもみたいに、酷くされたいんだろう?這いつくばって、俺に犯されて、獣みたいによがりたいんだろう?」
 壱哉の嘲る声が、そのまま、樋口を嬲り立てる。
「あ‥‥‥」
 壱哉の声に、背筋を熱い何かが走る。
 鏡越しに見詰めて来る壱哉の視線に羞恥を感じれば感じる程、体が勝手に熱くなってしまう。
「う‥‥‥」
 見られているだけで、樋口のものは次第に勃ち上がり、今や完全に天を仰いでいる。
「触られもしないのにそんなにしてるんだ、駄犬以外のなにものでもないな」
 嘲る言葉に反論したくても、こんなに反応してしまっている自分を見れば何も言えない。
 羞恥や情けなさや自己嫌悪や‥‥そんな感情がないまぜになって、樋口の顔が切なげに歪む。
 そんな表情を鏡越しに眺め、壱哉は目を細めた。
「‥‥そうだ、せっかくだから、駄犬らしい事をしてもらおうか」
 壱哉の口調に、楽しげな響きが混じる。
「犬らしく、そこに這え」
 命令口調に、反射的に身が竦む。
 しかし、抗う術も自由もない事は嫌と言う程思い知らされているから、樋口は目を伏せ、壱哉の方を向いて両手を床につく。
「そうじゃない。こっちを向け」
 方向を変えられると、丁度、鏡には四つん這いになった樋口の姿が横から映り込む。
「‥‥‥っ」
 本当に獣のような自分の姿に、樋口は思わず目を逸らした。
「誰が目を逸らしていいと言った?」
 冷たい言葉に、樋口は思わず目を瞑ってしまう。
「ふん。今更、恥じるような事があるのか?」
 前髪を強く掴まれ、樋口は痛みに顔を歪めながら目を開いた。
「さっさと咥えろ」
 壱哉が、まだうなだれたものを引き出した。
 樋口は、膝立ちで伸び上がるようにして壱哉のものを口に含む。
「手は使うなよ。お前は『犬』なんだからな」
 嘲るような壱哉の言葉に身体が熱くなる。
 壱哉のスラックスに縋るように手を掛けて、樋口は、いつものように覚え込まされた動きで舌を使う。
 しかし、今日は何故か、この行為に酷く抵抗を感じる。
 いや、理由は判っていた。
 真っ赤な首輪だけを着け、壱哉のものを咥えている自分の姿。
 それは本当に『犬』そのものだった。
 壱哉が、樋口をそう扱うのを楽しんでいる事は判っていたが、それでも、こんな形で見せつけられるのは辛かった。‥‥‥樋口の、そんな感情すら、壱哉の楽しみなのだろうが。
 嫌、なのに。
 今すぐ死んでしまいたいくらい恥ずかしいのに。
 身体が熱い。
 喉を突き上げるものに、いつも以上に感じてしまう。
「ん‥‥ぅ‥‥‥」
 頭を押さえ付けられ、息が出来ないくらい喉の奥まで突き入れられる。
 その苦しさも、舌を使う濡れた音も、全てが樋口の身体を熱くしていた。
 そんな自分の姿を意識の外に追い出そうとするかのように、樋口はひたすら、目の前のものへの愛撫に集中する。
 しかし。
「――っ!」
 唐突に、強く鎖を引っ張られて引き離される。
 突然中断させられ、樋口は軽く咳き込みながらも、戸惑って壱哉を見上げた。
 傲然と見下ろして来る瞳には、楽しげな、しかし冷たい色が宿っていた。
「ほら、見てみろ。動物らしい、いい格好じゃないか」
 髪を引っ張られ、鏡の方に顔を向けられる。
 真っ赤な首輪だけを着けた自分の姿。
 先走りと唾液とで汚れた口元。
 そして、まだ触れられてすらいないのに、高々と勃ち上がった欲望は既に夥しい先走りを溢れさせている。
「俺を咥えているだけでも良かったのか?さすがに『犬』だな」
「‥‥っ」
 からかうように言われるだけで、羞恥と自己嫌悪に身が竦む。
 それなのに、いきり立ったものから溢れる雫が増したのが自覚出来る。
「そうだな。今日は、『犬』らしく犯してやろう」
 軽く肩を押され、樋口は鏡の前に這いつくばった。
 その姿に羞恥を感じる間もなく、体内に壱哉の指が入り込んで来る。
「ぅあ‥‥!」
 既に熱くなっていた場所への刺激に、反射的に声が上がる。
 そのまま中をかき回され、無意識に腰が揺れてしまう。
「‥‥く‥‥ふ、ぅん‥‥‥」
 甘く喉を鳴らす樋口の声は、本当に、犬が鼻を鳴らしているようにも聞こえた。
「ふ‥‥そんなに気に入ったなら、今度は尻尾でもつけてやるか?」
 嘲る壱哉の言葉さえも、樋口の身体を熱くする。
「ふあぁぁっ!」
 熱い身体を、更に熱い欲望で突き上げられ、思わず高い声が上がる。
 甘い快楽が背筋を駆け上がり、頭の中が毒々しい熱に覆われて行く。
 いつもよりも大きく突き上げて来る壱哉の動きに揺すぶられ、首輪に繋がれた鎖が乾いた金属音を立てる。
 視線を上げれば、鏡の中から、肘を突き、這いつくばって腰を揺らす『犬』がこちらを見詰める。
 獣と同じ姿勢で犯されているのに、その股間のものは今にもはち切れんばかりに猛り立ち、夥しい先走りを床に滴らせている。
 嫌なのに。
 死んでしまいたいくらい恥ずかしいのに。
 まるで魅入られたかのように、浅ましい自分の姿から目を離せなかった。
「んっ、あ、ぁ‥‥‥」
 淫らな顔で喘ぐ『犬』を見詰めながら、樋口は爛れた快楽に身を任せて行った―――。
 樋口の狂態に満足したのか、壱哉は、しばらく苛んだだけで出て行った。
「‥‥‥‥‥」
 未だ熾き火のように体の奥に燻る欲望を自覚しながら、樋口はのろのろと身体を起こした。
 残されている鏡に、行為の痕も露わな自分の姿が映っている。
 脚を、床を、そして口元を汚す欲望の証。
 そして‥‥‥。
 樋口は、そっと、赤い首輪に触れた。
『‥‥これでようやく、『飼い犬』らしくなったな』
 壱哉の嘲る声が耳元で聞こえた気がした。
 自分は、金で買われた『ペット』。
 壱哉の『所有物』なのだ。
 それは、男として、人として屈辱であるはずなのに。
「‥‥‥‥‥‥」
 身体の奥が、ずきんと疼く。
 甘い痺れが、腰から広がる。
 身動きすると、首輪に繋がれた鎖が音を立てる。
 肌に触れる鎖の冷たささえも、身体の奥底に残る熱を煽る。
 樋口は、無意識に、甘い吐息を漏らしていた。
「黒崎‥‥‥」
 樋口は、小さく、『主人』の名を口に乗せた。
 鏡の中の『犬』は、汚らわしい程に淫らで、嬉しそうにさえ見える顔をしていた。


END

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わんこ、やっと自分の立場を自覚(←違)。きっと、この次の壱哉様の『ご褒美』は尻尾つきのバ○ブなのでしょう。でもってお散歩調教か?(妄想果てしなく)
らぶらぶな首輪ネタを書きつつこんな妄想も考えてたり。まぁ壱哉様の事だし、手に入れてすぐくらいに首輪つけたんだろうと思いますが(なんたってドラマCDじゃお買い上げ直後に首輪つけちゃってるし)。それも屈辱的で良いのですが、今回は調教方向にねちっこくしてみました。
いやー、ひさしぶりの樋口いぢめは楽しいなー(はぁと)